神経質礼賛 2423.門松は冥途の旅の一里塚
誰もが正月のお祝い気分に浸っている中、「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と歌い、髑髏を杖の頭に付けて「御用心 御用心」と叫びながら街を練り歩いたのが風狂の人・一休(1394-1481)である。縁起でもない、と反発するする人もいただろうけれども、人はいつ死ぬかわからないのだから浮かれ過ぎないように、という警告だったと考えられる。一休の生きた時代は戦乱・病疫・天災・飢饉などでいつ命を落とすかわからなかった。かつては正月で歳が一つ増えるとしていたからめでたいけれども、死に近づいている、ということでもある。一休より少し前の時代を生きた吉田兼好の徒然草にも死が突然やってくることを記した第155段「世に従はん人は~」がある。「死は前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る」と書かれている。西洋でもラテン語で「メメント モリ」(死を忘るるなかれ)という言葉があって、古くから絵画の題材に用いられてきた。戦争が繰り返され、ペストのような感染症の大流行のために一気に多くの人々が命を落とした出来事があった。幸いにして現代の日本では戦乱はないけれども、急病や不慮の事故で生活が一変して死と向き合わなければならなくなる可能性は誰にでもある。死は突然にやってきて恐ろしいけれども、だからこそ今この時を大切にして生き尽くそう、ということにもなってくる。
年末年始休みが終わり、昨日あたりから会社や学校が始まっていて、今朝の電車は通常ダイヤに戻り普段通り会社員や高校生たちが大勢乗っていた。正月の一日も普段の一日も同じ一日である。日々是好日。充実した一日が送れるように過ごして行こう。毎日、できることを積み重ねて行きたい。
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