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2017年8月16日 (水)

神経質礼賛 1416.あみだくじ

 昨日(15日)、仕事を終えて帰宅し、夕食を食べた後、何かクラシック番組をやっているだろうか、とNHK-FMをかけたら、何と「アミダばばあの唄」が流れてきて驚いた。NHK-FMでは祝日には「今日は一日○○三昧」として、例えば子供の日にはそれにちなんだ曲のリクエスト特集番組をやっている。新聞の番組欄を見たら、「今日は一日桑田佳祐三昧」とあった。終戦の日と桑田佳祐がどういう関係かよくわからないが、かつて「オレたちひょうきん族」という番組で使われていた唄を久しぶりに聞いた。「♪あみだくじ、あみだくじ、どれにしようかあみだくじ」、はて、あみだくじは何か仏教と関係があるのだろうか、という疑問が起きる。そうなると神経質人間は無性に知りたくなるのである。

 あみだくじの起源は室町時代あたりだという。今のように平行線のくじではなく、放射線状のくじで、隠された中央に金額がかかれていたらしい。それが阿弥陀仏の光背に似ているということからその名が付いたそうである。もしかすると阿弥陀様のお導きだから恨みっこなし、という意味も含まれていたかもしれない。いつから現代のような形態…縦の平行線に参加者が横線を書き加えるスタイルになったのかはわからない。中学生・高校生の頃は班のメンバー分けなどの際によくあみだくじをやったものである。単純な横線ではなく、立体交差の斜め線を入れたりした記憶もある。ドキドキハラハラしながらくじ引きの経過を見て、内心「やった、○○と一緒の班だ」とか「あーあ、××と一緒かよ」と思いながら、ハズレであってもあみだくじで決まったのだから仕方がない、と誰もが妙に納得したのは、阿弥陀様の仏力によるものだろうか。

2017年8月14日 (月)

神経質礼賛 1415.くたびれた時にはどうする?

 勤務先の病院は夏休みがないので、カレンダー通りに仕事をしている。このところ曇りがちのため暑さは和らいでいるけれども湿度が高く少々バテ気味である。読んで下さっている方々の中にはお盆休みの帰省で、かえって運転疲れ・家族サービスの行楽疲れという方もおられるかもしれない。

 さて、くたびれた時にはどうしたらいいのだろうか。森田正馬先生のもとで月1回行われていた形外会の場でも、それが話題になったことがあった。香取会長の「身体がくたぶれた時には、回復には休養のほかないから、寝て休もうか、それともまだこんな事を考えるのは、身体に余裕があるためだから、もっと無理をして働こうかなどいろいろに迷う事がある。こんな時、どうすればよいかという事が問題になる」という発言に若林氏(いやいやでもやった方がよい)・根岸氏(熱や頭痛のある時に勘定のケタを間違えて大損した。病気の時は休んで、頭が明瞭な時に仕事した方が能率があがってよい)・山野井氏(列車の中で、老人や小児が来て席を譲るのがおっくうだから座らずに立っている方が良いという人がいる。自分は空いていれば座り老人が来たら立ったらよいと思う)が発言。それに対して森田先生は次のように話しておられる。


 
「疲労の時は、休息すべきか、もっと働いてもよいか」とか「熱の出た時は、勤務しない方がよいか」とかいう問答も、みな同様の理想主義の型にはまったものである。こんなことは決して問題にはならない。強行軍のときには、ヘトヘトになっても、ついて行かねばならぬし、大地震の時には、大熱があっても、飛び出さなくてはならないという風に、周囲の事情によって変化するもので、決してあらかじめ公式をもって定めておく事はできない。

「くたぶれたときどうするか」ではない。その時々の自分の境遇に対するあるものに対して、目をとめる。私はこれを一般に、「見つめよ」といって教える。試験勉強の本なり・忙しい事務の書類なりに、静かに目をとめていさえすればよい。そのうちに、自然に自分の身体の状態に適応した精神活動が起こってくるのである。自己内省的に、まず自分の疲労の状態から、測量してかかるのではない。周囲の境遇に従って、心を外向的に、物そのものに向けるのである。  (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.573-575


