2009年7月13日 (月)

神経質礼賛 445.夏みかんパワー

 毎年、6月から7月にかけて、実家の庭には夏みかんが実る。元は私が子供の頃に父親が数本のみかん・夏みかん・八朔の苗を植えたものだ。父が亡くなってから長いこと放置されていて、みかんと八朔の木は枯れてしまったが、夏みかんの木は元気で毎年実をつける。正真正銘の無農薬・無肥料である。例年、取りきれなくて(食べ切れなくて)最後は腐って落ちてしまう。だから、毎週仕事が休みの日に母親の安否確認がてら実家に行くと、夏みかんを大量に持たされることになる。しかし、子供たちは、酸っぱいと言って、食べてくれないので、私と妻で食べることになる。一応は「甘夏」なので、それなりの甘味もある。面倒ではあるけれど神経質らしく、皮とホロをむき、深めの皿に入れてラップをかけて冷蔵庫に入れておく。外出から疲れて帰った時につまんで食べると、酸味とほどよい苦味でしゃきっとしてくる。やはり季節に合った自然な食べ物なのだろう。

 夏みかんにはクエン酸が多量に含まれている。筋肉内の疲労物質「乳酸」の代謝に関与するとともにカルシウムなどのミネラル吸収を促進する効果がある。最近のスポーツドリンクはクエン酸を配合したものが販売されているのでその効果は御存知かと思う。ビタミンCも多く含まれ、栄養分析表を見ると、果肉100g中40mgのビタミンCがある。夏の日焼けに良さそうである。多くはないがビタミンB1・B2も含まれる。それに良質な食物繊維をたっぷり摂ることができる。近頃は発ガン抑制物質も話題になっている。果肉中のβ-クリプトキサンチンや苦味成分のリモノイドに発ガン抑制作用があると言われる。さらにマーマレードとして食べると、皮の香り成分オーラプテンにも発ガン抑制作用があるという。こうしてみると、いいことずくめである。

 小学生の時に学校給食で出た夏みかん(半分に切ったもの)は実家の夏みかんよりもはるかに苦味も酸味も強かった。今は果物でも野菜でも甘くて苦味や酸味の少ないものが好まれるが、昔ながらのものの方が体に良い成分が多く含まれていることもある。夏みかんパワーを見直してはどうだろうか。

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2009年7月10日 (金)

神経質礼賛 444.縁起の悪い語呂合わせ

 数字の4は「死」、9は「苦」を連想させるので、それらの番号は嫌われやすい。かつては、ホテルや病院の部屋番号で末尾が4や9は避ける場合があったが、番号を飛ばすのは何かと不便であるから、最近はそこまではしないようだ。私が勤務している病院も現在は4号室や9号室がある。キリスト教圏の国ではキリストを裏切ったユダが13番目の弟子だったことから13が忌み嫌われる。

 私は小学生の頃、数字が気になって、廊下を歩く歩数を数えて末尾が「4」とか「9」になるのを嫌って、歩数を調節する、という不自然な歩き方をしていた時期があった。中学の時の担任の先生が「皆さんは4を嫌うけれど、私は44が好きです。し合わせ、と読めるから」と言っておられた。なるほど、とは思ったが、やはり何となく気持ちが悪いものである。

 医師になりたての時、最初に買った軽自動車のナンバーは「く 7979」だった。どう考えても「苦、泣く泣く」と読めて縁起が悪い。この車に乗っていた5年間に小さな接触事故を2回経験したが、これは単に運転技術が未熟だったためである。大学に助手で戻る前は勤務先の病院から週1回大学病院の専門外来を担当して夜は研究会に出席してから帰っていて(往復300km)、スピード違反で一度捕まったことがある。これもまあ、ナンバーのせいではないだろう。車を買い換えたらナンバーは「ね 8786」になった。「今度は、ね、やな野郎 だね」とセールス氏に嫌味を言うと、「花ハローと読んで下さいよー」と言っていた。ものは考えようである。

 強迫神経症(強迫性障害)で縁起恐怖というものがある。縁起が悪いことを過度に恐れ、無理にそれを避けるような行動をしてしまうものだ。そうなると、日常生活にも支障をきたしてしまう。不吉に思われる数字も他の数字と何ら違いがあるわけでなく、勝手に意味づけしてしまうだけのことである。気味が悪いという気分はそのままに、それを避けずに必要な行動を続けていくことが大切である。縁起を良くするような儀式をしては強迫行為のワナにはまってしまう。

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2009年7月 6日 (月)

神経質礼賛 443.短歌の周辺

 通勤の電車でJR東海のポスター広告を見かける。TVでも宣伝している「そうだ京都行こう」に比べると地味だけれども、奈良の旅へと誘う万葉集をテーマにしたものもあって、野に遊ぶ鹿たちの写真を背景に「夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも   崗本天皇」とある。知りたがりの神経質ゆえ、まず、崗本天皇とは誰のことだろう、と疑問がわく。歴史上、聞いたことがない天皇名である。調べてみると、明日香崗本宮を御所とした天皇を意味し、舒明天皇またはその皇后で夫の死後に女帝となった皇極天皇(さらに再度即位して斉明天皇)のことだそうだ。歴史上有名な中大兄皇子(天智天皇)の両親のどちらかということになる。また、「小倉の山」は平安時代の歌枕として名高い京都の嵯峨が頭に浮かぶが、時代から言ってもちろんそこではなく、場所は不明とのことである。

 一枚のポスターでちょっとした歴史探訪ができる。次はどんなポスターになるかまた楽しみだ。

 われらが森田正馬先生も短歌や俳句を詠んでおられる。古歌をもじった教育的な歌をよく色紙に書かれている一方、日常生活をそのままうたった歌や故人をしのぶ歌もある。

 世の中に 我といふもの 捨てて見よ 天地万物 すべて我がもの (古歌)

 何事も 物其ものに なって見よ 天地万物 すべて我がもの  (森田)

 古歌にあるように、雑念を捨て去って無我になることは極めて難しい。禅の修業を積んだ人ならばともかく、私のような凡人では無我になろうとしてできるものではない。しかし、森田先生の言われる「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」というように、そのものを最大限に生かすように行動していくことは雑念を浮かべたままでもできる。そうして行動していくうちに自己中心性が薄れ、いつのまにか雑念にとらわれていない自分にふと気付くということになるものである。

靑市場 キャベツの球の ころころと ころがりてあり 露に光りて (森田)

 森田先生の医院兼自宅の近くには青物市場があって、先生はよく患者さんたちを連れて行った。何をするのかと言うと、飼っている小動物の餌にするために、捨てられたクズ野菜を拾いに行くのである。患者さん、特に対人恐怖の人にとってはとても恥ずかしいことだった。時には市場の人から「いい若い者が何やってるんだ」と言われることもあった。対人恐怖のため学生時代に森田先生のところに入院し、後に香川大学教授となった大西鋭作さんは次のように振り返っている。

入院生活の断片と森田療法(大西鋭作)

 森田先生の号は「形外」です。形外とは、形式を無視し人間の心の事実に生きるという意味と思います。「形外」は、先生の生活の至る所で、私達は感じたものでした。大学教授・医学博士たる先生が、粗末な着物で、近くの青物市場へ、鶏の餌にする野菜拾いに患者を引きつれて行ったこと等は、形式を無視し物を惜しむ神経質が作り出した傑作です。修業というようなケチな堅苦しいものではありません。人の足に踏みにじられ、捨て去られる野菜を惜しいと感ずる純なこころの動きに素直に応じただけのことです。(白揚社:森田正馬全集 月報三 昭和49年8月)

 大西さんにとっても野菜拾いは辛い作業だったろう。当時の大学生、特に帝大生は今と違って超エリートである。市場で働いている人たちの視線はさぞかし痛かっただろう。しかし、作業中心の生活をしているうちに症状をかえりみることも少なくなってしだいに視野が拡がり、退院する頃には森田先生と同様にキャベツの光る露にも目が行くようになったのではないかと想像する。

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2009年7月 3日 (金)

神経質礼賛 442.感情の法則と90秒ルール

 毎日新聞の日曜版に心療内科医(歌手)・海原純子さんの「一日一粒 心のサプリ」というコラムがある。621日の話は90秒ルールに関するものだった。ささいなことで怒りが爆発しやすい「瞬間湯沸かし器」のような人の例を出して、最近の脳科学の研究から、脳から放出された化学物質が起こす反応は90秒以内におさまるので、怒りを感じたら90秒間何とかやりすごすとよい、というような話だった。これを読んだ妻は「90秒なんて、とても待てない!」と言う。妻と性格そっくりの息子とは「混ぜるな危険」の関係で、二人の間でいつも同じシナリオでのケンカが繰り返される。小言を言う前にワンテンポ待ったら、と妻にアドバイスするのだが、どうも学習効果がない。

 脳科学が進んでいなかった今から百年近く前に森田正馬先生はすでに「感情の法則」について書かれているが、現在でも通用する立派なものである。

 常識養成の根本とする処は広くいはゞ即ち心身の訓練にして狭くいはゞ即ち感情の修練なり。されば先づ感情の特性に就て考ふるに

一、感情は常に同一の強さを以て永く持続するものにあらず、之を放任すれば自然に消失す。

二、感情は之が行動に変化すれば消失す。

三、感情は之を表出するに従ひ益々強盛となる。ランゲは吾人は悲しき為に泣くに非ず。泣くが為に悲しきなりといへり。

四、感情は之に慣るゝに従ひて鈍くなる。  (白揚社:森田正馬全集第7巻 p.555

 さらに「憤怒の感情を表出して一言二言争えば、次第に憤怒は激烈になりついには暴行に至る下等社会の夫婦喧嘩におけるが如し」と付け加えておられる。鈍感な人ならば、何を言われてもカチンとくることは少ないだろうが、神経質人間は他人の言動に敏感なのでカチンときやすい。90秒という時間は短いようでも結構長く感じるものである。どうにもならない場合はその場をはずして何か物を取りに行くとかトイレに行って来るとか一工夫して怒りの感情が消失するのを待つのが賢明である。

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2009年7月 1日 (水)

神経質礼賛 441.ネットゲームとひきこもり

 今年も保健所のひきこもり教室の講師を頼まれた。会の前日(624日)の毎日新聞夕刊に「バーチャルに生き、現実世界で生きられない・・・増えるネトゲ廃人」というタイトルの記事があった。ネットゲームにはまり、起きている時間はすべてネットゲームに費やす生活を3年間送った大学生、ネットゲームをやめさせようとする親に暴力をふるう中学生の実例が紹介されていた。「ネトゲ廃人」という本を出版したジャーナリストは「どこかに心の空白があって、ずるずると続けてしまう」「現実で生きがいを見出しにくくなる」と言う。あるネットゲームを運営している会社の社長は「ゲームに依存しやすいのは人生で何かが欠落している人」と分析する。記事ではネットゲーム依存への対策はおろか依存者の統計もなく、ゲーマー低年齢化の問題を指摘していた。

