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2025年12月 4日 (木)

神経質礼賛 2412.家康公の立ち上がり石

 小國神社の境内にある「家康公の立ち上がり石」を撮った写真の看板を拡大して見ると石の由来が書かれていた。それによれば、元亀二年(1572年)九月、家康は小國神社の神力に頼ろうと願文と名刀2本を奉納して戦勝と開運を祈願した。さらに、天正二年(1574年)、犬居城攻略の途中で再び参拝して、この石に腰掛けて休んだという。それ以来、運が開け、戦勝を重ねた。縁起がよいということから立ち上がり石の名で呼ばれるようになったそうである。

 ここで犬居(いぬい)城とは今川氏の国衆から武田氏に帰属した天野氏が居城とする山城であり、現在の浜松市春野町に城跡が残っている。看板には記載がないが、この二度の参拝の間には家康にとって大事件があった。元亀三年(1573年)十二月の三方原の戦いである。武田信玄の侵攻に対して家臣の多くが浜松城での籠城戦を進言したのに反して神経質な家康にしては珍しく強気に武田軍への攻撃を指令した。結果は惨敗。多くの家臣を失い、家康は命からがら浜松城に戻っている。以後も武田軍とは遠州の各地で戦いを繰り返し、小國神社も武田軍に占拠されそうになり、当時の神主さんが御神体を移して社殿に火を放ち、神社が武田軍に利用されるのを阻止したということもあったそうだ。三方原の戦いは家康にとって大きなトラウマだったはずだが、あえてまた同じ小國神社に参拝したところに諦めない家康の粘りが示されていると思う。二度目参拝の翌年の天正三年(1575年)、長篠の戦いで織田・徳川連合軍は武田勝頼軍に勝利し、大きく流れが変わった。同じ年、家康は神社を再建している。神頼みだけでは勝てない。神経質の特性を生かして無謀な戦いは避けて十分に準備を行い、家臣の意見にも耳を傾け、粘り強く事に当たるようになって勝ちが転がり込むようになったのである。

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