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2025年10月 9日 (木)

神経質礼賛 2393.幸せの青い鳥はどこに

 相変わらず、職場のストレスをきっかけに休み始めて精神科を受診する人は少なくない。軽度のうつ状態を呈している人もいて、少量の薬を服用してもらい、1~2か月休むと治って復職する人もいれば、症状が軽減してもなかなか仕事に行こうとしないでグズグズしている人もいる。特に若い人によくみられるのは、「もともとやりたい仕事じゃなかった」「本当は自分に合った仕事があるはず」「自分は何のために生きているかわからない」などと言って自己分析しては「思想の矛盾」にはまり込んでいくタイプである。そして「かくあるべし」という理想と「かくある」という現実とのギャップに苦しむ。こうなると神経症である。そんな理想の職場や理想の家庭があろうはずはない。SNSでリッチな幸せそうな人たちの生活を見て羨ましく思い、劣等感にさいなまれ、自分もうまくすればそうなるはずだと思い込む。しかし、SNSに流される情報はいい所だけを切り貼りしたものであり、そうした人たちも実生活では種々の問題を抱え、不安を持ちながら生きているのだ、ということに気付かない。いろいろ嫌なことがあり、平凡でつまらなく感じる日常生活の中に、幸せの青い鳥はいるのだ。森田正馬先生は次のように述べておられる。

 「自分は何故に生存するか、如何に生きれば人生を最もよく完ふする事が出来るか」といふ事は、古今の詩人哲学者の考へ悩んだ事であり、小生も少年時から長い半生を苦しんだ事です。しかしそれは「自分は」といふ主観のみに閉ぢこもる時に、全く論理のたゝぬ矛盾に墜るといふ事に氣がつかない。之は実は不可能の努力であるといふ事は、自分の心で自分の心を見やうとする事で、自分の眼で自分の眼を見やうとすると同様です。
 禅では之を「一波を以て一波を消さんと欲す。千波萬波交々(こもごも)起る」といつて心の葛藤の益々激しくなる事にたとへてあります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.582)

 日常生活に目を向ければやらなければならないことはいくらでもある。それを一つ一つこなしていくうちにいろいろな工夫や楽しみにも気付くようになる。理屈はさておき体を動かして小さな仕事に手を出してみることだ。ちょっと立ち位置が変わるとまた別の景色が見えてくるものだ。

 

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