 さて、ひきこもり教室では、まず、私の講義でひきこもりと鑑別を要する精神疾患を概説し、その後のグループワークで参加者(ひきこもりの親)の具体的事例についてディスカッションするという流れになっている。講義の初めに前述の新聞記事の話をしたら、参加者から「まさにウチの息子も同じなんです」という話が出てきた。大学に入って一人暮らしを始めたら、ネットゲーム三昧の生活になってしまい、大学には行っていない。メールを出しても返事が来なくなったので心配してアパートへ行ってみると公共料金の督促状が挟まっていた。とりあえず親が支払ったが、後期の授業料の支払いをどうしようか、という難題を抱えている、ということだった。他の参加者からは「早く家に連れ戻した方がいいのでは」という意見と「親がムリに連れ戻したら、うまくいかなかったのは連れ戻されたからだと言うに決まっている」とそれに反対する意見があった。実際に相談業務をしている保健師さんや社会福祉士さんからは「どういう行動を取るにせよ、夫婦でよく話し合って決める方がよい」「電気代を親が支払ってあげたのでは本人は困らないことになってしまう。電気が止められたところで死ぬことはないのだし、パソコンもできなくなるわけだから、本人に処理させた方がよい」「家庭の経済状況を本人に伝え、行かない学校へ学費を払うゆとりはない、一人暮らしを続けたいのならば援助できるのは○万円までで、後は自分で働いてもらうしかない、と説明した上で本人にどうするか決めさせてはどうか」などとアドバイスがあった。

 対人恐怖などの神経症やいじめなどが原因で不登校となってひきこもっていく人とネトゲ廃人には少々違いがある。パチンコ依存症などの病的賭博に近い嗜癖の問題なのである。ネットゲームでは賭博のように勝てばお金が入ってくるわけではないが、よりレベルが上がるという「報酬」がある。パチンコにお金をつぎ込んでサラ金に借金をしまくって巨額の負債となることはなくても、パチンコと違って24時間できるので、生活リズムが破綻することで廃人生活となっていく問題は大きい。

 ギャンブル依存に関して興味深い研究が最近発表された。ケンブリッジ大学のLuke Clark博士がNeuron誌に発表したものである。被験者にコンピュータ制御のスロットマシンで遊戯させ、機能的MRIで脳の活性領域を調べた。すると、当りが出た時には自然報酬や中毒性の薬物を処理する領域が反応するのだが、「もうちょっとで当り」という「ニアミス」が出た時にも脳の同じ報酬系(線条体と島皮質)が活性化されていた。ニアミス自体は不快だがゲームを続けたいという欲求が高まっていた。ニアミスに対する反応は本来脳に備わっていて、ニアミス体験がギャンブル依存の誘因になる可能性を示唆していると結論している。

 コンピュータゲームでは、簡単に次に進んでいくのでは飽きられてしまうし、難しすぎてはあきらめられてしまう。巧みに「ニアミス」体験をさせてゲーマーを虜にしていくように作っている。誰でもネトゲ廃人になる危険性はあるのだ。現実生活での楽しみがなく、将来の夢もないとなると、ネットゲームのファンタジー世界に逃避することにもなる。まずはネットゲームの危険性を周知させるとともに、業界に対してはゲーム時間の規制をするよう働きかけていく必要があるだろう。長い目で見れば、若者が健全な「生の欲望」を発揮できるような社会、努力が報いられるような社会にしていく必要もある。

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2009年6月29日 (月)

神経質礼賛 440.砕啄同時(啐啄同時)

 「砕啄(さいたく)同時」という語がある。面白い言葉である。砕は卵から雛が生まれる時に、自然に成熟して殻を破って出てくる事である。啄というのは、母親がそれを嘴でツツキ破ってやる事である。これがもし親鶏が慌てて早く殻を壊せば、雛は早熟で成育する事ができない。これに反して成熟した雛が、殻を破る事ができなければ、窒息して死ぬるという事になる。すなわち雛の完全に生育するには、砕と啄とが同時でなくてはならない。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.40

 これは形外会の副会長をしていた山野井氏の体験発表に対して森田正馬先生が言われた言葉である。山野井氏は対人恐怖と書痙(字を書く時に手が震える症状)に長いこと悩んでいた。種々の治療で良くならず、森田先生のところに40日間入院して作業に打ち込んだ。しかし、症状の方は良くなったという自信がない。会社を辞めて田舎に帰り楽に生活しようというつもりだったが、先生から「会社を辞めては絶対に治らない」と強く言われて仕方なしに会社に残ることにして重役に面会をすることになった。面会直前は激しく不安・焦燥が高まったが、会ってみると初めは緊張したものの思ったことをスラスラと話すことができた。そして帰宅して森田先生に手紙を書くとこれまたスラスラと字が書けた。入院生活で卵がしだいに孵化し、重役に会った時に砕啄同時になって心機一転したわけである。機が熟せば治る、ということなのだ。

 神経症の人は症状がゼロになることを「治った」と考えがちであり、そう思っているうちはなかなか治らない。山野井さんの場合も入院したのに症状はあまり改善していないように思われた。40日間の退院期限が迫り、田舎に帰るという逃げの一手を考えた。しかし先生に強く言われて恐怖突入し、自分の力で活路を開くことができたのだ。もはや症状があるとかないとかを問題にしない状態となって、結果的には症状も消失していた。入院生活で神経質を生活に生かす修練を積んだ上での恐怖突入であり、最善のタイミングだったのだろう。

 現代の入院ではどうかすると1年でも2年でも入院を続ける人がいる。卵の殻を破ることを恐れてひきこもる。職場を休職しても傷病手当金が出るような場合は「疾病利得」になってしまう。入院生活の優等生であっても社会生活ができなければ話にならない。機が熟したら背中を押して社会の中に飛び込ませることも治療者には必要である。

実は、この砕啄同時という言葉は森田先生の誤りで、啐啄(そったく)同時が正しい。

なお、この記事の「啄」という漢字は、正しくは右側のつくりの部分に点が付くのだが、フォントがないため「啄」としている。大原健士郎先生が一昨年出された「神経質性格、その正常と異常<森田療法入門>」(星和書店)の中でもこの「啄」が使われている。

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2009年6月26日 (金)

神経質礼賛 439.山月記

 先週、学校から帰ってきた子供が、「明日までに山月記の感想文を書いて来いと言われた」と焦っていた。国語の授業中、生徒たちの態度が悪いということで全員に宿題が出てしまったという。

 山月記は中国の伝奇小説を題材にした中島敦(1909-1942)の作品である。主人公の李徴は博学の秀才で、官吏になったが、詩家としての名声を遺したいということで辞めてしまう。しかし、なかなか名声は上がらず生活苦からまた官吏の職に就く。かつての同輩たちは出世しており、つまらぬ人間だと思っていた連中に仕えなければならず、自尊心を深く傷つけられる。公用の旅の途中で突然発狂して失踪する。李徴は人食い虎と化していたのだが、かつての友人と会い、自分の心情を語り、自作の詩を託し、妻子の生活に便宜を図るように頼む。

高校時代、国語の教科書でこの物語を読んだ時、私をドキッとさせたのは、「なぜ虎になってしまったのかわからないが、思い当たることがないわけでもない」と語る李徴の言葉だった。「人間であった時、人との交わりを避けた。人々は尊大だと言ったが、実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを人々は知らなかった。自尊心がなかったとはいわないが、それは臆病な自尊心というべきものであった」

これはまさに対人恐怖の神経質人間の心理状態を表現したものである。森田正馬先生が「恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性」と言われた弱力性と強力性の入り混じった赤面恐怖の心理に他ならない。だから、対人恐怖に悩んでいた私の心の中を見透かされたような思いがしたのに違いない。

李徴は世と離れ、人と遠ざかり、自尊心を飼い太らせる。「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」と省みる。虎は肥大した自己愛の象徴とも読める。李徴が作った詩は、格調高く非凡な才能を示していたが、一流の作品となるにはどこか欠けるところがあるのではないかと旧友は感じる。具体的には書かれていないが、おそらく人を思う気持ちが欠落していたのだろう。家族を思いやり、友を思う気持ちがあれば虎になることはなかっただろうし、一度は虎になっても人間に戻れたかも知れない。下級官吏であってもガマンして勤めていれば家族を養っていくことはできるし、空いた時間に詩作することもできる。知識や感性だけでなく深い情感が加われば後世に名を残すような作品となってくるはずだ。山月記は対人恐怖や自己愛の心理を扱った小説だったようにも思えてくる。

 人間として生きていく上では、苦しくても嫌でも仕方なしに人と交わっていかなければならない。苦痛や不安や不全感はどうにもならないのだ。それに、よほどの能力と運に恵まれている人を別にすれば、たいていの人は自尊心がペシャンコになるような挫折を何度か経験する。私の場合も挫折体験を繰り返しているうちに20代後半になってようやく、自分はこんなもので仕方がない、できることを積み重ねていくまでだ、と思うようになった。すると対人緊張や不安はあっても、それほど意識しない存在になっていった。

 森田正馬先生の高弟である高良武久先生が書かれた入門書「森田療法のすすめ」(白揚社)の「あとがき」には高良先生御自身の体験が書かれていて、高良先生も私と同じだったのだなあ、としみじみ思うので、最後に紹介しておこう。

「不眠症、対人恐怖、頭重感、疲労感、それに人生観の問題などにつきまとわれて、高校時代(旧制)は迷いの中の苦しい努力の連続のようでした。それが長い間の数々の試行錯誤をかさねた末に、しだいに落ちついたのは、結局、人生には不安も苦悩もつきものであるということ、持続的な完全なコンディションなどあり得ないこと、そして向上する人間にとっては、不安も苦悩もまた生活の重要な内容であることが、体験的にわかってきたからであります」

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2009年6月22日 (月)

神経質礼賛 438.缶コーヒーの飲み過ぎ

 勤務先の病院の隣市には大手メーカーの生産拠点がいくつかある関係で社内診療所からの紹介で外来受診する人が多い。初診時には生活習慣についていろいろ質問するわけだが、そうした中年男性(特に独身や単身赴任者)によくありがちなのは、酒は普段飲まないが、タバコは11箱で缶コーヒーを2-3本飲む、というパターンである。缶コーヒーを習慣的に飲むことの問題点はカフェインと糖分の過剰摂取である。

糖分の方は最近のメタボ警戒の流れから「微糖」や「低糖(甘さ控えめ)」の商品も増えているようだ。ちなみに標準で100mlあたり砂糖7.5gという業界規定があるので190ml缶では14g(テイースプーン7杯分)の糖分を摂取することになる。これが2本、3本では大量に摂取してしまうことになる。ちなみに低糖は100mlあたり糖類5g以下、微糖は2.5g以下、無糖は0.5g以下という規定があるのだそうで、無糖だから糖類は入っていないとは限らない。

