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2025年8月31日 (日)

神経質礼賛 2380.ヒポコンドリー

 NHK-FMでは平日の朝6時から「古楽の楽しみ」という番組が流れている。かつては「バロック音楽の楽しみ」という番組だったが、現在はそれ以前のルネサンス期の音楽も含めた幅広い作品を扱っている。先日、大バッハより少し年長でドレスデン宮廷楽長だったゼレンカという作曲家の変わった曲が紹介されていた。その名も「組曲ヒポコンドリア」。体の異常を気にしてしまうことだ、とヒポコンドリア(心気症)の解説があった。明るい曲が突然暗い曲調になり、しばらくするとまた明るい曲調に戻る。そしてしばらくするとまたふっと暗い曲調になり、いつしか明るい曲調に戻る、そんな曲である。

 神経症の発症機転について、森田正馬先生は、小心・取越苦労・完全欲が強いといったヒポコンドリー性基調(傾向)という素質を持つ者が、何かの誘因でヒポコンドリー体験(例えば人前で失敗して笑われたとか、体調の悪い時に電車に乗って気分が悪くなったとか)をしてから注意が自分の方に向けられ、精神交互作用の悪循環(注意集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意集中→・・・)により病状を呈するとしている。

 ヒポコンドリー性傾向とは、人には例へば目的のみ意識して自分の足元には少しも氣の付かぬ、甚だしくなれば衝動性の傾向とか、自分の現在の快苦のみに支配される心的傾向とか、色々あるべき精神的傾向の一つであつて、総括していへば病の感じが強く、之を分解すれば死を恐れ、有害物を恐れ、身体的にも精神的にも、異常の感覚現象を強く感じ、之を病的と解釈するものである。(白揚社:森田正馬全集第1巻p.334)(神経質及神経衰弱症の療法第五章)

 前述の曲のように、私たちは生活している中でふっと不安に襲われたり体調不良が気になったりするものである。しかし、気にはなりながらもそのまま生活しているうちにいつしか気にならなくなっている、そういう繰り返しである。最近ではスマホのネット検索でいろいろな病気を調べ上げて、自分はその病気であると自己診断して医療機関に駆け込む人もしばしば見かける。一度受診して「なんだ、自分の思い込みだったのか」ということになるといいが、「いや、絶対に何かあるはずだ」とまた情報集めをして医療機関を次々と受診するといわゆるドクター・ショッピングにはまり込むことになる。ヒポコンドリーは健康的に生活していくための安全装置として役立つが、過ぎたるは及ばず。もっとやるべきことは一杯ある。

 

2025年8月28日 (木)

神経質礼賛 2379.ベルナール・ビュフェ美術館

 今週、産婦人科クリニックは夏休み。どこへ行っても暑いし遠出は大変なので、県内でどこかいい所はないだろうかと考えた。子供たちが幼稚園から小学生の頃に何度か連れて行った長泉町のベルナール・ビュフェ美術館を思い出した。単なる美術館ではなく、子供たちが楽しく遊べる「こども美術館」があって良かった。のちにその近くにヴァンジ彫刻庭園美術館ができ、日本にいるとは思えないような空間を楽しむことができた。クレマチスが植えられた広い庭園やお洒落な喫茶店もでき、全体でクレマチスの丘という名前で親しまれていた。ところが、コロナの影響や施設を所有していたスルガ銀行の不正問題などにより、ヴァンジ彫刻庭園美術館などは閉鎖(現在は静岡県に無償譲渡され、令和8年度以降再開の話あり)。ビュフェ美術館はまだやっているようだが、三島駅からの送迎バスは廃止されてしまっていた。路線バスは1日3~4本で不便である。さて、どうなっているだろうか。

 20年以上前の記憶を辿りながら美術館を目指したが国道1号線から出る所を間違えて旧道に入ってしまい引き返して国道246号線に入る。城山交差点を右折、さらに2回右折して270度旋回して国道の上を跨ぐ道路に入る。ここははっきり覚えていた。静岡がんセンターの横を通り美術館へと向かう。以前はもっと案内板があったはずが、施設縮小のためか見当たらない。ようやく小さな案内板を見つけて美術館着。ほぼ正午である。美術館入口に併設された売店・カフェに入り昼食。ガラス張りで天井が高く、美術館前の大きなクスノキの下にいるような気分でとても落ち着く。地元の食材を使った料理を楽しむ。

