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2026年4月30日 (木)

神経質礼賛 2460.生活志向

 食品の値上げがどうにも止まらない。原材料高騰、円安、輸送コスト上昇、人件費上昇などの要因があって、これからも値上げは収まる気配がない。そんな中、大手スーパーではプライベートブランド商品を開発して人気を博している。パッケージは地味にして広告宣伝費も削ることでコスト削減を図っている。地元のスーパーの菓子売り場には「生活志向」シリーズの一袋百円の商品が並ぶ。ざっと見て50品目位ある。この1、2年チョコレートの値上がり幅は特に大きく、すでに百円ショップからチョコレートは姿を消しているが、ここにはチョコレート系だけでも、レーズンチョコ、ムギチョコ、コーンチョコ、ピーナツブロックチョコがある。袋の表示を見ると販売者は三菱グループの食品会社である三菱食品株式会社となっていて、製造会社は地方の菓子メーカーのようだ。一袋30g程度の量で熱量は150~160kcal程度。ちょっと休憩の時にコーヒーのお供に3~4回分はありそうだ。味も満足でき、大手の菓子メーカーの製品でなくてもこれで十分に思える。

 生活志向とは神経質者にとって、なかなか良い言葉に思える。神経質者は概して悪い所探しをして症状志向・症状本位になりやすい。次々と「症状」を発見して「症状」を膨らましてしまうという悪循環に陥りやすいのだ。症状を消そうとあくせくするよりも生活の充実を図っていく生活志向・生活本位が良い結果を生み出すのである。生活に目が向くようになってふと気が付けば「症状」は消えている。

2026年4月26日 (日)

神経質礼賛 2459.AI川柳

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるさんの出身地の鳥取県境港市では観光協会の主催で妖怪と世相を反映させた「妖怪川柳コンテスト」が毎年行われてきた。ところが、今週結果が発表された第20回大会で終了するという。AIが普及して川柳が作れるようになってしまい、人間が考えた作品とAIで作成された作品との判別ができないレベルに達しており、選考後にAIで作成された句の入賞が判明した場合に公正さが保てなくなる、というのが理由である。10年前、20年前には予想もできなかったことだ。

   AIが簡単に利用できるようになって、いろいろと便利になった反面、学生のレポートや論文を作成するようなことが数年前から問題視されるようになってきた。医学論文を含む科学論文でもAI利用の可能性が取りざたされることがある。それに比べると定型的な川柳はAIにとっては作りやすい分野と言えそうだ。季語がある俳句も作れてしまう可能性があるし、短歌だって作れそうだ。さらには短い小説も作られるようになるかもしれない。チェス・将棋・囲碁などゲームの分野ではすでに人間がAIにかなわなくなってきている。AIによる作曲も近くまで来ているのではないか。今後さらに文学・芸術の分野にもAI利用が広がっていきそうだ。人間の牙城が次々と崩されていくのは寂しい気もする。近頃はAIのコンピュータ犯罪への悪用も懸念されている。姿を見せないAIこそ現代の超大物妖怪なのかも知れない。

2026年4月23日 (木)

神経質礼賛 2458.水木しげるの妖怪百鬼夜行展

 地元の市立美術館で水木しげるの妖怪百鬼夜行展が開催されているので観に行った。漫画やアニメのゲゲゲの鬼太郎で有名になった水木しげるさんは古くから日本に伝わる妖怪に関する書籍を集めて研究し、漫画の中に出てくるキャラクターたちを生み出した。そうした数多くのキャラクターたちの絵が今回の展示のメインになっていた。