精神科領域で特に問題となるのはカフェインである。カフェインは喘息治療薬のテオフィリンと相互作用があるため、製薬メーカーのホームページには飲み物のカフェイン含有量を表示しているが、それによると缶コーヒーのカフェイン量は100g当り平均68(最低40-最高95)mgということだ。米国精神医学会の診断基準DSM-Ⅳ-TRによるカフェイン中毒の定義では250mg以上の摂取となっているので、190g標準缶を2本飲めばそれを上回ってしまうことになる。疲れた時に缶コーヒーで頭をスッキリさせてまた仕事に臨みたいという気持ちはよくわかるが、カフェイン依存状態になってしまうとカフェイン切れで集中力が低下してイライラすることになるし、夜の不眠にもつながってしまう。やはり缶コーヒーは1日1本にとどめておいた方がよいだろう。不眠やイライラを治すのに精神科を受診して薬を出してもらおう、というのではなく、まず生活習慣を見直してみることが大切である。その辺は神経質人間ならば注意が行き届きやすいだろう。「患者」を作り出して医療費の無駄遣いをするのは避けたいものだ。

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2009年6月19日 (金)

神経質礼賛 437.どうぶつしょうぎ

 6月14日付毎日新聞に「どうぶつしょうぎ」についての記事があった。女の子にも楽しく将棋に親しんでもらおうということで女流棋士の北尾まどかさんが考え出したミニ将棋である。本将棋よりも大幅に簡略化され、盤は縦4×横3マス、駒は4種類で計8枚。正方形の駒にはかわいらしい動物の絵が描いてあり、駒が動ける方向に印が付いている。自陣中央に「ライオン」(将棋の「王将」に相当し、縦横斜め1マス移動可)、その左に「ぞう」(将棋の「角行」に類似し、斜めに1マス移動可)、右に「きりん」(将棋の「飛車」に類似し、前後左右に1マス移動可)、前に「ひよこ」(将棋の「歩兵」に相当し、前に1マス移動可)という布陣になる。「ひよこ」は敵陣(1段目)に入ると「にわとり」(将棋の「と金」に相当し、前後左右・斜め前に1マス移動可)に成る。取った駒は本将棋と同様に打つことができる。自分の歩兵がいるのと同じ縦のラインに歩兵を打つと、将棋では「二歩」の反則負けになるが、どうぶつしょうぎではOKで「二ひよこ」にはならない。「打ち歩詰め」ならぬ「打ちひよこ詰め」も反則にはならない。相手のライオンを取れば勝ちで、相手陣に自分のライオンが入っても勝ち、という「入玉」ルールがある。ひよこ同士が向き合った状態からスタートするので、先手が相手のひよこを取ればいきなり「王手!」、じゃなかった「ライオン手!」になる。

 こんな簡単なものでゲームになるのだろうか。簡単に必勝手順が見つかるのではないか。神経質人間ゆえ、つい心配してしまう。ところがどうして、ホワイトボードに駒を書きながら実際に確かめてみると、なかなかのものである。本将棋の飛車・角行・桂馬・香車と違いすべての駒は1マスだけの移動であり、盤も狭いため、選べる手は限定されるから、子供さんからお年寄りまで覚えやすく手軽に楽しめるゲームになりそうだ。休日には盤と駒を作ってやってみようと思う。考案者の北尾さんに大拍手である。

<おわび>

 5月25日投稿の第429話「脳脊髄液減少症」で不適切な表現がありました。読んでくださった方々の中には御不快に思われた方々がいらっしゃいました。心からおわび申し上げます。

同記事は削除いたします。それに伴い、お寄せいただいたコメントも消えてしまいます点、御容赦下さい。

今後は記事投稿前に、より神経質に内容をチェックいたします。  四分休符

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2009年6月15日 (月)

神経質礼賛 436.精神科の自動診断装置

 日経メディカル2009年6月号に「近赤外光でうつ状態を評価」という近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)に関する記事があった。頭部に近赤外線を照射し、その反射光を測定することで大脳皮質の血液量を測定し、その変化パターンにより例えばうつ病・双極性障害(躁うつ病)・統合失調症・健常を判別するというものである。すでに東京大学や群馬大学で試用され、今年の4月からは先進医療に指定されたという。さらに血流の変化パターンを自動判別するソフトウエアの開発も進んでいるそうである。放射線や磁気を使わないので手軽に利用でき、コストダウンされれば将来的にはクリニックにも導入できる可能性がある。

 今まで精神科疾患では病気を判別できる検査法がなかった。心理検査は被験者が十分に協力してくれなければ意味がない。あくまでも診断の補助である。問診、家族からの情報、会話中の表情や態度を観察した上で診断をつけるので、1回の診察だけでは診断が困難な場合がある。CTやMRIや内視鏡検査などで確定診断がつく身体科とは大きく異なる。幻覚妄想症状があっても本人が隠そうとする場合は病気の診断をつけにくい場合がある。うつ病を装う人の場合は病気でないと言い切ることがむずかしい場合がある。近い将来このNIRSが普及すれば診断の精度が上がるであろうし、精神鑑定でも威力を発揮しそうである。

 もし、神経症の人がこの装置で検査を受けたらどうなるだろうか。うつ状態が強い時には「うつ病」、重症の強迫神経症では時には「統合失調症」と診断されるかもしれないが、神経症の多くは「健常」ということになるだろう。「あなたは異常がないので治療の必要はありません」では救いがない。そこで、症状形成のメカニズムを説明でき、症状と格闘することをやめて健康的な生活を取り戻していく、森田療法の考え方の出番となるのではないかと思う。

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2009年6月12日 (金)

神経質礼賛 435.カレーふりかけ

 スーパーで買物をしていて「カレーふりかけ」というものを見つけて買ってみた。普段、妻が買う食品はこだわりの無添加・自然食をウリにしているものばかり(その割には賞味期限には無頓着)で、こういうものは御法度であるが、留守が続く時はこっちのものである。食べてみると意外といける。2、3年前あった「ラーメン茶漬け」は見かけなくなったが、これはもしかするとロングランになるかもしれない。

 私が子供の頃は、今のように副食が豊富ではなかったから、ふりかけはどこの家にもあった。食品会社が子供向けTVアニメのスポンサーになっていたのでふりかけのCMはよく見た。「のりたま」や「おかか」のCMソングは今でも覚えている。一時、オランダ風車の絵がパッケージに描いてある「チーズふりかけ」というのが出て、私はとても気に入ったが、売れ行きが悪かったためか、すぐに姿を消してしまった思い出がある。

 米飯食文化の日本では梅干やたくわんなどの野菜の漬物、小魚の佃煮、といった保存食が古くから発達してきた。ふりかけとしては、ちりめんじゃこやゆかりあたりは早くからあったのだろうが、今のように食品工業的に作られるようになったのは大正から昭和初期にかけてとのことで、「御飯の友」という商品がふりかけ第一号らしい。

 永谷園「カレーふりかけ」のCMに出演している相撲の高見盛さんは、以前書いたように(第5話)とても気が小さく、緊張しやすい、神経質な性格だそうである。翌日の対戦相手についてインタヴューでも受けようものなら、その晩は考え過ぎて眠れなくなるという話もある。あの取り組み直前の派手なパフォーマンスは、心の中での弱気な自分との戦いで自然に出ているのだろう。CMの方は「お茶漬け海苔」「わさび茶漬け」に次ぐ出演で、緊張しているようにも見えないが、御本人としてはかなり緊張しているのかもしれない。

 私を含めて神経質人間は人前で激しく緊張する。「うまくやりたい」「恥をかきたくない」という気持ちが人一倍強いからであって、落ち着こう、緊張すまい、とすればするほど深みにはまってしまう。緊張は自然なことで仕方ないものとして飛び込んでしまえば、何とかなるものである。

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2009年6月 8日 (月)

神経質礼賛 434.酒場放浪記の舞台裏

 毎週必ずビデオに録って見ている番組がBS-TBS(旧・BS-i)「吉田類の酒場放浪記」である。週一回15分番組で過去の再放送分とセットにして30分あるいは1時間枠で放送される。取材する大衆酒場は東京近郊が多いが、北海道・福島・金沢・静岡・京都・大阪・高知・福岡といった地方巡業(?)もある。高知県出身のイラストレーター・俳人の吉田類さんが駅から出てくるところから番組が始まり、周辺の立ち寄りスポットを探索した後、目的の酒場で店主や居合わせた客との会話を楽しみながら飲む。番組のシメはその酒場にまつわる一句である。仕事を終えて帰宅し、ほっと一息ついて見るのには最適の番組だ。

シリーズ第1回の吉祥寺「いせや」を再放送で見て以来すっかりこの番組のファンになってしまった。昔懐かしい風情の商店街「ハモニカ横丁」が紹介され、創業80年になる「いせや」の画面からは焼き鳥の煙が匂ってきそうな臨場感があった。吉祥寺は住みたい町の調査でしばしば一位となる町である。一度行ってみたいなと思っているうちに、「いせや」の建物は老朽化のため平成18年秋に取り壊されてしまった。

 5月26日付読売新聞夕刊にこの酒場放浪記にまつわる記事が載っていた。一見何でもないように見えるこの番組を制作するスタッフの苦労は大変なものらしい。まず取材しようという酒場にスタッフが通いつめ、なじみになったところで取材許可をお願いする。許可がもらえるのは3-4軒に1軒くらいしかないという。酔客との予期しないトラブルもあるし、「顔が映されては困る」と言ってくる客もいる。狭い現場で雰囲気を壊さないように撮影するのは神経質のいる仕事である。しかも制作費が安いBS番組の中で、特に制作費が出ない番組なのだそうだ。局内でもこの番組に対する理解は乏しく、一旦終了したら再開はない、とスタッフは背水の陣の心構えで製作してきたという。

 この番組も7年目で300話を超え、DVD売上が7000枚を超えたそうだ。隠れファンも多いのだろう。吉田さんの人懐っこいキャラクターだけでなく裏方さんたちの神経質で成り立っている番組なのである。

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2009年6月 5日 (金)

神経質礼賛 433.辞書引き学習

 出版不況のこの御時世、よく売れているのが小学生向けの国語辞書なのだそうである。辞書引き学習を熱心に行っている学校もあるらしく、引いたところに付箋紙を貼らせる。そうすると付箋紙が増えていき、これが子供たちのモチベーションを膨らませるらしい。できれば付箋紙なしで忘れたら何度も引きなおす方がいいような気もするが、辞書を引く習慣がつくのであれば、まあ悪いことでもないだろう。