 今回の企画展は「アーティストの目は何を見ていたか」と題してユトリロや藤田嗣治などビュフェに影響を与えたエコール・ド・パリの画家たちの作品、さらには現代アート作品とともに数多くのビュフェの作品が展示されていた。ビュフェの絵画によくみられる黒い描線は不安感や虚無感を反映していると言われる。死をテーマとした作品も少なくない。色使いも控えめである。今回の展示で印象に残ったのは「ドン・キホーテ.鳥と洞穴」という大きな作品である。ドン・キホーテは体にロープを巻き付けて剣を振りかざすが、出てくるのはフクロウたちばかり。ビュフェ自身を投影しているのだろうか。その横で万歳をしている従者の真っ赤なベストが異様に目立っている。展示を見終わって「こども美術館」をのぞいてみる。積木で遊べるスペースや、ビュフェの絵画「アナベル夫人」の黒い衣装や道化師の衣装を着て写真が撮れるのは昔と変わらないが、確か以前あったドールハウスはなく、置かれているものも減っていてちょっと寂しい印象を受けた。いつかまた、子供たちで賑わうようになってほしい。

 

2025年8月24日 (日)

神経質礼賛 2378.里芋の皮は食べる?

 三島の病院で長年お世話になった元院長先生と飲む機会があった。お通しに出てきたのは煮込んだ皮つきの里芋だった。私が皮を剥きながら食べていると、元院長先生はそのまま食べておられる。「あれ、皮は剥くの?」と言われる。何でも子供の頃からずっと皮のまま食べているそうだが、奥さんは剥いて食べているとのこと。ジャガイモやサツマイモのように薄い皮ならともかく、ゴワゴワして細かい毛がある里芋の皮はやはり敬遠したくなる。調べてみると食べても別に問題なく、食物繊維が多く摂れるからと推奨する人もいるようである。軽く剥いてくれてあれば食べないでもないけれど、私にはちょっと無理そうである。

 同じ芋類でも、ジャガイモで揚げてあれば、少しくらい皮が付いていても抵抗なく食べられる。皮が付いたままのじゃがバターもおいしそうだ。ただし、芽が出ているものや皮が緑色に変色しているものは、ソラニンやチャコニンという天然毒素を含んでいて、腹痛・下痢・嘔吐などの食中毒症状をきたす可能性があるため避けなくてはいけない。これらの天然毒素は普通の皮にも微量に含まれているため、あまり皮はたくさん食べ過ぎない方がいいようだ。

 その点、サツマイモの皮はいいことずくめ。食物繊維が多く摂れる上に、排便促進作用のある物質が皮にあるという。また、クロロゲン酸やアントシアニンといった抗酸化作用を持つポリフェノールが含まれている。ふかし芋の皮は剥いて食べていたが、これからはそのまま食べてみようと思う。

 

2025年8月21日 (木)

神経質礼賛 2377.ありのままで(2)

 トレロカモミロの練習も進まないうちにもう1曲、ディズニーアニメ「アナと雪の女王」のテーマソングの「ありのままで(原題はLet It Go)」(1111話)の楽譜が送られてきた。楽譜を見ただけではよくわからないので、YouTubeで松たか子さんが歌っているものをチェックしてみる。このようなポップス系のシンコペーションが多い旋律はどうも苦手である。あと2回集まって練習をして9月末に演奏するという。苦手意識はあるがままにして、とにかく練習していこう。

 ビートルズの名曲「Let it Be」もまた、ありのままで、あるがままに、と訳せるだろう。これは、ビートルズ最後のシングル曲。ビートルズが分裂の危機にあり悩んでいたポール・マッカートニーの夢の中に亡き母メアリーが現れ、「あるがままに全てを受け入れるのです」とささやいたのをそのまま歌にしたのだそうである。

 ありのまま・あるがままは森田療法のキーワードでもある。ただし、あるがままになろうとしてもなれるものではない。森田先生は次のように述べておられる。

 強迫観念の本を読んで、「あるがまま」とか、「なりきる」とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、既に「あるがまま」ではない。なんとなれば「あるがまま」になろうとするのは、実はこれによって、自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって、苦痛は当然苦痛であるという事の「あるがまま」とは、全く反対であるからである。
 「眠らなくとも決して身体に障る事はない」といわれて、「なるほどそれで安心した」といえば、直ちに不眠は治るのであるが、「そう思って安眠できるものなら、そう思う事にしよう」といえば、もはや決して眠られないのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.709-710)

 不安や種々の「症状」はそのままにして仕方なしに行動しているうちに結果として「あるがまま」になっているものである。

 

2025年8月17日 (日)