 河童、座敷童子、海坊主、山姥、人魂、疫病神は昔話でお馴染みである。コロナ流行時に注目を浴びたアマビエもあった。震々(ぶるぶる)は臆病神・ぞぞ神とも呼ばれ、人間の襟元に取り憑き、首筋をぞっとさせて恐怖を感じさせる。妖怪の多くは不安心理の産物である。あかなめは風呂に付いた垢を舐める妖怪で、風呂を掃除しておかないとこういうのが出るぞという警告のようだ。不潔恐怖のためピンポイントで不潔を気にしても風呂掃除まで頭が回らない人は要注意である。いそがしという妖怪もいて、取り憑かれると落ち着きがなくなり忙しく動き回ってしまうが取り憑かれても不快感はないといい、躁状態にも思える。水木さん自身、漫画家として多忙な時期にはいそがしに取り憑かれていたと述懐していたという。鬼太郎にも登場し一見怖くないような児啼爺(こなきじじい)は実は恐ろしい。赤ん坊が泣いていると思って抱き上げると急に重くなって抱いた人間を動けなくして死に至らしめる。鬼太郎の中では、敵をおびき寄せて体を重い石にして押し潰す働きをするが、酒好きで酔っぱらっていて砂掛け婆から叱られるというキャラクター設定になっている。会場出口には大きな「ぬりかべ」が展示されていた。突然、目の前に現れて行く手を遮る妖怪である。鬼太郎では、口数は少ないが、敵から鬼太郎たちを守ってくれたり、敵を押し潰したりする役割を担っている。もちろん展覧会場からは普通に出られる。

 

2026年4月19日 (日)

神経質礼賛 2457.メルカトル図法

 西アフリカのトーゴが、世界地図によく使われるメルカトル図法の使用をやめてイコールアース図法を採用するよう求める決議案を今年の国連総会に提出する予定とのニュースがあった。メルカトル図法の歴史は古く1569年から使われている正角図法で、国の形を見る際に便利ではあるが、赤道近辺の国々に比べて北極や南極に近い国々が極度に拡大されてしまい、南極点や北極点は無限遠点になってしまうという大きな欠点がある。例えばこの図法ではグリーンランドがアフリカ大陸と同じ位の広さに見えるが、実際のところアフリカ大陸はグリーンランドの14倍の面積がある。それゆえ、アフリカが軽視される一因になっているのではないか、という主張であり、アフリカ諸国の多くがこの決議案に賛同しているという。
 根拠もなくグリーンランドが自国の領土だと主張する、誇大妄想と自己愛で頭が一杯の某国大統領は、このメルカトル図法による地図の巨大なグリーンランドを自国の色に塗ることを思い描いているに違いない。

 私は小中学生の頃、地図帳を見るのが好きだった。特に、後ろの方に書かれている世界地図の図法の違いや特徴に興味を持っていた。自分が持っている1枚の世界全図はメルカトル図法の欠点を補ったミラー図法だった。イコールアース図法という言葉は今回初めて知った。アメリカ航空宇宙局が開発した最近よく見る厳密な正積図法である。正積のモルワイデ図法(地球の外周を横長の楕円形に描いた図法)を見やすくした印象であり、これならばどこの国にも公平であろう。

 神経症の「症状」は問題のメルカトル図法で表現されるグリーンランドあるいは北極や南極のようなものではないだろうか。本人にとって「症状」はとんでもなく大きな存在であっても、他の人から見たらそれほどでもないことなのである。全体を公平に見渡して、症状を相手にせず、生活を充実させることに主眼をおいて行動していけば、いつしか「症状」はなくなっている。そして神経質が生活に生きてくるのだ。

2026年4月16日 (木)