 今は電子辞書が普及している。価格が安くなり、英和・和英・国語辞典ばかりでなく、漢和辞典・ことわざ辞典・古語辞典・百人一首・6ヶ国語会話など多くのコンテンツが盛り込まれていて便利である。発音機能や、オマケでワンセグ放送を見る機能がついている機種もある。しかし、電子辞書だと、調べたい言葉を引くだけになってしまう。これが普通の辞書だとパラパラめくっているうちに、つい目に留まった他の言葉にも興味を持って読むことがあって、知識の輪が広がっていくものだ。また巻末の便覧にも目を通すこともあって、一つの語ではなく、系統的な知識も得ることができる。こういうことは便利な電子辞書ではないことである。やはり小中学生のうちは電子辞書でなく本の辞書を引いたほうが良いだろう。

 私が子供の時、家に平凡社の大百科事典があったので、わからないことは何でもそれで調べていた。内気な神経質ゆえ人に聞くのが苦手だったせいもあったかも知れない。たまたま見かけた元素の周期律表に興味を持ち、それぞれどんな物質なのだろう、とさらに調べているうちに科学知識がついたものだ。歴史上の人物を調べるとさらに矢印マークで関連する人物が載っているので今度はそこを調べる、ということをやっていくと芋づる式に知識も増えた。カラー図版ページには東西古今の名画も載っていたので自然とそうした作品にも親しんだ。・・・というと聞こえはいいが、正直に白状すると女性の裸体画に惹かれて見ていた面もあった。

 森田正馬先生の色紙の中に「知りたがり疑ひ考へ工夫する人は精神優秀なる人である」とある。知識欲も健康的な「生の欲望」のひとつである。私の場合は精神優秀とは言いがたいが、疑問に思ったことはそのままにしておかないで、辞書や事典で調べて知識を得ることは楽しいことでもある。

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2009年6月 3日 (水)

神経質礼賛 432.評判の悪い精神科医?

 新聞に雑誌「宝島」7月号の宣伝が出ていて、つい目が行ってしまった。「不況で儲ける! 悪い奴らの錬金術」という特集で、闇金、整理屋、貧困ビジネスとともに精神科医が挙げられていた。やはり気になって書店で見てしまう。

 見開き2ページの記事では3人の精神科クリニック開業医A・B・Cが儲けるテクニックを披露し合うというような形になっているが、本当にインタビューしたのかライターの創作なのかは不明である。1、2分の診察で大量に薬を処方する(それも院内処方)、「医療費が安くなる」と障害者自立支援制度(旧・通院公費負担制度)利用を持ちかけて申請させて固定客をつかむ、などの「手口」が書かれている。精神科クリニック開業医は「ヤク」の売人とでも言わんばかりの書き方である。

 そういう開業医ばかりではないはずだが、転医してくる患者さんの中には、駅前の精神科クリニックで初診時にいきなり5、6種類の薬を出されて信用できないから医者を変わりたい、と言って来る人もいるのは事実である。また、薬物依存症者と知りながらリタリンやハルシオンなどの薬を安易に処方しているクリニックが新聞紙上で槍玉に上げられることもある。

 通院公費負担制度は、本来、通院中断で再発して繰り返し再入院となりやすい統合失調症や躁うつ病など精神病の患者さんを経済的な面から支援するための制度だった。申請書類の写しは保健所で管理し、保健所職員が家庭訪問でフォローする体制だった(実際には保健所のマンパワー不足と利用者の増大で手が回らなかった)。それが、単に「医療費が安くなる制度」(自己負担5%)として広まり、うつ状態や神経症圏の人までが利用するようになった。財源の問題もあって、障害者自立支援制度となってからは所得に応じて自己負担比率を変える、神経症圏やパーソナリティ障害などの場合は重症である旨を医師が記載しないと認められない、というようになったが、それでもこの制度を利用している人は多くなっている。

 「悪い奴らの錬金術」と揶揄されるような精神科クリニックはいずれ淘汰されていくだろうし、障害者自立支援制度の濫用もいずれは是正されていくだろうとは思う。

 神経症の場合、「眠れない」「不安」だという訴えで安易に薬を処方し、生活上の注意をしないような治療では治るどころか、いつまでも薬に頼ることになる。重症でない限り、症状はあっても薬はどうしようもない時の「お守り」程度にして、症状は仕方なしに目の前の仕事をやっていくという森田療法的アプローチの方が長い目で見ればすぐれているし、無駄な医療費を費やすこともないはずである。

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2009年6月 1日 (月)

神経質礼賛 431.USBメモリーに御用心

 パソコンのデータを持ち歩くのにUSBメモリーはとても重宝する。出始めた頃、私が最初に買った物は容量32MB(2980円)で、フロッピーディスクにして二十数枚分だ、と喜んでいた。一昨年に同じ値段で買った2GBの物が今では数百円で投売りされ、64GBなどという巨大メモリーまで出ている。小さいし衝撃に強いので気軽に使えるが、反面、紛失の危険性もある。よく、学校の先生が生徒の成績などのデータを入れたUSBメモリーを紛失したり盗まれたりする事件が報道される。個人情報の管理に厳重注意を払わなくてはならない昨今では一大事である。某製薬メーカーの営業員が医師たちの個人情報が入ったUSBメモリーを紛失した事件が報道され、営業員が「こちらの病院のデータは入っていませんでしたからご安心を」とお詫びに来たこともあった。

実際、職場のパソコンに挿入して使い、電源OFFにした後、USBメモリーを抜き取り忘れる、ということは往々にしてある。面倒でもメモリーをはずす処理をしてから電源OFFにするのが安全である。さらに私が使っているものはキャップが透明なのではずして置いておくと見失いやすい。そこで、必ずボールペンのキャップと同様、はずしたらメモリー本体の後ろにくっつけておくようにしている。やはりキャップをなくす人が多いとみえて、キャップレス構造のUSBメモリーも売られている。

私は個人用・病院内専用でネットに繋がないパソコンで書類を作成し、一時的にUSBメモリーに入れて共用パソコンで印刷し、終わったらUSBメモリー内のデータは消去するようにしている。この辺も神経質にするに越したことはない。

最近はUSBメモリーを介したコンピュータウイルス感染が増えているという。共用のパソコンで使った後はウイルスチェックにかけておいた方が安全である。手軽で便利な品物だけに油断は禁物。神経質が必要である。

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2009年5月29日 (金)

神経質礼賛 430.フロイトと森田正馬先生

ジークムント・フロイト(1856-1939)は精神分析療法の創始者である。オーストリアでユダヤ人の家庭に生まれた。ウイーン大学で物理学を学んだ後に医学部で神経細胞の研究をし、さらにパリに留学して著明な神経学者シャルコーに学んだ。当時はユダヤ人に対する差別が強まっている中、大学で研究者となるのは困難な時代だった。そこでウイーンで開業し、当初は電気や催眠によるヒステリーの治療を行っていたが十分に効果が得られず、独自の自由連想法を編み出した。これによって、ヒステリー患者の抑圧されていた(性的な)外傷体験を言語化する治療法、精神分析療法ができ上がった。

森田正馬(1874-1938)先生はたびたびフロイトの学説を批判されている。

 フロイド説が、願望のために、症状が現はれ、或は夢を見るとか、或は「ヒステリーで盲目になつたのは、其恋人を視ないのが幸福であるから」とかいふ風なのは、皆目的論である。キリスト教では、「神は、最もよく神に似せた形で、人間を造った」といふ。実は人が、自分の想像を以て、神を案出し、之が人間以上の思想には出でない、といふ迄の事である。フロイド説も、病症の事実よりは、フロイドが、自分の思想を以て、作為して、理論づけた事柄が多いのである。此点に於て、彼の説は、科学的といふよりは、寧ろ哲学的であり、特に彼の夢の説などは、神秘的・迷信的である。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.62

 しかし森田先生が科学的であろうとしたのと同様、フロイトも心の働きを科学的に解明しようとしていた点は同じである。そして、晩年、病苦と闘いながら治療や研究や著作に励んでいた点も森田先生と共通する。

 フロイトは葉巻タバコを好んでいたために口蓋腫瘍ができ、これが悪化して上顎癌となった。16年間に36回もの手術を受けた。顎と口蓋、鼻中隔の一部を切除し、人工の頬が付けられた。上顎癌の末期はかなりお気の毒な状態となる。どこの癌も大変だが、顔が失われる上顎癌は極めて深刻である。私は医大の臨床実習の際に、耳鼻咽喉科で上顎癌の方の消毒処置を見て、息が詰まる思いがしたものだ。人工の頬をはずした時に露出した粘膜の有様とそこから発するにおいは衝撃的だった。フロイトの場合も病状が進行してくると異臭が部屋に充満し愛犬も寄り付かなくなったという。最期は主治医と相談してモルヒネ注射による安楽死を選び、亡命中のロンドンで死去した。

 森田先生の方が年下ではあるが、ほぼ同じ時代に西洋と東洋で神経症に対する独自の精神療法が創出されたことは興味深いことである。子供っぽい人格の人の神経症、つまりヒステリーでは精神分析療法が効果的であり、大人の人格を持った人の神経症(森田神経質)では森田療法が効果的である。

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2009年5月22日 (金)

神経質礼賛 428.新型インフルエンザ

 先月から世界的な問題となっていた新型インフルエンザが日本でも急増中である。兵庫県や大阪府さらには滋賀県では学校休校などの対策に追われている。この週末に神戸で行われるはずだった日本精神神経学会学術総会も今週初めに急遽中止が決まった旨の速達が届いた。かつては会員でも総会に出る医師は少なかったが、精神科専門医制ができてからは、専門医維持のためポイントを取らねばならないため、昨年からは参加者が急増し、かなり大きな会場でないと対応できなくなっている。延期して改めて会場を取るというのは極めて困難なため中止せざるを得なかったようだ。心配性の私は昨年のうちに取れるだけ取っておこうと学術総会やらポイントが取れる講習会に出まくって専門医更新のためのポイントを荒稼ぎしているので個人的には影響はないが、今回参加を予定していた先生たちは困っている。

 メキシコでの流行を受けて政府は検疫強化策を打ち出した。M厚生労働大臣は「私が止めてやる」と言わんばかりに嬉々としてTVに出まくっていた。感染疑い段階で次々と公表しては騒ぎを大きくした。各地に発熱センターが設置され、防護服に身を包んだ検疫官や隔離病室の様子が盛んに報道された。一般病院で新型インフルエンザの可能性があることを理由とした「診療拒否」が起きるようになった。カナダ帰りの高校生の感染が判明した際には同じ飛行機に乗っていた多数の乗客が感染の広がりを防止するという理由で拘留同然の措置を受けた。これはやり過ぎではないか、今のところ弱毒ウイルスであり、通常のインフルエンザ同様の対応でよいのではないかと思っていた。その後、兵庫・大阪で海外渡航歴がない人たちの間で新型インフルエンザが広がった。流行地の保健所や発熱外来はパンク状態で、もはや今までの対応は物理的に不可能となるに至って、政府もやっと方針を転換し、「冷静に対応するように」と言い出したが、パニックを煽っていた張本人はいったい誰でしょうか?