神経質礼賛 2376.トレロカモミロ

 お盆休み、友人宅に音楽仲間が集まった。私の他、もう一人ヴァイオリンを弾く税理士さん、ピアノやエレクトーンを弾いている薬剤師さんと事務員さんの女性軍だ。実は宿題が渡されていて、かつて「みんなのうた」で放送されていた「トレロカモミロ」のエレクトーン4パート・スペイン風オーケストラアレンジの編曲譜。パート1は税理士さん。私が任されたパート2は重音だが「弾けるでしょ」と。パート3は女性軍2人がピアニカとピアノで分担。パート4は友人がコントラバスで弾く。みんなのうたとは異なり、テンポが大きく変化し拍子も4拍子から途中3拍子に変わったりする。エレクトーン用にあらかじめ作られたUSBデータを流してそれに合わせて皆で弾いてみるが、私はどうも旗色が悪い。速い動きのところで落ちまくってしまうのだ。何度か合わせてやっと少しずつ合ってくる。税理士さんがエレクトーンの音をスマホで録音してメールで送ってくれたので、何度も聞いてそれに合わせて練習するつもりだ。いつの間にか9月の終わりに人前で演奏する話になっていて困ったものだ。

 「トレロカモミロ」はフランコ・マレスカ作詞・マリオ・パガーノ作曲の1969年イタリアの童謡コンテスト「ゼッキーノ・ドーロ」入賞作品で、勇敢だがとても寝坊助でどこでも寝てしまう闘牛士の歌である。ちなみにその翌年1970年の入賞作品には同じ作詞家・作曲家による「黒猫のタンゴ」がある。ただし、大ヒットとなった日本語の訳詞とは内容が異なる。興味のある方は調べてみて下さい。

 闘牛の最中でも眠りに落ちてしまうカモミロ氏は過眠症の一種ナルコレプシーと言えそうである。不眠に悩む神経症の人からみれば羨ましく思えるかもしれないが、仕事中や運転中に突然眠ってしまったら危険である。一方、神経症の不眠は眠れなかったら体に支障がある、などと本人が心配するだけで、実際には気が付かないうちに眠っていたりして、本人が心配するほどの実害はない。眠れても眠れなくてもよい、と不眠を問題視しなくなれば治っているのだ。

2025年8月14日 (木)

神経質礼賛 2375.神経質人間の最期

 前話の『永遠の0』に登場する0戦のパイロット宮部久蔵は架空の人物ではあるが、神経質性格であるように読める。細かいことに気が向き、慢心することなく工夫を重ね、幾多の厳しい状況を乗り越えてエース級のパイロットになる。「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」と公言してはばからず、臆病者とも評価される。生の欲望の強さが示されている。いよいよ特攻の日、与えられた0戦にはエンジンの不調があることを察知した。それに乗れば敵艦まで行きつかず、助かる可能性がある。しかし、かつて教官として操縦を教えた後輩の大石にその機を譲り、旧式の0戦に乗って壮絶な最期を遂げた。機を交換された大石はエンジン不調のため不時着して命拾いし、「もし自分の妻子が路頭に迷うようなことがあったら助けて欲しい」という宮部のメモを見つける。終戦後、大石は宮部の妻子を探し当てて援助し、ついには未亡人と結婚する。宮部の死は、大石を助け、結局は妻子を助けることになるのである。

 神経質は死を恐れ、最期まで生き尽くそうとする。森田正馬先生は「死にたくない、死にたくない」と言って亡くなっていかれた。名僧の一休さんや仙厓さんにも同じようなエピソードがある。ただ、武士とか軍人だったりすると、死にたくなくても死ななくてはならない状況に追い込まれることがある。

 歴史上の神経質人間の武人たちも臆病に見えることがあった。北方謙三著『楠木正成』では小心者で臆病を自覚する正成が描かれる(362・363話、拙著p.227-270)。しかし、最期は絶対に勝目のない湊川の戦いに手勢とともに赴き、新田義貞らの本隊が逃げる時間稼ぎをした上で奮戦の末に死を遂げる。私が正成だったら、天皇らが都から撤退して尊氏軍を都に誘き込んで叩くという自分の提案を公家たちに拒否された段階で一旦出家隠棲し、いずれ後醍醐天皇らが吉野に撤退した段階で得意の山岳ゲリラ戦で天皇を助けることを考えるだろう。徳川家康(11・393話、拙著p.231-235)はピンチのたびにうろたえて、もう切腹するしかない、切死にするしかない、などと覚悟するが、家臣の支えで気を取り直して生きる道を選び、天寿を全うしている。若い頃は臆病者呼ばわりされていた乃木将軍(393話、拙著p.239-240)の場合は西南戦争の際に軍旗を奪われる不始末をして自決しようとするが許されなかったエピソードがある。晩年は学習院の院長を務め昭和天皇の教育にもあたったが、明治天皇の大葬の日に夫人とともに殉死を遂げている。神経質武人の最期はいろいろである。