神経質礼賛 2456.ヘンデルの偽作ソナタ

 今年度から2年間、町内会の会計担当の役が回ってきて(2427話)、楽器演奏に黄信号が点いてしまった。それでも3年続けて出場した「アマチュア・アンサンブルの日」参加に今年も応募してみることにした。曲目を何にするか。友人と普段よく弾いているモーツァルトのヴァイオリンソナタ変ロ長調K378の第一楽章はピアノパートが華やかで聞き映えするからどうかと思ったがピアノの負担が重いようで、友人からはヘンデルのソナタ位にして欲しいと言われた。ヘンデルのヴァイオリンソナタは全部で6曲あって、第5番と第6番はよく弾いている。ヴァイオリンパートが重音を多用して綺麗な第5番イ長調ならば繰り返しなしで6分位に収まり楽章途中の譜めくりも不要でピアノの負担が軽い。これならいいだろう、ということになった。ところが、いろいろ調べてみると現在では5番も6番も偽作とされていることが分かった。かつては名ヴァイオリニストたちがレコードやCDに録音したものだが、最近の若い演奏家はほとんど演奏しなくなっている。やはり偽作とされてしまったのが原因であろう。残念なことである。真作は6曲のうち第1番と第4番の二曲だけのようだ。いずれもヴァイオリン中級の始めに習う曲であり、私も小学校6年の時に弾いた曲である。結局第4番ニ長調を選んだ。技術的には難しくない反面、曲の魅力をどう引き出すかが難しい。もう一曲はチャレンジングにサラサーテ作曲ツィゴイネルワイゼンにした。完全にはほど遠いが、いつかホールで弾くことを夢見ていた曲である。果たして抽選に通りますかどうか。

 ヘンデルの時代は著作権という概念がなかったから、他の作曲家の作品を流用することはしばしばあったし、出版社が売れるように勝手に他の作曲家の作品を一緒にして出版してしまうようなこともあったようだ。クラシック曲の偽作については以前カッチーニのアヴェ・マリアについて書いたことがある(351話)。旧ソ連の作曲家ウラジミール・ヴァヴィロフ作のこの曲はここ10年・20年で歌われるあるいは演奏される機会がとても多くなり、いつの間にかバッハ=グノー作曲・シューベルト作曲のアヴェ・マリアと並んで三大アヴェ・マリアと呼ばれる存在になっている。神経質人間にはちょっと気になるが、多くの人々に支持される魅力的な曲であれば偽作であろうと通用するものなのだろう。

2026年4月12日 (日)

神経質礼賛 2455.健康血圧手帳

 通院している循環器内科から健康血圧手帳というものを渡され、朝と眠前の2回血圧を測って記録するように言われて3か月になる。目立つ黄色の表紙で1年分記録できるようになっている。測り忘れないように机の上に置いている。神経質ゆえ、忘れるはずもなく、1日2回だけでは物足りず、何か変だなと思うとつい測って欄外にメモしてしまうのだ。朝の血圧は仕事に行く日はやや高くなりやすい。薬の効きもあって昼過ぎあたりにかなり下がっていることがある。寝る前は収縮期が100未満のことが多い。ちょっと下げ過ぎではないかという気がする。夏場はさらに下がりそうなので、その時には薬の減量が必要になるかも知れない。

 婦人科クリニックに通院している外来患者さんに年齢が私と同じくらいの方がいる。不眠症で以前から内科医院で睡眠薬を処方してもらっていた。寝つきが悪い神経症性不眠である。この人はクリニックの自動血圧計で血圧を測ると収縮期血圧が180以上になることが多く、緊張すると上がりやすい。内科医院受診時も同様である。ところが家で測ると120~130なのだそうだ。「白衣高血圧」といって病医院で上がってしまう人がいて、まさにそれである。血圧が高かったらどうしよう、何か薬を処方されてずっと飲まなくてはいけなくなるのでは、といったことを心配して緊張するのが原因と考えられる。しかし、白衣高血圧ではあっても、その後に持続高血圧に移行することもあるので、油断せずに自宅での血圧測定を続けていただくようお願いしている。

2026年4月 9日 (木)

神経質礼賛 2454.ADHDを活かした似鳥さん

 4月5日(日)・6日(月)にわたって毎日新聞にニトリHD・似鳥昭雄会長に関する記事が大きく取り上げられていた。見出しは、「ADHD」診断に納得・発達障害でよかった、とある。現在82歳の似鳥さんは74歳の時にテレビ番組で発達障害の特集を見て自分もそうではないかと病院を受診してADHD注意欠陥・多動症と診断されたそうである。子供の時から忘れ物が多く、じっとしていられず、飽きやすく、いろいろな思考が駆け巡る・・・まさにADHDの特徴通りだった。失敗続きで落ち込むことが多く挫折を味わい続けたが、好奇心や発想力そして思い切りの良さを活かして大成することができた。

