フォト
無料ブログはココログ

2023年6月 4日 (日)

神経質礼賛 2113.菖蒲?

 先月の終わり頃からあちこちに紫陽花(1035話)を見るようになった。街中でも鉢植えやプランター栽培ながら見事に花を付けているのを見かける。色や形は様々であり、つい、足を止めて見とれてしまう。梅雨の季節の到来を告げる花でもある。この時期の花で街中ではなかなか見ることができないのが菖蒲である。先日、静岡浅間神社に行った時、池のほとりに咲いていた。さて、これはショウブだろうか。それともアヤメだろうか。待てよ。ハナショウブ、カキツバタもあるが、どれだろうか。今までも違いを調べて、その時はわかったような気がするのだが、すぐに忘れてしまう。

 厄介なことに、漢字の「菖蒲」の読みはショウブであり、アヤメでもあるのだ。実にややこしい。植物分類はショウブ科とアヤメ科で異なっている。

 ショウブはショウブ科で、葉につやがあり香りが強い。端午の節句には菖蒲湯に入って邪気を払う風習があった。池沼などの湿地に群生。葉の基部は淡い紅色。黄緑色の楕円形の花が5月~7月に咲く。
 アヤメはアヤメ科で、花びらの根本に網目模様がある。葉脈は目立たず細長い。畑や草原など乾燥した地に5月上旬頃に咲く。
 ハナショウブはアヤメ科で、江戸時代に盛んに品種改良され栽培された。葛飾の堀切菖蒲園は有名で歌川広重の錦絵の題材にもなっている。花びらの根元に細長い黄色の模様がある。葉は表に1本裏に2本の葉脈がある。乾燥地や湿地に群生。花の色は紫だけでなくピンク・白・ブルーなどがある。5月中旬~6月下旬に咲く。
 カキツバタもアヤメ科で、湿地に群生。花びらの根元に白い模様があり、葉の幅は広い。5月中旬頃に花が咲く。

 ということだそうだが、離れて見たのでは分かりにくい。私が見たのはどうやらハナショウブらしい。ついショウブと呼んでしまうけれども、考えてみれば黄緑色のショウブの花は見たことがない。全く別物であることを知った。

 

2023年6月 3日 (土)

神経質礼賛 2112.帰宅困難(2)

 長距離通勤していると台風や大雨などのため電車が止まって帰宅困難(708話)となることがある。以前に三島の病院で勤務していた時も何度か間一髪のところで帰宅できたり、諦めて病院に泊まったりしたことがあった。昨日はまだ6月初めだというのに台風と前線の影響で線状降水帯が発生。午後から激しい風雨が続き避難勧告まで出て、午後4時の段階で病院職員にも帰宅指示が出た。浜松から通っている薬剤師さんと一緒にタクシーで掛川駅に向かったが、時すでに遅し。改札前のホワイトボードには在来線も新幹線も運転見合わせで再開の目途が立たないと書かれていた。それでも在来線の下りは5時15分頃に浜松行が一本出発。薬剤師さんはそれで帰れたようだ。スマホで降水予想を見ると、運転再開は絶望的だ。どっちみち土曜日は一日勤務なので、駅前のコンビニで食料を買い込み、タクシーで病院に戻る。籠城策である。

 病院で自分の部屋には古い布ソファがある。ダニがいそうで普段から座るのは避けている。そこに横になる。浜松医大に勤務していた頃、早朝に医局に行くと、大原健士郎教授がソファで寝ておられたなあと思い出す。自分もその頃の大原先生の年齢を超えてしまったか、と感慨深い。夜中に目が覚めると、やっぱりダニに刺されていた。あわてて軟膏を塗り、ソファには殺虫剤を噴射する。感慨も消散していく。

 

2023年6月 1日 (木)

神経質礼賛 2111.大河ドラマ館

 例年NHKの大河ドラマを見ることはない。時代考証が入っているとは言え、相当フィクションが入り、人物像も極端にデフォルメされ、人気役者(アイドル)に合わせた設定にしているのが面白くないからだ。今年は例外的に家康がテーマなので最初から見ている。「何だこれ?」というのが正直な感想である。のちの家康となる竹千代少年が一人でおままごとをしていて、それに後に妻となる瀬名が加わって二人で遊ぶ、いくら何でもこれはありえないだろう。桶狭間の戦いで今川義元が討たれたという情報が入り、家臣たちから「どうする、殿!」「どうする!」と迫られて「もう嫌じゃあ!」と一人遁走して場面は海岸にいきなりワープ。そこにまだ13歳位のはずののちの本多忠勝が言いがかりをつけるシーンもヒステリーの解離症状を表現したのだろうか。毎度ツッコミどころ満載ではあるけれども、従来のイメージと異なり、自分の弱さと向き合い、悩み続け、ビクビクハラハラのまま道を切り開いていく家康像は神経質ぶりが表現されていて評価できる。