 一昨日にはついに首都圏でも感染者が出た。駅ではマスク姿の人が増えた。マスクが品薄になり、手に入りにくくなっている。我が家では花粉症対策に買ってあるマスクの備蓄があるので当分はもちそうだ。普通のマスクではウイルスをシャットアウトできるわけではない。手洗い・うがいは神経質にしていく必要がある。それと不要不急の外出は控えることだ。兵庫・大阪では学校が休校になって子供たちが日中、盛り場に繰り出しているという話もある。こういう神経質が足りないことをしていては感染が広まる一方である。通常のインフルエンザの際の学級閉鎖の基準で対応し、むやみに一律休校にしない方がよいのではないかと思う。

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2009年5月18日 (月)

神経質礼賛 427.テープの処分

 長年録り貯めたビデオテープが結構場所を取っている。このため、残したいものはダビングして処分を始めた。かなり前から考えていたことなのだが、いざ動き出すまで時間がかかるのは神経質の欠点である。その代わり、神経質は動き始めれば簡単には止まらないので、作業は着実に進んでいく。音楽番組や美術番組はそのうちまた見たくなるだろうと録画しておいても、意外と見ないものだ。まして子供が小学生の頃に見ていたドラえもんの長編映画をテレビ録画したものなど見る可能性ほとんどゼロである。NHKで放送されたシャーロック・ホームズ・シリーズはダビングして残すことにしたが、最近、DVD完全版が市販されているようだ。10年くらい経ったテープを再生してみると画質の劣化がみられる。長期保存したいものはDVD-RWに、それほど長期保存しなくてもよいものは安価なDVD-Rにダビングし、見る可能性の低いものは思い切ってダビングせずに廃棄である。時間がかかる作業なので休日に少しずつやっつけている。

 音楽を録音したカセットテープも同様である。中学・高校時代、聴きたい音楽はFM番組から録音していた。今では死語となった「エアチェック」である。カセットテープもまだ高価だったから大切に使っていた。当時はFM番組表を書店で買って、録音したい曲をマーカーで塗ったものである。CDが容易に入手できるようになってからもマイナーな室内楽はFMから録音していた。録音中は蛍光灯ON/OFF時のノイズが入らないように神経質を活用していたことは言うまでもない。思い出深いテープも多いが、CD等での入手困難な曲のみパソコンにキャプチャーして、一気に大量廃棄を決めた。100本近いカセットテープをゴミとして出してスッキリした。

 残る問題はLPレコードである。思い出のLPはジャケットを写真に撮って、音楽はパソコンに取り込んでCD-Rに焼きなおすか、MP3データとしてハードデイスク上に残すか。ビデオテープやカセットテープよりもさらに手間のかかることなので、当分は保留になりそうである。

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2009年5月15日 (金)

神経質礼賛 426.本番に強い脳

 5月12日のNHKクローズアップ現代では「勝負強さは“脳”が決め手」と題して最近の脳トレーニング事情を取り上げていた。話はプールから始まった。北京オリンピックの前、ゴール前で失速しがちな日本競泳選手たちの強化のために脳科学者がアドバイスを行った。「ゴールが近い」と思うと、脳は「これで終わり」と判断して、集中力が途切れてペースが落ちてしまうのだそうだ。脳トレーニングの効果で北島選手をはじめ競泳陣は良い成績を収めることができたという。アメリカではスポーツ選手やビジネスマンを対象とした脳トレーニングジムがビジネスとして成り立っている。いつも最後の詰めが甘くて成績が伸ばせないゴルフ選手が訓練を受けて、脳波のα(アルファ)波が多く出るようになったという実例を示していた。

 実は脳波のα波を増やすことを売り物にした器具は20年前くらいにすでにあった。実際、私と同期入局のN先生が通販で購入して使っていた。α波を検出すると発光ダイオードが光る仕掛けで医療用のバイオフィードバック装置(心身症の治療に用いるもの)を手軽にしたものだ。N先生は私以上にプレッシャーに弱く、特に出勤前にいろいろと具合が悪くなりがちだった。週一回の教授回診の日は彼にとって修羅場だった。大原健士郎教授からは「お前は出社拒否の神経症だ!」と言われていた。その器具の効果があったとは思えない。しかし現在では彼は勤務していた病院の関連クリニック院長をしていて大変評判が良い。脳トレーニングの効果ではなく、緊張しながら仕方なしに行動を積み重ねていった成果なのだと思う。

 脳波のα波は8-13Hzの周波数で、リラックスして集中した状態で多く出る。禅僧が座禅している時や一流の将棋棋士が対局している時に出るものとして知られている。最近は電子技術の進歩で脳波の周波数成分を分析してその分布をリアルタイムでパソコン上に表示できるようになった。本番でα波が出せるようになれば、実力を発揮しやすくなるのかもしれない。しかし、それはトップアスリートたちのように訓練に訓練を積み重ねた人が大舞台で実力を発揮するためのプラスαなのであって、あまりに脳トレーニングばかりにこだわって本業がおろそかになっては本末転倒である。われわれ凡人ではそこまでやる必要性もない。緊張してはいけない、緊張しないようにしようと思えば思うほど緊張してしまう。緊張するのは誰もあることで仕方なし、まあこんなものだ、とあきらめてドキドキしながらも緊張場面を避けずに行動していれば、何とかなっていくものである。神経質人間は「本番に弱いのだから、その分、普段から努力しておこう」、ということで弱くなりきって地道に努力していけば望外の成果も得られるものだ。

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2009年5月11日 (月)

神経質礼賛 425.ブレーキランプが切れていた!

 先日の連休、実家に帰省してきた弟を車で送迎した。その後、自宅に戻った弟から電話で「そういえば、アニイの車、左のブレーキランプが切れてたよ」と教えられた。たまにブレーキランプの片方が切れている車を見かけることはあるが、まさか自分の車がそうなっていたとは・・・恥ずかしや。いったいいつから切れていたのだろうか。これでは神経質の名が泣く。ともあれ行きつけのガソリンスタンドでランプの交換ができないか相談したがマイナー車種の悲しさ断られてしまった。やむなく普段車検を頼んでいる整備工場に持ち込むと交換できるとのこと。20分ほどで交換してもらった。部品代500円プラス工賃1000円だった。ダッシュボードの中に入っている車の説明書を見るとブレーキランプの交換方法は書いてあるが、ちょっと面倒そうである。家庭内の電化製品だと何でもまず自分で直そうとするくせに、こと自動車関係だとどうも苦手意識が先に立っていけない。

 ブレーキランプが切れた場合、自分では気が付きにくい。やはり、出かける前にはブレーキを踏みながら後ろの壁を注意深く見て、ブレーキランプが点灯しているかどうかを確認する必要があると痛感した。神経質の生かしどころである。事故に遭うリスクを少しでも減らすためにはその位の「確認癖」はあった方がいいだろう。

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2009年5月 8日 (金)

神経質礼賛 424.「みにくいアヒルの子」だったアンデルセン

今回は再び「天才と病気」という本に書かれていたアンデルセンの話である。ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)は「裸の王様」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「マッチ売りの少女」などで有名なデンマークの童話作家である。自伝では「私の生涯は波乱に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しいメルヘンだった」で始まるのだそうだが、実際は極めて苦しい前半生だった。容貌や生い立ちにまつわる劣等感、度重なる失恋、強度の神経衰弱に悩まされた。貧乏な家庭に生まれ、靴屋の父親は精神病で早くに亡くなり、母親もアル中のため慈善病院で亡くなった。俳優(オペラ歌手)を目指すもかなわず、貧困の中で死を考えた時期もあった。たまたま戯曲が認められ、援助を受けて大学で勉強する機会を与えられ、小説や童話を発表する。38歳の時に20歳の歌姫に熱烈な求愛をするもかなわず、独身を通した。誠実で優しい人柄だが、時に高慢さを見せたり怒りっぽくなったりすることがあったという。この辺は神経質に見られる弱力性と強力性の二面性かもしれない。極度の心配性で、火事を恐れるあまり脱出用ロープを常時持ち歩いていたとか、枕元に「死んだように見えますが生きています」と書いた紙を置いて寝たというエピソードがある。生きたまま埋葬されることを恐れて、友人には「納棺前に必ず動脈を切るように」と頼んでいたそうだ。晩年は全世界の多くの人々に愛され、肝臓癌で亡くなり国葬となった時にはあらゆる年齢・階層の人々が参列したという。

 アンデルセンは典型的な神経質人間だと私は思う。神経質人間はなかなか自分の美点には気がつかず、強い劣等感にさいなまれるものである。そこであきらめたりひねくれたりして努力をしなければ単なる「みにくいアヒルの子」のままで終わってしまう。つらくても何度も失敗しても努力を重ねていくうちに気がつくと大空を舞う美しい白鳥になっているものである。

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2009年5月 6日 (水)

神経質礼賛 423.神経質vsカラス

 3日前、朝起きるとベランダに置いてあったゴミ袋が引きちぎられ、ゴミが散乱しているのを見て驚いた。野良猫は入って来れないと思われる場所である。仕方なしに新しいゴミ袋を出して、散乱したゴミを片付ける。やれやれと朝食を食べていると、近くで「カアー」という鳴き声が聞こえた。その1、2分後にガサゴソ音がしたので、窓を開けるとカラスがあわてて飛び立っていった。すでに時遅し。またもやゴミ袋が引き裂かれ、ゴミが散乱している。カラスの好物である脂物の残飯が特に食い荒らされている。人間様の食事は中断で再び後始末である。これではたまったものではない。片付けたゴミ袋はとりあえず家の中に避難させ、食事を済ませるとホームセンターに直行してロックできる蓋付きペールを購入してきた。これでベランダのゴミは安全である。カラスよ。神経質をなめるなよ。

 そういえば、最近、出勤途中、路上のゴミ袋が引き裂かれてゴミが散乱しているのをよく見かける。近隣の町ではカラス被害対策でゴミに防護ネットをかけるようになった。カラスの天敵である大型鳥類は絶滅寸前なのでカラスは増える一方である。街中ではゴミ袋をあさればエサには事欠かない。東京では特殊なゴミ袋を使っている区もあると聞く。カラスの目は近紫外線も感知する。人間の場合光の三原色がカラスだと紫外光を加えた四原色になる。特殊なゴミ袋は紫外光をカットすることでカラスがゴミ袋内の物体を認識するのを困難にする効果があるのだそうだ。そのゴミ袋はたまたま黄色に見えるがカラスは黄色が見えないとか黄色を嫌うというわけではない。