 

2025年8月10日 (日)

神経質礼賛 2374.0戦(ゼロせん)

 私は小学生の時、「0戦はやと」というTVアニメを見ていた。辻なおき原作で少年キングに連載されたものだ。零式艦上戦闘機・0戦のプラモデルも作った記憶がある。同じ頃、ちばてつやの「紫電改のタカ」という漫画が少年マガジンに連載されていて、これも時々読んでいた。当時、PTAなどから戦争賛美でけしからんという批判があったが、必ずしもそうではない。死と隣り合わせの戦場という極限状態の中での友情やライバルとの争いが描かれていた。

   母が亡くなって2年経つ。転倒・骨折を繰り返して歩けなくなり、2年余り老人施設のお世話になった。定番の「茶道雑誌」、時々それ以外に頼まれた本は書店で買って届けていた。新型コロナの流行で面会制限のため手渡しできなくなって郵送していた。ある時、施設から電話があって「お母さんが0戦の本を買いたいと言っているんですが、いいでしょうか」と。「どうぞ買ってください」と返事した。父や母の兄弟で直接戦地へ行った人はいないし戦闘機に興味があるとは思えない。不思議だなと思った。施設の荷物を引き上げて来た中に百田尚樹(ひゃくたなおき)著『永遠の0』という文庫本があった。読んだ形跡はなくきれいなままだ。捨てるつもりだったが、著者は先日の参議院選挙で日本保守党から立候補して当選した人物だし、どんな本かちょっと見てみようと読み始めたらすっかり取りつかれて、4日間で読み切ってしまった。

 主人公の健太郎は、弱い立場の人たちを支える弁護士をしている祖父にあこがれて司法試験浪人中の青年である。しかし、本当の祖父は終戦直前に特攻で戦死したパイロット宮部久蔵だと知る。フリーライターをしている姉に頼まれて宮部を知る人たちに面会して宮部に関する話を聞き出していく。宮部は腕利きのパイロットだが、腰が低く、後輩や整備兵らに対して優しかった。囲碁はプロ級の腕前だった。しかし、その評価はまちまちで、臆病者とも思われていた。妻子の写真を常に身に着け「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」と言い続ける。上官からの特攻指示に逆らい、後輩パイロットたちにも「死ぬな」と言い続ける。それなのにどうして特攻死したのか。最後に義理の祖父は宮部との不思議な縁について語る。そして、宮部の壮絶な最期の描写がある。実に読み応えのある小説だった。

 

2025年8月 7日 (木)

神経質礼賛 2373.砕啄同時(啐啄同時)(2)

 「調子が悪くて1週間前から仕事を休んでいる」というような人がよく新患でやってくる。最初は有休消化で対応してもらっていても、1週間位になってくると会社側から医療機関を受診して診断書を書いてもらうように、と言われて受診することになる。うつ病のため食欲低下・意欲低下・集中力低下が目立つ方もいるが、数から言うと、適応障害あるいはそれに軽度うつ状態を伴った方が多い。診断書の休養加療が必要な期間として、その人の状態により2週間から長くて2か月という判断を書いている。

 うつ病の方の場合は休養と薬物療法で徐々に改善して、良くなってくると本人から「周りの人に迷惑をかけているから早く復帰したい」「薬に頼りたくないからやめたい」というような発言がみられるようになる。しかし、症状の揺れ戻しもありうるし、症状が良くなってから半年は抗うつ薬を継続する必要があるので、「焦らないでもう少し時間をかけて着実に治していきましょう」と説得することになる。一方、適応障害の人の場合、休みはじめはよいのだが、だんだん休養期間の終わりが近づいてくると不安になり、「行けそうもないです」「産業医の面接が怖いです」という発言がみられるようになる。そうなると、その人の状態をどう判断するかが重要になってくる。日常生活状況をよく聞いた上で、少々抵抗はあっても行き出せば何とかなりそうであれば、「ズルズル休み続けると敷居が高くなってしまうので、ダメ元でそろそろ行ってみてはどうでしょうか」と背中を押すし、やはり本当に無理そうであれば「では、もう少し休養期間を延長する診断書を書きますが、復職に備えて朝は決まった時間に起きるようにして、出勤の代わりに時々図書館に行ってみてはどうでしょうか」と勧めている。このあたりは、入院森田療法の退院タイミングの判断とよく似たところがある。まさに卵の中の雛が殻を破ろうとするのと親鳥が卵の外からくちばしでつついてそれを助けるタイミングが合う砕啄同時(啐啄同時)(440話)というわけである。

 

2025年8月 3日 (日)