 ドラマに合わせて静岡浅間神社の中に大河ドラマ館が1年間の期間限定で開かれているので見に行ってきた。この建物は元々市立の小さな郷土資料館で、地元の文化財の展示を時々見に行ったものである。2階へ上がるとドラマ初期のストーリー紹介、登場人物の衣装の展示があった。このあたりはドラマの進行に合わせて展示替えしていくのだろう。着物の色にイメージを重ねるのが最近の大河ドラマの傾向らしい。今川義元は濃紺、家康は水色、信長は黒、武田信玄は赤というテーマ色で統一している。浅間神社の宝物の展示が少しあって、家康が戦の際に身に着けた瓢箪「勝瓢(かちふくべ)」を見た。1階に降りると15分ほどのビデオ上映をしていて、出口の近くには家康・瀬名・今川義元の等身大パネルが立っていて、記念撮影できるようになっていた。まあ、わざわざ見に来なくてもJRの駅に置かれている「どうする家康」の無料パンフレットをもらってくれば役者の写真も入っていてそれで充分な気もする。現在、東京の三井記念美術館では「どうする家康」の展覧会を開催していて関連の文化財を見ることができる。秋には静岡市立美術館に移動してくるので楽しみにしている。

 

2023年5月28日 (日)

神経質礼賛 2110.アプリ払い

 高校同窓会の会報が春と秋に送られてくる。同窓会の集まりや部活OB会などの話題に加えて、春は教員の異動・大学合格者数の話題、秋はスポーツ大会、特に野球部の試合成績が取り上げられている。8ページの春号の後ろ3ページは卒業期ごとに同窓会維持費拠出者名が載せられている。そこに名前が載っているということは元気にしているということである。維持費は郵便局で払い込むのだが、今回の記事にはアプリ払いによる拠出者が別枠に記載されていた。後期高齢者の方々も利用されているようである。

 「電子マネー」の記事(1393話)を書いてから7年ほど経った。その後、キャッシュレスに誘導するためのバラマキ政策が次々と打ち出されたこともあって、急速に普及してきた。ほとんど現金払いだった私自身、電車バス、セルフのガソリンスダンドだけでなく、スーパー、ホームセンターのプリペイドカードを作ってしまった。美術館も予約制になるとともに入場料はカード払いになってしまっては、それに従わざるを得ない。かつては年末から年始の間に現預金のチェックを行い、現金出納帳に記載もれがないか調べていた。たいてい、記載漏れによる不足が生じており、それを清算して新年を迎えていたものだ。もはやそれは不可能となっている。まだやっていないが、アプリ払いまで始めたら、ますますわけがわからなくなるのではないかと心配である。

 「キャッシュレスの落とし穴」(1688話)に書いたように、キャッシュレスには死後の問題や認知症になった場合の問題がある。そうでなくても、財布の「見えない化」により、自分が一体いくら持っていていくら使ったのかわからなくさせる問題がある。金銭感覚を麻痺させてしまうのだ。プリペイド残額が少なくなって現金でチャージをする時には意識するけれども、オートチャージのアプリ払いではそうはいかない。ポイントの餌に釣られてついつい遣い過ぎてしまうことも起きやすい。外来の患者さんで浪費のために困ったことになっている人の話をよく聞く。神経質が足りないと大変なことになる。

 

2023年5月25日 (木)

神経質礼賛 2109.相続税の申告

 母親の銀行預金・ゆうちょ通常貯金の相続手続き・生命保険の死亡保険金受取・生協脱退による出資金返還などが完了した。それらを合わせても、基礎控除額の半分にも満たないので、全く相続税の対象外であり、税務署への申告は不要である。相続税の申告期限は10か月以内。父が亡くなった時も、基礎控除範囲だったため申告しないでいたら「お尋ね書」が送られてきて私が書いて郵送した記憶がある。財務省のホームページに「相続税の申告要否の簡易判定シート」というものがあって、これに入力していくと、最終的に「相続税の申告要否検討表」という3枚の書類がプリントアウトできた。忘れていて税務署からのお尋ねが来て慌てるのも困るので、これを持って税務署に行くことにした。今日は自分自身の市立病院受診日だったので、それを済ませてからすぐ隣の税務署へ寄ってみる。確定申告の時と異なり、来署者は誰もいない。窓口の人もこんなものを提出する人はいないためか戸惑っている。とりあえず受け取ってもらった。

