神経質礼賛 2088.願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃
3日前、母が逝った。去年の秋から、転倒による骨折や心不全のため救急車で入退院を繰り返し、今年に入って施設で発生したクラスターのためコロナ罹患。何とか持ちこたえたが、その後、誤嚥性肺炎を起こして危ない状態が続いていた。妻・弟と一緒に面会した際には、酸素マスクを着けてあまり言葉が出なくなっていたけれども「今度来る時に虎屋の羊羹を持って来るね」というと目を輝かせてにっこり笑ってくれた。施設での看取りをお願いしていたので、訪問診療の医師や看護師さんから毎日、電話で状況が報告されていた。一週間後、この前の日曜日に羊羹を持って行ったが、もはや声掛けには反応せず、目を閉じたまま浅い呼吸をするばかりだった。その日の夕刻、看護師さんから下顎呼吸になりました、との報が入り、いよいよだなと思った。次の20日午後に亡くなった。享年91歳。農家の生まれで、親からは「女に学問はいらない」と言われて男兄弟が大学に行かせてもらっているのに近所の商業高校に入れられて悔しい思いをした。夫が亡くなり、息子である私が会社員を辞めて医大に入りなおしたのを見て、短大の栄養学科に入学した。60歳で卒業してからは、栄養普及や精神障碍者のためのボランティア活動を続けていた。己の性を尽くし人の性を尽くし物の性を尽くす。まさに生き尽くしての大往生だったと思う。
今、桜が咲き始めている。西行が「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠い、亡くなったのは、新暦で言うとちょうど今時分にあたる。亡くなる時は選べないけれども、母らしくいい時に逝ったと思う。昨日通夜で今日これから葬儀である。棺の中には食べることが叶わなかった虎屋の羊羹を入れて送ろう。
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