神経質礼賛 2372.気温上昇

 最高気温のありがたくない新記録が次々と出ている。先日は、北海道でも39℃超というとんでもない記録が出た。夏でもクーラーいらずだった北海道でも昨今は必需品となってきている。年々気温上昇は留まるところを知らない。しかも上昇のペースは上がっているように思える。実際、先月令和7年7月の平均気温は基準値より2.89℃高く、昨年同月の2.16℃高よりさらに上昇したと報じられている。2年前に気温上昇に関する記事(2142話)を書いた時よりもさらに顕著になっている。

 気象庁の発表ではここ100年で世界全体の平均気温は0.77℃上昇している。日本全体では1.35度の上昇。ただし、東京では3℃、大都市では2℃以上上昇し、特に1990年以降の上昇が激しいという。やはり世界全体の気温上昇に加えて、都市部では緑や土が減ってコンクリートジャングル化するとともに自動車やエアコンなどからの排熱によりヒートアイランド現象が起きているものと考えられる。

 研究者の中には楽観論もある。実際、今から約300年前を中心に太陽活動の低下により気温が1℃程度下がる小氷期があった。しかし、大部分の学者たちはそうした現象は起きないだろうとみている。二酸化炭素上昇を抑制して温室効果を抑えるため各国が努力している中、米国のT大統領は真逆の政策を打ち出している。米国だって巨大ハリケーン・大洪水・山火事など気温上昇に関連すると考えられる惨事に襲われているのにもかかわらず、である。彼にとって関心があるのは、自分の個人的利益と、自分を含めた関係者の犯罪もみ消しだけである。「君子」と正反対の人間が上に立つとこういうことになる。

 当ブログ初期の記事に「熱中症が増えたワケ」(327話)と題して、熱中症が増えたのは単に環境の悪化だけが原因ではなく、人間側の暑さに対する適応力の低下にも一因があるのではないか、と書いた。しかし、それから20年近い歳月が経って、大きな気温上昇により人間の適応力だけでは対処しきれなくなってきている。「洞山禅師は寒い時は寒になりきり、暑い時は熱になりきれと教えた。つまり、事実そのままよりほかに、しかたがない、という意味にほかならぬのである」(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.325)ということだけれども、やはりそれにも限度がある。効率よくエアコンや冷却グッズを利用して熱中症を防ぐとともに、二酸化炭素を増やさないような生活上の工夫をしていくことが求められる。

 

2025年8月 1日 (金)

神経質礼賛 2371.津波警報(2)

 一昨日、津波警報が発令され、驚いた方も多かったと思う。その日も私は産婦人科クリニックの勤務だった。待合室の患者さんたちの携帯からけたたましく警報音が鳴り響き、外からは避難を呼びかける広報が繰り返し聞こえてきた。クリニックがある場所は海抜10m以上あり、一応安全と考えられる。しかし、清水駅周辺は海岸が迫っていて、津波が来たら被害は免れない。そのため、JR東海道本線・静岡鉄道電車ともに運休になってしまった。バスも運休である。午後になってもなかなか警報は解除にならない。最悪、家まで3時間かけて歩くしかないと覚悟を決めた。

 たまに空車表示のタクシーを見かけて手を挙げるが、運転手さんからは「乗れないよ」ジェスチャー。商業施設や大型スーパーのタクシー乗場にあるタクシー会社直通専用電話も「ただいま大変混雑しております」のアナウンスが流れるばかりである。西日に向かって、日傘をさしてトボトボ歩いていく。「路線バス乗り継ぎ旅」でバスがなくて歩く蛭子能収さん状態である。通りかかったバス停の運行状況を示すQRコードにスマホを当てて調べてみるが、「情報がありません」と表示されるばかりである。途中でスーパーに入り、体を冷やして休憩。スポーツドリンクを買って飲む。1時間半近く歩いた所で、静岡鉄道の駅近くの踏切が下がっているのに気が付いた。駅に行ってみると、「折り返し運転で運行再開しました」のアナウンス。間引き運転のようだが、ほっとしてベンチに腰掛け、電車を待った。無事に帰宅することができた。

 今回の津波の原因となった震源地はカムチャッカ半島付近。複雑な海底地形の影響もあって、長時間にわたって繰り返し津波が到来したようである。幸い、津波による直接的な被害はなかった。夏休みシーズンで海のレジャーをしていた人たちにも周知が徹底できたようだ。高台への避難や交通ストップで大きな影響を受けた人たちも多かったとは思うが、津波が来てしまってからでは手遅れである。以前にも書いた(523話)ように人命にかかわることであるから、大いに神経質に用心するに越したことはない。

 

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