 出かけた足で、そこから遠くない茶町へ向かう。例年、新茶を送り、家で使うお茶もまとめ買いをする時期だ。以前はこの町を歩いていると新茶のいい香りや、ほうじ茶を作っている香ばしい匂いが漂っていたものだが、近頃はお茶の消費が低迷しているためか、お茶屋さんも減ってしまっているような印象がある。今年はクラス会で久しぶりに会ったお茶屋のK君の店で買うことにした。K君は農学部大学院博士課程で学んだ後、地元に戻ってお茶屋を継ぎ、奥さんと二人三脚で仕事をしながら、地元の短大で講師をし、お茶文化を広げる活動をし、今も次々と研究論文を書いている。こういう人と話をしていると、とても触発される。

 

2023年5月21日 (日)

神経質礼賛 2108.マスクのない日常

 新型コロナの5類移行に伴い、マスクのない日常に戻りつつある。道行く人々もマスクなしが増えて来た。電車の中ではマスクをしている人が多い。TV番組のクラシック音楽館で最近のオーケストラの演奏を見ていると、弦楽器奏者では減ってはきたがマスクをしている人がまだいる。職場では入院患者さんの面会・外出・外泊がようやく可能になった。ただし、外部の人との接触状況によっては感染防御のために帰院後に部屋を替わっていただく場合がある。そして、新規入院の方のコロナウイルスの定性検査は続いている。職員のマスク常用は変わりない。出勤時と退出時の1日2回検温して記録用紙に記入していたのが出勤時だけに緩和されている。院内にコロナを持ち込んだら大変なことになるので、まだまだ油断はできない。マスク常用はもうしばらく続くことになるだろう。

 先日のクラス会の写真集がメールで送られてきた。会場内では途中から皆マスクを外していたから、しっかりいい笑顔で写っている。長いことマスク常用が当たり前だったから不思議な感じもするが、これが本来の姿だよなあ、と思う。

 新型コロナ流行以前は精神科ではマスクをする習慣がなかった。マスクをしていると表情が伝わりにくくなる。対人恐怖の人の場合はマスク常用で少し気持ちが楽だったことだろう。密を避けるためにイベントが中止されて人と会う機会も少なくなっていた。マスクなしの日常が戻ってくると、女性はお化粧に時間がかかるようになり、対人恐怖の人は苦手な場面が増えるかもしれない。

 

2023年5月20日 (土)

神経質礼賛 2107.脚下照顧

 今年度、町内の組長の番が回ってきた。年度初めの引継ぎの会合には私が出た。まずやることは町費の集金である。これは妻がやってくれていた。これから神社の草取り、祭りの準備などいろいろ出なくてはならないから、手分けしてやっていくことになる。仕事から帰ってくると、同じ組の中でいつも不在の家があって、その家だけまだ町費をもらってない、と妻が言う。 「今、その家の前を通ったら電気が点いていたよ」と私が言ったら、「ほんと?じゃあ、すぐ行ってくる」と妻はすっ飛んで出て行った。それから1分後に騒ぎが起きた。その家の前の駐車場の車止めのコンクリートに躓(つまづ)いて転倒して、左顔面を強打したというのだ。集金はできたが、家に戻って玄関の鏡で自分の顔を見てびっくりしている。左眼の少し外側と左膝を切って出血している。鼻血も出ている。不幸中の幸いで、眼には問題なく、鼻血はすぐ止まり、頬骨骨折もなさそうであり、医療機関を受診するほどではなかった。普段から「亥年生まれだから」と猪突猛進ぶりを自認している人であるが、私も人のことは言えない。商店の前の駐車場の車止めに躓いてコケたり新しい革靴に傷を付けてしまったりしたことがある。

 よく禅寺の玄関に脚下照顧と書かれた額がある。日々の暮らしの足元を照らし顧みよ、という戒めの言葉である。高齢者の仲間入りをした私や妻の場合はそんな深い意味よりまずは単純に足元注意ということになるだろう。森田先生は次のように言っておられる。
「捉はれ」とは、物事の或る一方面のみに注意するため、其全般を観ることが出来ず、之に対する適切なる処置を採ることの出来ない事をいふのである。下を見て歩けといはれて、クヾリで額を打ち、上を見なければいけないと思って、物に躓くやうなものである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.400)
一方ばかり見ていないで四方八方に気を配りなさい、ということなのである。

 

2023年5月18日 (木)

神経質礼賛 2106.カバー絵

 『ソフト森田療法』の出版準備は1月半ほどストップしていたが、ゲラ再校が終了。編集者さんからは本の表紙カバーのデザイン案が送られてきた。4案のうち2案は茂った木々、緑の木の葉をデザインしたもの、もう一案はタンポポの花、最後が殻付き落花生の絵だった。最後のものがロゴデザインや配置が一番よいと思ったが、本の内容と殻付き落花生との関連がどうしても思い当たらない。タンポポは暖かさや力強く生きる様がピッタリであるけれども、渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』の文庫本カバーに使われているので避けたい。そこで、最後のもので、絵を差し替えられないかとお願いしている。差し替える絵のテーマは青もみじと楓花(ふうか)である。