 カラスはエサを安全な場所に隠しておくような知恵もある。場所をしっかり記憶しているのだから恐れ入る。硬いエサをわざと自動車に轢かせてから食べるという話もある。近頃はカラスの巣も木造より鉄骨建築(針金ハンガー製)が多くなり、電柱の巣は停電の原因になって困りものだ。カラスは極めて知能が高いと言われている。脳重量は10gほどだが、脳細胞の密度が高いのだそうだ。人間の脳重量は1400g程度である。東西古今の天才たちの脳重量がよく話題になるが、必ずしも重ければいいというわけではなく、軽い人もいる。ちなみに我らが森田正馬先生の解剖記録では脳重量はわずか945gだった。やはり脳重量の問題ではなくどれだけ訓練したかで決まるようだ。せっせと頭と体を使って脳内のシナプスを増やし、カラス様の脳に負けないようにしなくては、と思う。

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2009年5月 4日 (月)

神経質礼賛 422.チャイコフスキーの神経症症状

ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)はロシアの作曲家で叙情的な極めて美しい名曲を数多く残している。幼少時から神経過敏で「ガラスのような少年」だったという。10歳で法律学校に入学。14歳で母をコレラで亡くし、大きなショックを受けている。法務省に勤務するも音楽学校に入りなおして音楽家への道を歩むことになる。成人後も心気症に悩まされ、内気で友人が少なかった。

 彼の作曲活動は必ずしも順風満帆ではなかった。交響曲第1番「冬の日の幻想」を作曲した頃は、不眠症・腸の痙攣・激しい頭痛に悩まされた。今では名曲とされるピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲とも、「演奏不能」と決め付けられて初演にこぎつけるまで苦労している。

 彼はうつ状態を繰り返していて、37歳で28歳のアントニーナと結婚するも結婚生活に耐え切れず、入水自殺未遂のエピソードもある。彼にとって大きな支えとなったのは鉄道王の未亡人メック夫人だった。13年間経済的援助を受け、その間に1000通以上の手紙を出している。二人は直接会ったことがなかったと言われる不思議な関係だった。メック夫人からの援助が打ち切られた時も大きな衝撃を受け、激しく気分が落ち込んだという。チャイコフスキーは交響曲第6番「悲愴」の初演後にコレラで急死しているが、貴族の甥とホモセクシャル関係であったため訴えられて毒殺されたという説もある。

 チャイコフスキーの音楽は誰しも聴いたことがあるだろう。私にとってもなじみが深い。小学生の時、学校に神奈川県警のブラスバンドが来て、組曲「くるみ割り人形」を演奏してくれたのを聴いて、とても感銘を受けた。中学の音楽鑑賞で「アンダンテ・カンタービレ」を聴いて気に入り、自分でも好んでヴァイオリンで弾いた。高校生になってステレオ・アンプを自作し、最初に買ってきたレコードがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲である。本当はA面のメンデルスゾーンの協奏曲を聴こうと買ったのだが、B面のチャイコフスキーの協奏曲の虜になってしまったのだ。次に買ったのが交響曲第4番だった。中高年となった今では交響曲第6番「悲愴」をよく聴く。第4楽章の最後のところはだんだん呼吸が弱くなり、心停止に至る、人間の最期を描写しているように思えてならない。

 チャイコフスキーは現代の精神科診断ではおそらく反復性うつ病性障害に該当するだろう。「白鳥の湖」に代表されるような甘く切ない旋律は、うつ状態を経験しなければ生まれなかったのかも知れない。チャイコフスキーはメランコリー親和型の性格だったと考えられるが、それだけではあれだけ多くの名曲を残すのにはエネルギーが足りないだろう。「生の欲望」が強い神経質としての面も持ち合わせていたのではないかと私は考えている。

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2009年5月 1日 (金)

神経質礼賛 421.ワーグナーの神経症症状

先日、図書館で「天才と病気」(ネストール・ルハン著 日経メディカル編)という本を見つけたので読んでみた。その中から今までこのブログに登場していない作曲家ワーグナーとチャイコフスキーを紹介しよう。今回はまずワーグナーである。

リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は、ドイツの作曲家で「歌劇王」として有名である。歌劇にはなじみがない方も多いだろうが、映画「地獄の黙示録」で使われた「ワルキューレの騎行」は聞かれたことがあるだろう。「ワルキューレ」は4夜続けて上演される超大作「ニーベルングの指環」の一部である。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲は大学の入学式などでよく演奏される曲であるし、「タンホイザー」の中の曲はテレビCMのBGMとしても使われたことがある。ワーグナーは、同時代のブラームスとともに作曲家の二大巨頭で、当時の音楽界はワーグナー派とブラームス派に二分されていたほどだ。随筆「音楽におけるユダヤ性」でユダヤ人作曲家のメンデルスゾーンやマイアベーアを「金儲けのユダヤ人には真の芸術はできない」と非難し、反ユダヤ思想でも知られる。のちにヒトラーがこの随筆を愛読し、ワーグナーの楽劇に心酔している。現代でも熱狂的なワーグナー信奉者がいてワグネリアンと呼ばれている。

ワーグナーは、40代から不眠症・胃痙攣・神経性腸過敏などの神経症症状があり、13という数字を極度に恐れる縁起恐怖もあったようである。皮肉なことに最も恐れていた13日に心臓発作で亡くなっている。

しかしながら、ワーグナーの行動を見る限り、神経質とは言いがたい。もちろん、音楽はすばらしいし作曲家の中でも並外れた創作能力を持った人だったが、人格的にはかなり問題のあった人である。浪費家で借金をしまくっては踏み倒す。有名な指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)と不倫関係になって子供をもうけた以外にも女性関係がだらしない。偽名で自分の作品を賞賛する投書を新聞社に送りつけたことも知られている。嘘言癖があり、過剰な自信家であって、そのため敵も多かった。現代の精神科診断では自己愛性パーソナリティ障害および演技性パーソナリティ障害に該当しそうである。もっとも、そういうパーソナリティだからこそ、非日常的な極めて劇的で壮大な歌劇を作ることができたのかも知れない。神経質ならばもっと地味な音楽になったことだろう。

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2009年4月27日 (月)

神経質礼賛 420.森田マサタケかショウマか

 第25回森田療法学会(200711)の一般演題で、神奈川歯大・澤野啓一先生が森田正馬先生の名前の読み方の問題を取り上げていた。森田先生が発表した論文に「Shoma」というローマ字表記があることを示し、「マサタケ」でなく「ショウマ」が正しい、ということを述べておられた。

 また、実際に森田先生の治療を受け「森田療法の生き証人」と言われる井上常七さんも「マサタケなんて聞いたことがない。完全な誤りです。皆さんはショウマと言ってください」と述べておられる(生活の発見20094月号p.57)。

 私の師匠である大原健士郎教授は「本名は「マサタケ」なのだから、精神科医たる君たちはそう呼ぶべきだ」と研修医たちを指導されていたので、大原門下生は全員「マサタケ」と呼んでいる。正式な読みが「マサタケ」であることは間違いない。これは森田先生御自身が患者さんたちの前で言っていることである。

「私の名は、本当はショウマでなく、マサタケと読みます。馬の一字名もあるが、その時はタケシと読みます。土佐には馬のつく名前が多いが、普通にはマといいます(白揚社:森田正馬全集第5巻p.673)」

 この中で「本当は」という発言は、当時、誰もが「ショウマ」と呼んでいたことを意味する。患者さんたちの前で、本当はマサタケだ、と言っても、患者さんたちは「ショウマ先生」と呼び続けただろう。日本人男性の伝統的な4音節の名前は言いにくい。歌人で小倉百人一首の撰者である藤原定家も正式な「サダイエ」よりも「テイカ」と呼ばれることが多い。Ma-sa-ta-keよりSho-maの方が断然言いやすい。「ショウマ先生」という呼び方が定着してしまうと御本人もその方がよかったのだろう。学術論文も今ほどうるさくない時代だから、通称の「Shoma」とローマ字表記したのではないかと思う。

 森田先生の弟子・鈴木知準先生も本名の「トモノリ」先生と呼ぶ人はまずいない。当然、「チジュン」先生である。本名「トモノリ」で通称「チジュン」先生なのである。「トモノリ」は間違いだとか「チジュン」と呼ぶのはおかしい、などと議論する人はいない。

 「マサタケ」と「ショウマ」とどちらが正しいか白黒つけよ、というのはいかにも神経質らしい議論であるが、正式な読みが「マサタケ」で通称「ショウマ」というだけのことであって、どちらも正しい。学術上は「マサタケ」で、通常は「ショウマ」と呼んでいればよいのではないだろうか。そんなことを議論するよりも、森田療法の普及・発展に力を入れた方がよい。

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2009年4月24日 (金)

神経質礼賛 419.学校を休ませて家族旅行

 子供が小学生の頃、「友達がハワイに行ったお土産を学校で配っていた」と言ってチョコレートを持ってきたことがあった。地方都市の市立小学校なのだが、学校を休ませて家族で海外旅行に行く家庭があって唖然としたものだ。休みじゃないから安く行けるし混んでないから、というのが理由らしい。

 ところが、最近のアンケート調査では、学校を休ませて旅行に行くことの是非を問うと、賛成・反対がそれぞれ半々だということだ。学校の教師までも「大きな学習になる」と賛成意見を出している、というのは寛容すぎるのではないかと思う。教師としての自負も、よりよい授業を行おうという向上心もないのだろうか。こんな調子では、権利ばかり主張して義務を果たさないモンスターペアレントに付け込まれるばかりである。

 スポーツの試合や音楽のコンクールなどに出場するために学校を休んで海外に行くとか、親のノーベル賞授賞式に同行するとまではいかなくても海外での学術集会に同行するのならば「大きな学習になる」と言えるだろうが、ただの観光旅行ならば何も学校の休み期間中に行けばよいことである。義務教育である小中学校を休ませて家族旅行に行くのはおかしい。けじめは必要だと私は思う。

 状況は異なるが、神経症に対する再教育ともいえる森田療法をしていても、何のために入院しているのかと首をかしげるような人がいる。毎週、気晴らしのために外泊して家でだらけた生活をしている人。外出で観光地巡り・温泉巡りばかりしている人。これでは入院が単なる現実逃避の場に過ぎず、いつまでたっても良くならない。グチをこぼしながらも保護された環境で居心地がいいせいか1年でも2年でも入院し続けることになる。私が主治医ならば喝を入れるところだが、他の先生の患者ではそうはいかないのがもどかしい。

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2009年4月20日 (月)

神経質礼賛 418.はちきん

 先週の土曜日の朝、出勤前にNHKラジオ「著者に聞きたい本のツボ」という番組を聞いていたら、「毎日かあさん」でおなじみの漫画家・西原(さいばら)理恵子さんがゲストだった。といっても漫画ではなく、最近出した「この世でいちばん大事な「カネ」の話」(理論社)という本についてだった。「金がないのは首がないのと同じ」という副題が付いている。