 
 「○○の時にはどうしたらよいか」とフローチャートを考え、マニュアルを作って準備するのは神経質人間が得意とするところであり、それによって失敗を少なくし仕事を円滑に進めることができる。しかしこれが行き過ぎると型にはまり過ぎて柔軟さを欠き「かくあるべし」に陥る。周囲の状況をよく観察し、臨機応変に行動していくのが森田式である。

2017年8月12日 (土)

神経質礼賛 1414.向日葵(ひまわり)

 通勤の途中、子供たちが通っていた小学校のグランドの西側の道路を通って駅に行くことがある。駅からわずか300mの場所にある学校だからグランドは公園を兼ねていて出入り自由であり、夏場にはホームレスが木にロープを張って洗濯物を干している光景に遭遇することもある。ともあれ、道路側には種々の花々が植えられていて、どの季節も通る人々の目を愉しませてくれる。この時期だから向日葵があるはずだが、と思って探してみたらあった。どの花も東側を向いているから道路側から見て気付きにくかったのだ。向日葵と言えば太陽の動きに合わせて東から西に向きを変えるものとばかり思っていたけれども、それはまだ生長途中のつぼみの頃の話であって、花が開いてしまうと、東側に向きを固定させてしまうという。

 小学生の頃、朝顔と向日葵は誰しも植えたことがあるだろう。どちらも理科の観察に適している。朝顔はツルを伸ばし、次々とつぼみを出しては咲いていく変化が面白い。向日葵は種を撒いて、双葉が出てきて四葉になり、いつしか自分の背を追い越して大きな花を咲かせるところに力強さを感じる。趣は対照的である。和と洋、曲線と直線、繊細と大胆といったところ。向日葵の花言葉は情熱、光輝、あこがれ、あなたを見つめる、などだそうだ。神経質人間としては、向日葵の元気を少し分けてもらおうか。

 向日葵の種は、小学校ではリスなどの小動物の餌にしていたけれども、人間の食用にもなる。食用油の材料としては大豆、菜種、綿実に次ぐ生産量なのだそうだ。ひまわり油はリノール酸を多く含んでいたが、最近の健康志向で、リノレイン酸を多く含むように品種改良されているとのことである。

2017年8月11日 (金)

神経質礼賛 1413.ルービンシュタイン

 今週の月曜日から木曜日の夜、NHK-FMで往年の名ピアニストでショパン弾きとして名高いアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)の特集番組があった。ポーランド出身のユダヤ系ピアニストである。四晩のうち二晩は当直で全部は聴けなかったけれども、彼の大ファンだというピアニストの仲道郁代さんの解説もあり、大変感銘を受けた。80代の高齢になってもその力は衰えることなく、かえって進化しているのには驚く。ショパンの英雄ポロネーズのライブ録音を聴いて、とても感激した。こんな演奏を聴いたら誰しも立ち上がって「ブロボー!」と叫びたくなるだろう。

多くのピアニストは完全主義で神経質それも強迫的な傾向が強い。より完璧な演奏を目指して同じフレーズを何時間も練習したりする。名ピアニストにして作曲家のラフマニノフも神経質であり、うつ状態に陥ったことがあった(307話)。「ピアノの詩人」ショパンも神経質だったと考えられる(549)。その点、ルービンシュタインは異質だったとされる。2歳にして姉のピアノレッスンを聞いて、その曲を完璧に演奏したという。4歳の時の演奏を聴いた名ヴァイオリストのヨアヒムが感銘を受けて、偉大な音楽家になるだろうと予言した。そして7歳にしてピアニストとしてデビューした超大天才である。抜群の音感に加えて写真で撮ったような暗譜能力があり、若い頃、練習は大嫌いだったという。しかし、二十歳頃には行き詰って自殺を図ったこともあり、中年になって結婚してからは、このままではいけない、妻や子のためにもいい演奏をしなくては、と長時間の練習に打ち込むようになったあたりをみると、やはり強迫的なピアニスト気質であり、少なからず神経質傾向を持った人だったのだろうと思う。

毎年、国際的なピアノコンクールでは神童・大天才と呼ばれる若手ピアニストが次々と現れるが、皆が音楽史に名を残すほどの大ピアニストになれるわけではない。やはり強迫的で完璧主義の神経質を生かした人にだけ、ピアノの女神が微笑むのだろう。