 記事を読んでいると、ADHDだけではない他の性格特性も持っておられるのではないかという気がする。大学を卒業して住み込みで働ける会社を探してバスの広告枠の営業の仕事に就いたが、いざ営業先を前にすると緊張で汗が止まらなくなり、雑談すらできなくなった。8人目のお見合いでやっと現在の奥さんと出会って自分にない接客能力で店の売り上げが伸びたという。これらのエピソードからは対人関係においては引込思案で神経質な面も見え隠れするようにも思えてくる。

 神経質人間の場合、いろいろ考えて行動が伴わずチャンスを逃しがちである。逆にADHDの人だと後先のことを考えずに行動してうまくいけば突破力が生きる半面、失敗も多くなる。この相反する両方の特徴を持った人はいるのだろうか。森田正馬先生がまさにそれかもしれない。高弟の高良武久先生は森田先生のことを「完成された神経質」と評していたが、私の師の大原健士郎教授は御著書の中で純粋な神経質とは言い難いのではないかとたびたび疑問符を投げかけておられた。好奇心が強くて気が多くオッチョコチョイな点は森田先生が自認しておられ、数々の奇妙なエピソードもADHDの特性から説明できるものが少なくないように思われる(1988話・2045話)。画期的な森田療法を編み出すことができた背景にはそうした性格特性があったのではないだろうか。

 

2026年4月 6日 (月)

神経質礼賛 2453.大山崎山荘美術館

 前話の続き。JR山科駅で京都方面への新快速に乗ったが動かない。どんどん人が乗ってきて満員状態である。湖西線の朝の倒木による不通の影響が残っている。ようやく「運転を再開します」のアナウンスがあって発車する。京都駅で降りて次の各駅停車を待つ。ホームは人であふれている。15分ほど乗って山崎駅で降りる。明智光秀の軍と中国大返しの秀吉軍とが衝突した山崎の合戦場は近い。クロード・モネの企画展を見にアサヒグループ大山崎山荘美術館へ向かう。ホームページには駅からは徒歩10分とあった。線路沿いの道を歩いて踏切を渡るといきなり急勾配の上り坂が待っていた。コンクリート道路には「Oリング」と呼ばれる滑り止めのためのドーナツ型をした丸い溝が並んでいる。これは手強そうだ。時折雨の降り方も強くなる。息切れがしてなかなか前に足が出て行かない。仕方なしに息を整えながら小刻みに歩いていく。WC・コインロッカーと表示された建物があったので美術館入口に通じているのかなと思い込んで入ったところ休憩用の椅子が並んでいるばかりでどこにも繋がっていない。ここはレストハウスだった。結局、入口はもう少し上がった所にあった。

 受付を済ませて階段を下りて建築家・安藤忠雄の設計による円柱型の「地中の宝石箱」という展示室に入っていく。通路のガラス窓からは庭の緑が見えるようになっていて、階段通路の写真を撮っている人がいた。展示室には美術館所蔵のモネ8点のうち6点が展示されていた。2点は前期と後期で展示替えが行われるらしい。睡蓮の絵が4点とアイリスの絵が1点、日本風太鼓橋の絵が1点。これだけモネが並んだ展示はめったに見られないだろう。なかなか見ごたえがあった。見終わって再び地上の展示室に上がって行き、もう一つの企画展で河井寛次郎と浜田庄司の陶芸作品を見た。美術品として飾るのを目的としたものではなく、日常生活で使う器に美を追求した作品であり、興味深かった。人気の喫茶室は順番待ちの人が多かった。そこからテラスに出た所からは遠景が望める。雨でなかったらよかったろうに。天気が良くて時間があれば庭の散策も良さそうである。

 帰りは下り坂だから歩くのはだいぶ楽だ。もっとも膝や足を痛めやすいから慎重に歩かなくては。マンホールの蓋など金属板の上は雨でとても滑りやすくなっていて注意が必要だった。山崎駅では列車の遅れはほぼ解消していて、順調に京都駅に戻ることができた。

2026年4月 5日 (日)