 インタビューで西原さんは息もつかずに一気に話していた。西原さんは高知県の貧しい漁村で生まれた苦労人である。子供の頃、手にするお金は魚のニオイがしていた。漫画家として世に出るまでの間、キャバレーでも働いたそうである。漫画家として認められてからも夫のアルコール依存症で苦労した。一旦は離婚して夫が「底をつく」体験から立ち直ってまた同居するようになったが病気で亡くなっている。西原さんからの熱いメッセージで印象に残ったのは、「人が人であることをやめないために人は働いている」「八百屋のおばあさんと同じで体が悪かろうが何だろうが、とにかく「お店」を閉めちゃダメ!」である。これは、ニートの若者ばかりでなく、神経症であることを言い訳に学校や仕事を休むような人に対する強烈なゲンコツになりそうだ。西原さんの著書の題名は一見、「守銭奴のススメ」とも取られかねないが、インタビューを聞いた限りでは、生の欲望に沿って、人間らしくしっかり働いて稼いでいきなさいよ、ということなのだと思う。

 土佐人で気骨のある男性を「いごっそう」、女性を「はちきん」という。「はちきん」は4人の男性(キン○○8個)を手玉に取るからだという俗説もあるが、そもそもは男性にも使われた言葉だそうだ。西原さんはパワフルで一途に突っ走る「はちきん」そのものである。

私の恩師・大原健士郎先生も土佐のご出身なので、森田療法の講演の際には「いごっそう」と「はちきん」の話をよくされる。土佐出身の森田正馬先生は「いごっそう」で奥さんの久亥(ひさい)さんは「はちきん」だった。「いごっそう」と「はちきん」では両方ともパワーがあるし強情でもあるから、夫婦喧嘩は派手で、離婚寸前までいったこともあるようだ。

 森田療法は家庭的療法であり、久亥の助力は大きかった、と森田先生は書かれている。久亥さんは日常生活の中での患者さんの指導で大きな役割を果たしたばかりでなく、できの悪いお弟子さんたちをかわいがり、その人たちもやがては大学教授や病院長として出世していった。

 久亥さんは、森田家が経済的に豊かになってからも刺身や肉は口にせず、先生にはおいしいものを食べさせても自分自身は節約をしていたという。そして、「貧乏だった頃が懐かしい。何でも買えるようになると不幸だ」というのが口癖だったそうだ。若くて貧乏な時には、あんな物を買いたい・こんな物を買いたい、と夢を抱いていたのが手に入ってしまうと、輝いていた夢が色褪せてしまうのであって、ある意味幸せな不満でもある。久亥さんの人生は森田先生の言葉「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」を体現したものだったと言えよう。

 現代では男性の元気がなくなり、「はちきん」タイプの女性が増えているのではないだろうか。NHKの朝ドラのヒロインたちも元気一杯の「はちきん」タイプが多いようだ。私のようなショボくれた中高年男ではパワーの点でとてもかなわないが、せめて西原さんの言われるように、「お店」を閉めずに、細く長く働き続けたいものだ。

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2009年4月17日 (金)

神経質礼賛 417.犬も歩けば棒に当たる

 いろはかるたには庶民の知恵と処世術が盛り込まれているが、現代では意味がわかりにくいものもある。トップバッターの「犬も歩けば棒に当たる」は誰もが知っているが、意味を問われると首をひねる人も多いのではないかと思う。

 本来の意味は、犬がふらふら出歩くと棒で叩かれるようなひどい目にあうこともある、ということで余計なことはしない方がよい、という戒めだったらしい。藪をつついて蛇を出す、の「ヤブヘビ」に近い意味である。

 ところが、現代では、行動しなければ悪いことは起らなくても良いことも起きないので、積極的に行動すべきだ、という逆の意味で使われているようだ。

 神経質人間は先の心配ばかりしているので、「棒に当たる」ことは少ない。その反面、考え過ぎて行動するまで時間がかかり過ぎる、あるいは考えたあげく行動しないため、大失敗は少ない代わりに、仕事でも恋愛でも絶好のチャンスを逃すことがありがちである。われわれ神経質人間は、どうやら現代的な意味で「犬棒」を解釈した方が有用かもしれない。

 犬棒はまだしも、「人も歩けばクレーンに当たる」が今週の火曜日に東京都心で起きた事故である。工事現場で作業中の大型クレーンが突然倒れて、歩道を歩いていた人が重傷を負った。持ち上げる物体に十分に近づかないで持ち上げようとしてバランスを崩したのが原因とのことである。例によって「神経質が足りない!」ために起った事故である。

大型クレーンが倒れてくるとは歩いている人には全く予測できないことである。かといって、出歩かないわけにはいかない。自衛のために工事現場の横を通るのはなるべく避けるといった神経質もある程度は必要であろう。

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2009年4月13日 (月)

神経質礼賛 416.フリースペースの若者たち

 平成21年3月31日-4月4日の間、毎日新聞に「孤独の岸辺 第2部 つながりを求めて」という連載記事があった。親たちが作ったフリースペースに参加してくるひきこもりの若者たちの取材記事だ。5回の記事で紹介されたケースを要約してみよう。

36歳男性。人との会話で激しい動悸がして大学を中退した。年金暮らしの親元でアルバイトとひきこもりを繰り返した。ここ1年は契約社員として勤務。職場では人と交われない。辞めようとしたら女性上司から「辞めてどうするの?」と問われ、まだ決まってないと言うと、「じゃあ、次が決まるまでここにいてもいいんじゃない」と言われて仕事を続けている。

28歳男性。高校を2回中退し通信制高校卒業。アルバイトや日雇い派遣の仕事を転々。父親は家出し、母親との心の交流が乏しい。フリースペースを渡り歩くが「居場所がない」と感じて漂流する。

36歳男性。神経質、完璧主義。会社での仕事は丁寧でミスもなく周囲の期待を受けるが、過敏性腸症候群、パニック障害が悪化し、退職。失業保険をもらいながらひきこもる。

(1)33歳男性。人前で頭が真っ白になり、工場勤務を3カ月で退職してからはずっとひきこもる。ひきこもりの権威といわれる精神科医に10年かかるが改善しない。一度デイケアで女性メンバーと恋をしてすぐに破局。それでも自分を肯定し、相手を思いやる気持ちが芽生えた。「結局、人とつながるしかないんです」という。

(2)33歳男性。高3の時に肺の病気で休み、以来ひきこもり、自殺未遂で入院。現在は一人暮らし。仕事を通じて人とつながりたいと思って面接を受けたが不採用。「ひきこもりは多分、薬じゃ治らないと思います」という。

39歳男性。専門学校卒業後、進路が決まらず、父親に罵倒されて、以来ひきこもる。外出せず、床にまで届きそうな長く伸びた髪は頭上で束ねていた。父親がひきこもり親の勉強会に出て、少しずつ息子を支えるようになって、やっとフリースペースに参加するようになった。床屋に行き、髪も切った。

 ①の人は対人恐怖がベースにある。今風に言えば社交不安障害である。もし上司が「あ、そう。辞めるのね」と言っていたら、またひきこもっていただろう。ミスばかりしているが、上司が心にかけてくれたんだ、という思いが彼を引っ張ってくれたのだろう。自信がないままにどうにか働き続ければそれが実績となる。②の人はまだまだこれからという感じだ。漂流していく中でどこか居場所と思えるような場に漂着できればそこを足がかりに変わっていけるのかもしれない。しかし、フリースペースも保護された場とはいえ、ストレスはある。まあ、こんなものだと割り切って、一つのところに通い続けてみることである。③の人は強迫傾向を持った神経症といえる。完璧にやろうとして自分を追い込み過ぎるパターンに気付いてそこから抜け出せばよくなっていく可能性が高い。④(1)の人も①と同様、対人恐怖がある。「人とつながるしかない」と気付いているので、時間はかかるがいつかは働けるようになると思う。④(2)の人は気分障害が併存している可能性があるが、本人の言葉の通りで、薬だけで治るものではなく、社会の中で治していく部分が大きいだろう。⑤では父親が叱責するばかりの対応から、本人を支えて少しでも前に進ませようという対応に変わってから、本人に変化が出始めたばかりだ。

 どの人も「何とかしなくては」と思っているし、何人かは「つらくても人と関わっていくしかない」とわかってきている。弱いながらも「生の欲望」がある。フリースペースの中で安心できる人間関係を作りながら、また社会に向かってチャレンジしていけば、一筋縄にはいかなくてもいつかは自立できる日が来るのではないかと思う。記事のケースのうち少なくとも半分は神経症である。つらいけれども最低限できることをやって積み上げていく、完璧は求めず不完全なままでよいのだ、というアプローチで行動していけばひきこもりから脱却しやすくなるのでは、と思う。森田療法の考え方が役立つ部分も少なくないだろう。

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2009年4月10日 (金)

神経質礼賛 415.イチロー選手と胃潰瘍

 先日のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本のイチロー選手はなかなか調子が上がらず、ようやく決勝戦での活躍で日本に勝利をもたらした。その後も体調不良で出血性の胃潰瘍だったことが判明し、治療のため大リーグ開幕戦からの出場ができなくなってしまった。WBCでの強いストレスが原因だったのではないかと言われている。

 胃の中では消化のために塩酸が作られているが、強い酸の中で胃壁の細胞は巧妙な仕組みで自分を守っている。攻撃因子と防御因子のバランスが崩れるとその仕組みが崩れて胃潰瘍になってしまうと考えられている。バランスを崩す原因としては非ステロイド抗炎症薬(解熱鎮痛剤)、ストレス、喫煙、コーヒー、アルコールなどがある。近年ではピロリ菌感染も大きな要因と考えられている。有名な「ガスター」に代表されるH2ブロッカー、さらには強力な胃酸抑制作用を持つプロトンポンプ阻害剤(PPI)が登場してからは、胃切除手術が行われることは極めて少なくなった。ピロリ菌を除菌する治療法も効果をあげている。

 まじめで几帳面な性格の人は胃潰瘍・十二指腸潰瘍になりやすい、ということが言われている。ストレスをまともに受けて胃の調子を悪くしやすいということで、神経質な人はハイリスクかも知れない。しかし、神経質だと早めに医療機関を受診したりタバコや酒を控えたりするので大事に至らないという面もある。イチロー選手の普段の「仕事ぶり」を見ていると明らかに神経質人間だと思う。ホームランか三振かという豪快なバッターではなく、相手のスキをつく神経質なバッターである。毎日一食は奥さんの作ったカレーライスを食べないと気が済まないのも一種のこだわりだろう。今回のWBCではやや尊大とも受け取られる発言があったが、これは自分を奮い立たせるためのパフォーマンスだったと私は思う。国の名誉をかけた戦いで一身に期待を集めていただけに、イチロー選手にかかったプレッシャーは尋常ではなかったろう。例年、シーズン中盤から調子を上げていく人だけに3月の試合は時期的にキビシイ面もあった。なかなかヒットが出ず、マスコミから叩かれた。胃潰瘍になってもおかしくない。