 ちょうど6年前、京都国立博物館で海北友松(かいほうゆうしょう)の展覧会を見た後、智積院の長谷川等伯の絵を見に行った(1386話)。境内は新緑が見事だった。もみじの木が多くて、秋だったら美しい紅葉が楽しめるだろうに、ちょっと残念だなあ、とまず思った。しかし、青もみじをよく見るとかわいらしい赤やピンクのプロペラ型の楓花を付けているのに気付いた。これもまた素敵である。この羽部分の片方には種が入っている。夏になると茶色く変色して、風に乗って竹とんぼのように回転しながら飛翔していくのだそうだ。そして遠く離れたところで芽吹くのだ。自然の仕組みにはただただ感嘆するばかりである。森田療法の考え方も同様に広がって行ってあちこちに根を下ろしてほしいと思う。

 

2023年5月14日 (日)

神経質礼賛 2105.クラス会

 昨夜は高3の時の恩師の米寿祝・クラスメートの日本学士院賞受賞祝の高校のクラス会があった。クラスのメンバーで集まるのは何十年ぶりだろうか。同じ学年が集まる同期会はあったが、それもコロナの影響でここ3年は開かれていなかった。53人のクラスで26人が集まった。5人逝去しているから過半数である。地元に残っている人は少ない。卒業後初めて顔を合わせた人も何人かいた。その大方は医師で多忙のため動きが取れなかった人たちである。そのうちの一人は同じ弦楽合奏部で部長をしてチェロを弾いていた男だ。チェロはあるけれども全く弾いていなくて「今はこれだよ」とポケットからハーモニカを出して見せる。クリニックを開業していて、お年寄りの患者さんたちの前で演奏することが多いという。これならいつでも持ち歩けて良さそうだ。私もポケットに入るソプラノのオカリナを持ち歩こうかなとも思う。

 恩師はお元気そうな御様子で、昔話に花が咲いた。記念撮影では米寿を祝う金ぴかの衣装と帽子を付けておられ、かわいらしかった。今回、受賞された狩野正伸氏のスピーチがあった。彼はいわゆるガリ勉タイプではなくサッカー部で大活躍していた。それでいて、恩師が解けないような数学の超難問をスラスラ解いてしまうので、天才だと思われていた。数学がまるでできない私から見たら雲の上の人という存在だった。基礎医学の研究者となり、東大教授になった。「みんな、僕がなんの苦労もなくここまで来たと思っているでしょうけど、研究していて全く成果が出なくて、それこそ、どうする、と思ったときがあります。同期で臨床医になった人たちが着実にキャリアを積んで患者さんたちを治していくのに、自分は何も実績がないじゃないかと悩みました」という。それでも地道に実験を続けて今に至ったのである。高校生の時は彼を見て、私は「自分は頭が悪いからどうにもならない」と決めつけていた。それは神経質のヒネクレ・言い訳であって、頭が悪ければそれを補うようにその分、努力するしかないのだ。神経質には粘り強さがあって努力が長続きしやすいから、小さくても何かしら成果を出すことができる。まさに努力即幸福(180話)である。

 

2023年5月11日 (木)

神経質礼賛 2104.もらって困る引物(2)

 昨日、仕事から帰ってくると荷物が届いていた。香典返しの品だった。母が亡くなる直前に父方叔母の御主人が亡くなり、一日葬とのことだったが、こちらも通夜で動きが取れず、香典だけお届けしたのだった。デパートの包装紙を開けてみると「プチプチ」のクッション材で包まれたボール箱が出てくる。割れ物なのかと思いきや箱の中は「ガーゼケット」という夏向きの寝具だった。良いものではあろうけれども使う見込みがないので、押入の枕棚へ直行である。そして、そのまま忘れ去られることになるだろう。枕棚にはそうした香典返しのタオルやシーツたちが鎮座している。

 十年以上前に「もらって困る引物」(761話)について書いている。家族葬の増加、ここ3年ほどはコロナ禍のため葬祭での密集を避けて、規模が縮小化される流れにはなっているが、香典やその引物はあまり変化がないように思う。今回、引物を出す側を経験した。香典を頂いた時に渡す「即日返し」は軽いフリーズドライの味噌汁セットとして、一万円以上の香典を頂いた方には四十九日頃を見計らって「半返し」相当のカタログギフトをデパートから送った。カタログギフトというと結婚式の御祝儀のお返しというイメージがあるかもしれないが、不祝儀用のカタログギフトもあって、カタログ本の表紙は地味な色柄となっている。内容的には肉や酒類の選択肢もあって、もらって困ることはまずないと思われたからだ。ただし、欠点は、重くて分厚いカタログ本は捨てることになるのと、申込期限があるから忘れてそのままになってしまう恐れがあることだ。本当は香典や引物の習慣はもっと簡略化されるのが望ましい。

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

最近のトラックバック

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30