2017年8月 7日 (月)

神経質礼賛 1412.電子カルテの時代

 病院を受診したら医師がせっせとパソコンに向かってカルテを入力している、という場面に出くわした方も増えていることと思う。病院や診療所では電子カルテ導入で紙カルテが消えつつある。患者さんの発言をたくさん書かなくてはならない精神科では導入が遅れていたが、精神科病院でも徐々に導入する流れになってきている。私の勤務先の病院も近々導入の方向で動き始めた。精神科病院の電子カルテシステムを開発した実績のある会社の担当者から説明を聞いたりデモ機を見学させてもらったりしている。

電子カルテ導入の恩恵を受けるのは事務サイドだろう。カルテは5年間保存が義務付けられているが、風邪やちょっとしたケガでかかることもある内科や外科と異なり、精神科は治療が長期にわたることも多く、障害年金申請の関係で20年とか30年前の受診状況の書類記入を求められることもあるため、事実上、半永久保存しなくてはならない。だから保管している外来カルテや入院カルテは膨大な量になり、管理する事務員は苦労している。外来患者さんでも長年通院している人のカルテは分厚くなってしまうため、分離して古い部分は別に保管することがある。それが電子カルテになってくれれば全く場所を取らず、探し出すのも容易になるし、行政から種々の統計調査データを要求された時にも集計がしやすくなる。また、カルテを医師・看護師・ケースワーカー・作業療法士・事務員など多職種で共有することが容易になる。しかし、メンテナンス費用がかかるし、導入する際の手間が大変である。そして最大の問題はカルテを入力する医師の負担である。今までは患者さんの顔を見て話を聞きながら、急いで書きなぐっていた。パソコンに入力するとなると、慣れた若い医師はいいとして、中高年の医師はキーボードとにらめっこになる恐れがある。特に新患さんの入力量は多いので、限られた時間で入力するのは厳しい。心配性の私としてはいろいろ気になるけれども、導入されたらされたで何とかやっていくしかない。「境遇に従順なれ」(828話)しかないのである。

2017年8月 4日 (金)

神経質礼賛 1411.カロリー「0」飲料に御用心

 海水温が高いこともあって今年は台風の発生が多い。そのため暑いだけでなく湿度が高い日が多く、不快指数も高い。熱中症を心配してスポーツドリンクを飲む方も多いことだろう。スポーツドリンクには低カロリーのものがあり、カロリー「0」を謳ったものもある。また、ついビールやチュウハイで一杯やりたくなるけれどもカロリーが気になるからカロリー「0」の飲料なら安心だと思って選んでおられる方もいるかもしれない。しかし、そうした飲料は本当に健康的なのだろうか。

 長いこと外来通院している男性患者さんが6年前、突然に肝機能が悪化した。アルコールは全く飲まない人である。その代わり、コーラ・ジュース類を多量に飲んで体重が急増し、本人も気になってなるべく低カロリーやカロリー「0」の飲料を選んで飲むようにしたようだ。特に「〇〇の紅茶」は好物で大きなペットボトルをまとめ買いして飲んでいた。すると、肝機能を示すGPTとγ―GTPが150位にまで上がってしまった。なるべく麦茶やほうじ茶にするように何度も注意したら肝機能は正常に戻った。翌年の春から夏にもまた同様のことが起き、注意して改善している。その後は本人も注意していて大丈夫である。コーラでなく紅茶だと、それもカロリー控えめとなれば健康的なイメージがあるけれども、実はアセスルファカリウムという人工甘味料が入っている。体内では代謝されないのでカロリー「0」なのだが、最終的には腎臓や肝臓の働きで体外に排泄され、その分腎臓や肝臓に負担をかけるとも言われている。彼の場合、肝機能が悪化する原因が他には考えられず、やはり人工甘味料が悪さをしていた可能性が高い。この甘味料は多くの食品や飲料に使われている。かつて用いられていた人工甘味料チクロやサッカリンに発がん性の疑いが出て、日本では規制がかかり(中国などでは現在も使用されている)、アセスルファカリウムの他、スクラロース、アスパルテームといった新しい人工甘味料が使われるようになった。いずれも通常の摂取量では毒性や発がん性はないとされているけれども、種々の有害性を指摘する報告もある。たまに飲む程度ならば影響はほとんどないだろうが、あまり摂取しないよう気をつけるに越したことはない。特に妊婦さんは控えた方が安心である。神経質な皆様方は商品を手に取って吟味されるのでトラブルに遭遇する危険性は低いかと思う。