神経質礼賛 2452.毘沙門堂門跡

 昨日は日帰りで京都へ。桜の咲く時期に京都を訪れるのは初めてである。混雑しそうな中心部は避け、大山崎山荘美術館と山科に行くことにした。しかしあいにくの雨。それも午後に雨脚が強まりそうなので、順番を入れ替えて先に山科へ行くことにした。

 山科まではJR線で京都から一駅5分である。湖西線が強風による倒木で運休や遅れが出ているとのことだったが、新快速は動いていた。毘沙門堂門跡を目指す。寺のホームページからプリントアウトした案内マップに従って歩いていく。洛東高校グランド横の道を歩いていくと桜が満開で強い風に花吹雪が舞う。右に曲がって疎水沿いを歩くと頭上の見事な桜と足元の菜の花のハーモニーを満喫できる。翌日が桜まつりでかなりの人出が予想されるが、前日でまだそれほど人は多くない。ドラマ「京都人の密かな愉しみRouge継承」第七話「幕の引き方」では毘沙門堂の紅葉まつりと義士祭の模様がエンディングに流れていた。映像で見た通りの石段を登る。本殿を拝み、霊殿の八方睨みの天井龍図を見る。宸殿の狩野派による襖絵は左右に動いて見ると変わって見えて面白い。和製だまし絵とも言えるだろう。そして、何といっても見どころは宸殿前の枝垂れ桜だ。樹齢百年を超える巨樹がちょうど満開だった。境内を拝観してまた石段を下りて行くと境内入口正面中央の石柱の裏側に「平常心是道」(480話)と刻まれているのに気が付いた。南泉禅師の言葉で森田療法ではお馴染みの言葉、はからいのない素直な気持ちが取りも直さず人の求める道である、という意味である。

 次の目的地は安祥寺。疎水に沿って歩いていく。4月は土日の特別拝観日が4回ある。重要文化財の十一面観音と国宝の五智如来坐像が目当てである。十一面観音は美しい御顔を拝むことができた。五智如来坐像は残念ながら京都国立博物館に寄託中とのことでお目にかかれなかった。だんだん雨風が強くなってきた。山科駅に戻り、近くで昼食を摂った。

2026年4月 2日 (木)

神経質礼賛 2451.ラジオ放送再編

 今週の月曜日朝6時頃、いつものようにFMラジオをつけて古楽の楽しみという番組を聴こうと思ったら、英会話が始まってビックリした。そうか、ラジオ放送再編の話がTVで流れていたことを思い出した。それも4月になってからだろうと思っていたら3月30日からそうなっていたのだ。

私は中学1年の時に貯めた小遣いであこがれだったSONYのFMラジオを買った。さらに翌年には同社のカセットテープレコーダーを買って気に入った曲を録音するためにFM番組雑誌でクラシック番組を調べるようになった。いつも平日の朝はバロック音楽のたのしみ(バロックの森)という番組を聴いていた。そこで流れた曲から知った名曲も数多い。案内役はレコードの解説文でおなじみの服部幸三・菅野浩和・皆川達夫といった音楽学者であり、その語りから得た知識も多い。番組名は15年前から古楽の楽しみに変わった。英会話などの教育番組を放送していた中波のNHK第二がなくなり、FM放送に移行したため、今週から古楽の楽しみは1時間早い朝5時からの時間帯に移動したのだ。実際には4年前から2年前にもその時間帯に移動していたことがあったらしいが、その頃は掛川の病院に通勤していて朝の6時過ぎには家を出てしまっていたので気が付かなかった。

 現在ではパソコンやスマホでもネット経由でラジオ番組が楽しめるし「聞き逃し配信」もあって、自由な時間帯に聞けるようにもなっている。ラジオの役割は減少してしまったように思われるかもしれない。しかし、いつでもネットが使えるとは限らない。災害時や不測の事態の時にはラジオからの情報が貴重になる。それに、決まった時間に決まった放送を聞くのが生活リズムを安定させるのにも役立つ。ラジオ放送の価値はまだまだある。

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