神経質礼賛 2390.神経質礼賛20年
当ブログ記事を書き始めてから実質20年になる。開始当時はまだブログ黎明期。右も左もわからないままに、とにかくやってみようと思い立って始めた。高速インターネットもまだ普及していなかったから、通信に時間がかかりデータ容量が大きい写真にはなるべく頼らず、文章だけで行こうと考えた。30話書き溜めたところで平成18年(2006年)2月に30話分公開。翌3月に20話分追加公開。先輩ブロガーさんたちからアドバイス的なコメントをいただき、改良していった。医療機関のホームページやネット上の医療情報もまだあまりない頃であり、Google検索に「神経質」と入れると1ページ目か2ページ目に当ブログが表示されるような有様だった。以後は毎月10話、年120話ペースでアップしていき、今日に至っている。日常生活の中の他愛ない話の中に森田療法や神経質が織り込めるとよいが、あまりこだわっていると、書き疲れてくるので、季節の話題やB級・C級グルメの話など単なるエッセイ(脱力記事)も入れている。だからここまで続いたのかなあと思う。当初から長年読んで下さり今でもコメントを書き込んで下さる方がいらして、ありがたく元気を頂いている。
森田正馬先生は、入院経験者や雑誌「神経質」の読者の会に神経質礼賛会と名付けようとしたが、会員の議決で先生の雅号から取った形外会になった。入院療法で書痙と赤面恐怖が治り、独学で公認会計士となった山野井房一郎さんは著書『神経質でよかった』(660・661・662話)の中で、
神経質の性格の者に心配や不安を感じるむきが多いことは、他面において欲望の強いことを示す。森田先生は、これを「生の欲望」と称して、神経質はきわめて望ましい性格であるとし、昭和五年、森田先生の指導下に創刊された雑誌『神経質』の名称を『神経質礼賛』としようかとの議もあったほどである。(白揚社:『神経質でよかった』p.54) と書かれている。
山野井さんほど神経質の良さに目を向ける人は多くなかったようだ。当ブログではあえてその名前をいただいている。私の師・大原健士郎教授は森田療法の茶話会の席では「神経質で悪いことは一つもないんだよ。神経質は出世の性格だよ」と患者さんたちに仰っていた。今ではこんなことを言う森田療法家は見かけない。かつてメンタルヘルス岡本記念財団の図書室を運営され、神経質者の相談にあたっておられたmandy氏は私に宛てたメールの中で、「森田先生は神経質は病気ではないと言っておられたのに、最近(の森田療法家たち)は病気だ病気だと言っている」と不満を書いておられた。確かに現代では不安症の治療法という面ばかりに力点が置かれ、実生活の中で神経質性格を活かす智恵という観点が希薄になっているように思われる。微力ながら、神経質礼賛の旗を掲げ続けたい。
この20年で私たちの生活環境は大きく変化した。特にここ10年で好むと好まざるとにかかわらず、生活のあらゆる場面でスマートホンを使わざるを得なくなってきた。情報伝達もSNSが中心となり、ブログは徐々に時代遅れの存在となりつつある。当ブログはインターネットプロバイダ老舗ニフティが運営するココログを利用しているが、だんだんサービス縮小の流れになっている。それでも利用できる間は細々と続けていきたいと思っている。読まれた方が神経質を宝の持ち腐れにしないで、日常生活の中で大いに活用していただくことを願っている。
« 神経質礼賛 2389.どんとキャットの処分 | トップページ | 神経質礼賛 2391.鍵盤ハーモニカのピッチ »


20年のご継続素晴らしいです。
動画隆盛の時代ですが文字による表現には格別の味わいと余韻がございます。
これからも宜しくお頼みします🙇♂
投稿: たらふく | 2025年10月15日 (水) 04時21分
たらふく 様
当ブログ初期より長年にわたり御愛読
いただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 四分休符 | 2025年10月15日 (水) 06時03分