神経質礼賛 2382.とらわれと流転
前々話のように、神経症になるメカニズムの基にはヒポコンドリー性基調(神経質傾向)があり、ヒポコンドリー体験が引き金をなって症状が起き、精神交互作用の悪循環をきたして「とらわれ」のループにはまり込み症状を固着させてしまうのである。とらわれについてはこれまでにも何度か書いている(1530・1800話)。とらわれから脱却するには、症状を何とかなくそうとあくせくするのではなく、症状はありながらも仕事や勉強や家事など日常生活の中でやらなくてはならない行動を重ねていくうちに結果としていつしか症状は薄らいでいる、というのが森田療法のやり方である。そして神経質者はヒポコンドリー性とは言っても生の欲望・・・よりよく生きたいという欲望が人一倍強くエネルギーがあるので、症状に空費していたエネルギーを日常生活に向けて行動していけば、人並み以上に活躍することができる。
強迫観念も厳密にいへば誰にでも平常起るものであるが、疲労とか、心身に不快があって、八ツ當りでもしたいといふやうな時には、何かにつけて自分の深い感情に捉はれやすいから従つて強迫観念も起ります。頭のさわやかな時には、心は周囲の境遇に應じて、あれもしたい之もやりたいといふ風に心が外の方に向ふから、少々の不快があつても之を無視して氣がつかない。又急性の熱病とか、其方の苦痛に心が集中して、苦痛其のものになりきつた時には、今迄氣にしてゐた小さな心の葛藤もなくなります。例へば之まで國内で政治家の小ぜり合のあつたのでも、大きな外國との戰爭となれば、忽ち全國の一致を見るやうなものであります。
(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.581)
日本が戦争への道を突き進んでいた時代の発言であるから、穏やかではないがわかりやすい説明である。
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