2017年7月31日 (月)

神経質礼賛 1410.心は流転する

 日常生活をしていく中であれこれ雑念が湧く。時にはそこに留まってしまうことがある。大事なことを忘れていやしないか、と気になって確認したくなることもある。嫌な気分や怒りの感情がくすぶって頭の中でそれを反芻して長引いてしまうこともある。体の不調が気になることもある。先のことがあれこれ心配になることもある。幸いにして、次々とやらなければならないことが発生するので、行動しているうちに雑念や確認願望や怒りや種々の心配・不安はいつしか消えている。浮かんでは消えていく空の雲のようなものである。雲を相手にして一喜一憂しても仕方がない。放っておけば、時間が経てば、自然に消えていくものだ。

 森田正馬先生は、「つまらないことに疑問が起こり気にする」という29歳男性会社員からの手紙に次のように返信しておられる。


 貴方の疑惑症と称するものは、之を治すのに、実際には、日常生活に於て、其疑惑の・様々に起伏出没するまゝに、之を其儘に、自由に放任しながら、急ぐ仕事は急いで、ひまの時には、ゆつくりと、其業務を怠らぬやうに、勤めて行かなければなりません。之が唯一の療法であつて、之より外に、決して治る事は出来ません。

 之は小生の療法で、神経質の頭痛持ちは、其頭痛のするまゝに、決して之を治す工夫をせず、常人と同様に、仕事をすればよろしく、又不眠の人は成るたけ、寝床につく時間を減少して、人一倍働くやうに・しなければならぬと同様です。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.484

 其強く心に、次第に推し進めて行く心理は、即ち、強迫観念の性質であつて、こんな想像や・考へを起すのは、余計なムダ事で、徒に仕事の能率を悪くするから、こんな考へを起さないやうにしやうと、我と心に反抗するから、益々其心が明瞭になり・強くなり・苦痛を伴うやうになります。若し、之を其のまゝに、思ひ流して行けば、決してそれが苦痛とはならず、絶へず流れ去って、濁った泥水も、水流が適度に早ければ、其水が早く澄むやうに、心の邪魔もなくなるのであります。尚ほこんな事を思ひすてるために、最後の決心として、便利な考へ方は、「世の中は、諸行無常で・定まりはない」「得べかりし金剛石を失ふのも、一朝に我家の焼け失せるのも、何とも、成り行きで仕方がない」「何不足、人は裸体で生まれたに」という風に思ひきる事です。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.486

 

 いろいろなことが気にはなっても、それはそのままにして行動していくうちに、自然に薄れていく。心は流転していくのである。

2017年7月28日 (金)

神経質礼賛 1409.「違くて」増殖中

 勤務先の病院が移転した15年ほど前からだろうか。若い外来患者さんの話す言葉に「~と違くて」という表現を耳にするようになった。最初は強い違和感があった。どこの方言だろうかとも思った。今ではしょっちゅう聞くようになっている。どうやら方言ではなく若者言葉らしい。

「違う」は動詞であるから、違くて、という活用はありえない。「違って」(違いて)が正しい。「違くて」は文法上違っているのである。「違う」の古語「違ふ」だと、違はズ、違ひタリ、違ふトキ、違ヘド、というようにハ行の活用になるので現代語よりスッキリしてわかりやすい。誤用の原因としては、動詞とは言っても、実際には状態を示す言葉なので、形容詞に近い働きをすることが考えられる。それにしても、今の小学校の国語では動詞の活用を教えないのだろうか。いわゆる「ゆとり教育」や英語の導入で国語はすっかり軽視されてしまったのかもしれない。言葉は時代とともに変化していく。誤用もそれが過半数に浸透すれば、正しくなる。今では「ら抜き」言葉もすっかり定着してしまった。逆に「行けない」を「行けれない」と言う「れ入れ」言葉、「行かせて」を「行かさせて」とする「さ入れ」言葉も珍しくない。もしかすると将来は「違くて」が正しくて「違って」は古めかしい言い方とされてしまう可能性もありうる。それでも神経質人間はそうした現代表現に簡単には靡かないのである。

