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2025年7月20日 (日)

神経質礼賛 2367.楠木正成像

 昨日は夕方から高校時代の弦楽合奏部OBの集まりが東京駅近くの飲食店であった。行きは高速バスにして昼過ぎに東京駅に着いたら、静嘉堂文庫美術館と三菱一号館美術館を回ろうとセット入場券を購入しておいた。時間は十分ある。美術館から近い皇居外苑の楠木正成像を見に行くことにした。皇居は小学校の修学旅行で来たきりだ。楠木正成は小学生の頃に太平記を読んですっかり夢中になった人物である。それ位だから見ているはずが、全く記憶に残っていない。二重橋をバックに記念写真を撮っただけだったのだろうか。

 一番暑い時間帯だから歩いている人は少ない。正成像の周りもC国人一家が大声を出しながら写真を撮っていたくらいだ。台座だけで高さ4m。その上に載っている像も4mあって、上から見下ろされている感じ。肉眼では顔の表情はわかりにくい。写真を撮って拡大してみると、キリリと引き締まった表情であることがわかる。馬の姿勢からも緊迫感がひしひしと伝わってくる。

 この像を造らせたのは当時の住友家当主。同家が経営していた別子銅山200年記念にそこで産出された銅で正成像を造らせ、寄贈しようと思い立った。委嘱先は東京美術学校(現・東京芸大)の高村光雲教授だった。光雲とその弟子たちが分担して造り、顔の部分は光雲作である。完成までには10年を要し、明治33年(1900年)、現在の地に設置された時にはすでに依頼主は亡くなっていた。第二次世界大戦後、この像は天皇への忠誠心を賛美し若者たちを戦場へと駆り立てるのに利用されていたかのように言われていたことがあったが、製作委嘱時は日清戦争の前で、日本が世界の列強諸国に後れを取り圧迫を受けていた時期のことであり、像にはそんな意図はない。場面は鎌倉幕府が崩壊して隠岐に流されていた後醍醐天皇を兵庫まで迎えに行った時の姿である。

 楠木正成は神経質人間だと私は思っている(362・363話、拙著p.227~234)。武術に秀でた豪傑ではない。強がろうとせず弱いままに、情報分析して創意工夫をしていた人のように思う。皇居外苑の正成像も緊張した時の神経質者の顔に見えてくる。

 

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