鈴木知準(すずきとものり:1909-2007)先生が亡くなられて1年になる。多くの神経質者から「知準(ちじゅん)先生」と慕われてきた方である。長年、鈴木知準診療所で入院森田療法を行っておられ、御著書も多数ある。日本森田療法学会雑誌に追悼記事が載るだろうと思っていたが、今年の4月号をよく見ると理事会報告の中に「鈴木知準理事が逝去された」という一文があっただけで、最新の10月号でも全く触れられていない。同じく森田正馬先生の高弟であり高良興生院で入院森田療法を行っていた高良武久(こうらたけひさ:1899-1996)慈恵医大名誉教授が亡くなられた時には「追悼の辞」が掲載されたことを思うと、臨床家と学者では扱いが異なるのは仕方ないが、ちょっと寂しい気がする。
私が知準先生の御姿を拝見したのは十数年前の森田療法学会の会場である。すでに80代ではいらっしゃったが、一般演題の質疑応答の際にはよく発言されていた。特に心理系の先生が少々理論に偏った発表をされると厳しい質問をされていたように思う。その都度、発表者の上の先生が助け舟を出して代わりに回答していた。やはり「打ち込み的助言」で実践重視の知準先生ならではだなあと思った。私の発表はいつも実際的な治療技法に関するものだったので、幸か不幸か知準先生の質問の洗礼を受けたことはなかった。
その知準先生は学生時代に神経症に苦しみ、昭和2年に森田先生のところに入院している。第8回形外会(昭和5年12月)の記録に、知準先生の発言がある。
中学3年の一学期から眠れなくなり、小さな物音でも目が覚めるため、土蔵の2階で寝て、母親に番をさせた。眠れずに野原をさまよい歩き、(心配した親が)提灯を持ってつけてきた。不眠の苦しさに時計を投げつけたり、家をひっくり返そうとしてナタで柱を半分切ったりもした。空気銃を買ってもらって雀を撃って、鬱憤をはらそうともした。種々の民間療法を受け、医者にも12人ほどかかったが良くならなかった。4年の3学期に(森田)先生の本を見つけて買ったが、人から神経衰弱と思われるのが嫌で隠していた。中学の先生から(入院してよくなった人の)経験談を聞いて、入院することになった。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.79-80)
知準先生の他数名の発言に対して森田先生は次のように述べている。
皆さんのお話を聞いて、神経質は徹底的であるという事がわかる。元来、神経質は理屈から出発して、自分で当然こうあるべきものと決めれば、人情をも没却して、押し通してしまい、随分無理な事をもするようになる。鈴木君が柱をたたき切ったり、夜中にウロウロ出歩くとかいう事実をそのまま聞けば、狂人のようにも思われる。しかしこれが理屈から出発したという事を確かめて、初めて神経質という診断がつくのである。 <中略> この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から釈迦でも、白隠でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶し苦労した事のない人にろくな人はない。 (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.82)
知準先生の場合、今なら「自傷他害のおそれあり」の精神病症状ということで措置入院(都道府県知事命令の強制入院)にでもなりかねない激しい症状だったことがわかる。御両親の過保護も症状を悪化させた一因だったかも知れない。しかし、森田先生は神経質であることを見抜かれ、森田療法を適用された。家族的な雰囲気の中での再教育で知準先生は生まれ変わったように勉強に集中できるようになる。退院してからも森田先生にいろいろと相談し指導を受け続ける。森田先生も知準先生を自分の子供のようにかわいがっていた。やがて知準先生は旧制浦和高校から東京大学医学部に進学。御自分と同じように神経質に悩む人を助けたいという気持ちから精神科医を志すが、森田先生のアドバイスに従って一旦は内科に入局し、それから精神科に移っている。昭和26年に静岡駅近くで診療所を開業され、森田療法を実践された。私の母方祖父が家族に隠れてそこに通院していたことは以前に書いた通りである(118話)。昭和39年には東京の中野に診療所を移し、作業にバラ栽培をされていた。入院患者さんとともに生活し、1年365日、直接指導にあたられた。入院治療を受けた人は約5000人にのぼる。雑誌「今に生きる」を発行し、森田先生と同様、退院後の指導も徹底されていた。入院者に限らず、「不安は不安だけでそれっきり」という知準先生の指導で症状の悪循環から脱却した神経質者は数知れない。
鈴木知準先生が亡くなられて、森田正馬先生の直接のお弟子さん、いわば第2世代の治療者は姿を消した。精神療法は時代とともに変遷していくものである。今では森田療法もずいぶん変化しソフトになった。治療者も父親的というよりオトモダチ的な存在と化しつつある。適応範囲が広がった反面、切れ味が甘くなったきらいも否めない。森田先生の「先生が恐ろしいのは、勉強が苦しいように、当然の事であって、もし、それが友人や路傍の人のようであっては、ここへ入院しても、なんの効もないのである(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.409)」という発言が浮かんでくる。森田先生にせよ知準先生にせよ、御自身の神経症体験をふまえて、厳しくも心温かな治療者だった。神経質者の再教育に一生を捧げられた知準先生の姿勢からあらためて学ぶべきことは多いように思う。