2017年7月24日 (月)

神経質礼賛 1408.電波ソーラー時計でも遅れる

私の腕時計は長年CASIO製品である。デジタル時計は電池が5年もつというのを買い続けていた。電池は平気で10年位もつけれど5年位でゴムバンドが切れて買い替えてきたのである。12年前に電波ソーラーのデジタル時計に買い替えた。ステンレスバンドなので切れる心配はなく、まだちゃんと使えている。ただしちょっと重いので、6年前にアナログ表示の電波ソーラー時計を買って、現在はこれを主に使っている。ところが2年ほど前から20秒遅れるようになった。インジケータを見ると電波はちゃんと受信できている。まあ、20秒なら許容範囲内である。ところが突然、遅れが120秒になってしまった。これはいけない。正確な電波時計だと思ってアテにしていると電車に乗り遅れる心配がある。いよいよ壊れたのかなあとも思ったが、アラームは正確な時刻に鳴っている。つまり、内部は正確ながら針表示がズレてしまっているのだ。神経質人間ゆえ、取扱説明書は全部保管してある。早速出して読んでみると「針の基準位置合わせ」という項があった。

「強い磁気や衝撃を受けると、針が基準位置からずれることがあり、電波受信を行っても正しい時刻を表示することができません。以下の操作を行って針の基準位置を確認し、ずれている場合は、基準位置を合わせて下さい」ということで操作法の説明が書かれていた。その通りに1回やってみて、まだズレていて、もう1回やったらピタリと合わせることができた。

やはり取扱説明書はとっておくものである。

2017年7月21日 (金)

神経質礼賛 1407.うなぎ茶漬け

 子供が昔お世話になったピアノの先生が2、3年に1回、海外の弦楽四重奏団と組んでシューマンやドボルザークのピアノ五重奏曲をメインとしたコンサートを開いている。先日は前回と同様、ワルシャワ・ストリングカルテットと組んでの演奏会が銀座の王子ホールで行われたので聴きに行った。普段、東京に行った時の食事は牛丼屋で済ませてしまうことが多いのだが、このところの暑さでバテ気味なので、夕食は奮発してうなぎ料理屋へ行った。

 うなぎが年々食卓から遠くなっている。スーパーに並ぶ国産うなぎ蒲焼は長焼きで2000円位。中国産でも1500円位する。店のうな重も3000円台からである。これでは簡単には口に入らない。そして資源枯渇のため、近い将来うなぎが全く食べられなくなる心配もある。うなぎの生態を解明して完全人工養殖できるようになってほしいものだ。

 浜松に住んでいた頃、浜松駅近くの広小路に明治時代創業の「八百徳」といううなぎ屋があって、うなぎ茶漬けを売りにしていた。何度か店の前を通り一度食べてみたいと思いながらついぞ入る機会がなかった。昨日は有楽町駅近くの東急プラザにある「うなぎ徳」という店に入った。八百徳の肴町店が発祥だという。もっとも広小路の八百徳さんはホームページ上で関係を否定している。ともあれ、うなぎ茶漬けを注文する。名古屋の「ひつまぶし」と同様の食べ方である。おひつを開けると刻んだうなぎ蒲焼が御飯に乗っている。杓文字で茶碗に取ってまずはそのまま食べる。次は薬味(ワサビとネギ)を乗せて食べる。最後に蒲焼の上から出し汁をかけて茶漬けにする。どれも美味しい。3通りの味が楽しめて良い。ひつまぶし・うなぎ茶漬けは、最初は型崩れした蒲焼を利用したまかない料理だったという。お店のうなぎ茶漬けはきれいな蒲焼に包丁を入れているが、浜松でよく売られている瓶詰めの刻んだうなぎの蒲焼は型崩れしたものや半端になったものを利用しているのであろう。それを利用すれば、家庭でも手軽にうなぎ茶漬けが楽しめるというものだ。半端なものでも上手に利用して価値を最大限に高めてやる、というのはまさに「物の性(しょう)を尽くす」(350)に他ならない。

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