神経質礼賛 2375.神経質人間の最期
前話の『永遠の0』に登場する0戦のパイロット宮部久蔵は架空の人物ではあるが、神経質性格であるように読める。細かいことに気が向き、慢心することなく工夫を重ね、幾多の厳しい状況を乗り越えてエース級のパイロットになる。「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」と公言してはばからず、臆病者とも評価される。生の欲望の強さが示されている。いよいよ特攻の日、与えられた0戦にはエンジンの不調があることを察知した。それに乗れば敵艦まで行きつかず、助かる可能性がある。しかし、かつて教官として操縦を教えた後輩の大石にその機を譲り、旧式の0戦に乗って壮絶な最期を遂げた。機を交換された大石はエンジン不調のため不時着して命拾いし、「もし自分の妻子が路頭に迷うようなことがあったら助けて欲しい」という宮部のメモを見つける。終戦後、大石は宮部の妻子を探し当てて援助し、ついには未亡人と結婚する。宮部の死は、大石を助け、結局は妻子を助けることになるのである。
神経質は死を恐れ、最期まで生き尽くそうとする。森田正馬先生は「死にたくない、死にたくない」と言って亡くなっていかれた。名僧の一休さんや仙厓さんにも同じようなエピソードがある。ただ、武士とか軍人だったりすると、死にたくなくても死ななくてはならない状況に追い込まれることがある。
歴史上の神経質人間の武人たちも臆病に見えることがあった。北方謙三著『楠木正成』では小心者で臆病を自覚する正成が描かれる(362・363話、拙著p.227-270)。しかし、最期は絶対に勝目のない湊川の戦いに手勢とともに赴き、新田義貞らの本隊が逃げる時間稼ぎをした上で奮戦の末に死を遂げる。私が正成だったら、天皇らが都から撤退して尊氏軍を都に誘き込んで叩くという自分の提案を公家たちに拒否された段階で一旦出家隠棲し、いずれ後醍醐天皇らが吉野に撤退した段階で得意の山岳ゲリラ戦で天皇を助けることを考えるだろう。徳川家康(11・393話、拙著p.231-235)はピンチのたびにうろたえて、もう切腹するしかない、切死にするしかない、などと覚悟するが、家臣の支えで気を取り直して生きる道を選び、天寿を全うしている。若い頃は臆病者呼ばわりされていた乃木将軍(393話、拙著p.239-240)の場合は西南戦争の際に軍旗を奪われる不始末をして自決しようとするが許されなかったエピソードがある。晩年は学習院の院長を務め昭和天皇の教育にもあたったが、明治天皇の大葬の日に夫人とともに殉死を遂げている。神経質武人の最期はいろいろである。
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