 このところのニュースによれば、イチロー選手は体調を回復し、トレーニング中とのことで、今シーズンも活躍が期待できそうだ。同じマリナーズで活躍している城島選手の神経質ぶりは以前に書いた(106話)。また、ヤンキース松井(秀)選手の神経質についても書いた(2話)ことがある。アメリカ社会で適応するには、一見、無神経で外向的で自己主張が強い方が良さそうに思えるが、大リーグで長く活躍している日本人選手を見ると意外にも神経質である。最後に勝つのは神経質人間である。

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2009年4月 8日 (水)

神経質礼賛 414.紫式部は神経質

 源氏物語の作者として紫式部の名は誰もが知っているが、実は本名も生没年もわかっていない。当時の女性で名前が伝わっているのはよほど上流貴族の娘だけである。父親の藤原為時が式部省に勤めていた時期があったことと「紫の物語」(源氏物語)の作者ということで付けられたあだ名である。幼少時より漢詩を読みこなし、「この子が男の子だったらなあ」と父親を嘆かせた。父親は花山天皇の教育係で式部省に勤めていたが、花山天皇が藤原兼家(道長の父)の陰謀で出家すると仕事を失った。しかし「芸は身を助ける」で漢詩が一条天皇の目に留まり、越前守に就任した。紫式部が結婚したのは20歳くらいで当時としては晩婚である。相手はもう40代後半の藤原宣孝だった。宣孝はプレイボーイとして有名で何人かの妻があった。翌年、娘・賢子が産まれたがまもなく夫とは死別する。その後、藤原道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子に仕えた。源氏物語は宮中でも評判となり、一条天皇も愛読した。

 紫式部は華やかではあるが足の引っ張り合いのような宮中での生活は好きではなかったのだろうと思う。人前では漢字は読めないふりをしていたと言われる。一条天皇が「源氏物語の作者はよほど日本書紀を読んでいる人に違いない」と言われてから「日本紀の御局」とあだ名されてしまい、苦痛に感じていたようだ。石山寺にこもって物語を書いたという伝えも理解できる。とにかく謙譲の人で、宮中で八重桜を中宮に奉じるという「おいしい」役を後輩の伊勢大輔に譲り、それで百人一首「いにしえの奈良の都の八重桜」の歌が生まれたというエピソードがある。

紫式部は清少納言(これも本名ではなく清原元輔の娘)とよく比較される。明朗活発・負けず嫌いで思ったことをズバズバ言う清少納言と思慮深く一歩引いたような紫式部とでは性格は正反対である。小倉百人一首に撰ばれている、機知に富んだ「夜をこめて」(清少納言)の歌としっとりとした情感のただよう「めぐり逢いて」(紫式部)の歌は二人の違いを際立たせている。日記の中で清少納言を手厳しく批評しているあたりを見ると、紫式部はやはり神経質人間なのだと思う。神経質は自分に厳しく人にも厳しい。これがメランコリー親和型(うつ病になりやすい性格)だと自分に厳しく人に甘い。ヒステリー性格や自己愛性人格だと自分に甘く人に厳しい、というのが四分休符流性格学(?)である。自分に甘く人にも甘かったら?・・・それは能天気でしょう。とにかく、コツコツと長い時間をかけて大きなものを作り上げていくのは神経質人間が得意とするところである。

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2009年4月 6日 (月)

神経質礼賛 413.藤原道長のパニック障害

 平安時代、栄華を極めたのが藤原道長(966-1028)である。道長の父・兼家は三男だったが兄たちが亡くなって摂政・太政大臣まで昇りつめた。道長も兼家の五男であったが、兄の関白道隆と道兼が立て続けに亡くなるという強運に恵まれて頂点に立つことができた人である。道綱(母親は蜻蛉日記の作者で百人一首にも入っている才女)という異母兄もいたが、凡庸で出世欲に乏しい人だったらしく、道長から見れば自分の地位を脅かす心配がない存在だったようで、仲が良かった。道長は、長兄・道隆の娘・定子がすでに一条天皇の后となっているところに自分の娘・彰子を女御として入内させた。定子に仕えていたのが清少納言、彰子に仕えていたのが紫式部ということでこの辺の事情は御存知の方も多いだろう。定子には第一皇子が生まれていたが、道隆は亡くなっており、その嫡男・伊周も失脚していたため、彰子に生まれた第二皇子が皇太子となった。道長は自分の娘たちを次々と天皇の妻にして、生まれた子供をまた天皇に立てて、権力を確実なものとした。

 平安貴族の食生活は健康的とは言えない。特に高位高官は、運動不足であり、白米を食べ、酒も飲んだから、脚気(ビタミンB1不足)や飲水病すなわち糖尿病になりやすかった。道長の長兄・道隆は糖尿病で、道長もやはり50歳頃から糖尿病の症状が目立ってきている。53歳頃から急激にやせ、顔色が悪くなった。眼病(白内障か糖尿病性網膜症)のため、目の前の人もよく見えなくなった。さらに夜になると胸痛発作が起きるようになった。しかし、僧の読経で症状がおさまるところからすると、心臓の病気というよりは精神的なもの、つまりパニック障害だったと考えられている。

 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」と我が世を謳歌した道長も死の恐怖にさいなまれたのだ。最高権力者となって、子孫の繁栄も約束されており、何一つ不満なところはなかったはずだが、少しずつ健康が蝕まれていくことはどうにもできなかった。逆に何一つ不満がないために身体の変化にばかり注意が向くようになって、パニック発作を起こすようになったのだろう。森田正馬先生の言われた精神交互作用(注意集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意集中→・・・という悪循環)が道長にも起きていたのだと想像する。

「教科書が教えない 歴史有名人の死の瞬間」(新人物往来社)の道長の項では、背中に腫れ物ができて、強い痛みに苦しんだとある。現代でも糖尿病の重症な人では末梢の血行障害のために感染症が悪化しやすく難治である。道長は自宅・土御門邸の横に建立した法成寺の阿弥陀如来の前で死の床についたという。

 道長の性格は外向的・負けず嫌い・自信家であったようだ。内向的・小心・取越苦労といった典型的な神経質とは異なるが、パニック障害になる人の病前性格ではありうることだ。偉い先生方には叱られるだろうが、私の個人的印象では、パニック障害になる人は、才気に富んだ美男・美女が多いような気がする。

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2009年4月 3日 (金)

神経質礼賛 412.歴史を変えた神経症

整形外科医でもある篠田達明さんが書かれた「歴代天皇のカルテ」(新潮新書)という本を図書館で見つけたので読んでみた。

精神病レベルと考えられる天皇としては、精神遅滞説と統合失調症説のある冷泉天皇(第63代)、躁うつ病説のある花山天皇(第65代)などが挙げられているが、ここでは神経症と考えられる天皇について紹介する。

東大寺・奈良の大仏を建立した聖武天皇(第45代)は小学校の教科書で御存知のことと思う。聖武天皇は体が弱く、虚弱体質と心的葛藤をしずめようと5年間彷徨したことがあるという。情緒不安による神経症だったと考えられている。鑑真のもたらした薬の五石散(強精剤)、龍骨・龍歯(不老長寿薬)で治療を受けたそうである。聖武天皇には①藤原氏に対する政治的コンプレックス、②光明皇后の豊満な肉体に対するコンプレックス、③自分の虚弱体質に対する劣等感、という三つのコンプレックスがあったようだ。東大寺と大仏を建立したのはこれらのコンプレックス解消のためだったという見方もある。

 

「鳴くよ うぐいす 平安京」の語呂合わせで794年という平安遷都の年号を覚えた方も少なくないだろう。当時、桓武天皇(第50代)の皇后や母親が次々と病死し、藤原種継事件で疑いをかけられて死んだ早良親王の怨霊のせいだと噂が広がっていた。また、皇太子も病弱だったが、実は早良親王の怨霊を恐れ、長く「風病」(中枢神経の病気の総称)にかかっていて、実際には神経症だったと考えられる。桓武天皇自身、早良親王の怨霊をひどく恐れていた。桓武天皇の不安は平安遷都という行動に転化される。のちに即位した平城天皇(第51代)は即位3年で突然退位するが引退と静養で元気になっている。藤原氏を中心とした宮廷内の権力争いが大きなストレスになっていたのだろう。元気を取り戻した平城上皇がお気に入りの藤原薬子にそそのかされて薬子の乱へとつながっていく。

 聖武天皇がコンプレックスで悩まなければ、東大寺や奈良の大仏は作られなかったかもしれない。桓武天皇が怨霊を過度に恐れなかったら、平安京ひいては今の京都の町もできなかったかもしれない。神経症が歴史を変えていたと思うと、不思議なものである。

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2009年4月 1日 (水)

神経質礼賛 411.二人に一人は「あがり症」!?

 今日から新年度。新しい環境の中で緊張した一日を過ごされた方もおられるだろう。スロースターターの神経質人間は環境の変化に慣れるまで時間がかかるものである。当分はまごまごしながら何とか毎日が過ごせていければよく、焦る必要はない。

 医師向けのMedical Tribuneという新聞326日号の特別企画として「社会不安障害におけるシグマ受容体の役割とフルボキサミンの可能性」という記事があった。フルボキサミンとは日本で最初に発売された新型抗うつ薬SSRIで商品名はデプロメールあるいはルボックスである。社会不安障害SAD(「社交不安障害」に名称変更)の適応もあり、製薬メーカーはこの分野での売り込みに力を入れている。最近ではシグマ1受容体に作用することで神経可塑性を改善し、脳内神経の再構築促進作用があるということがわかってきている。

 この記事の中で、2005年に一般市民を対象にしたインターネット調査で「人前で話をする、食事をする、字を書くなどのときに緊張しますか」との質問に46%が「緊張する」と答えており二人に一人があがり症だとしている。またアメリカの研究ではSADの生涯有病率は13%という数字も出ているとのことだ。そこで早くこの「病気」を発見してSSRIを飲ませて「治療」しよう、という製薬メーカーの戦略に沿った大学教授たちの発言なのだが、本当にそうなのだろうか。

 インターネット調査だから回答者層には偏りがあるはずでいくらなんでも5割ということはないだろうが、少なくとも1-2割くらいの人はあがり症に悩んでいると私は推測している。そもそもこれだけ多くの人がそういう状態で普通に社会生活しているのを「病気」として薬で「治療」すべきだという考え方はいかがなものか。製薬メーカーは大儲けだが、医療費がパンクする。それに、薬を飲んで不安が軽減されるメリット以外に、薬の副作用、さらに私が以前から主張しているように神経質の良さも失われてしまうデメリットもある。それよりも森田療法の考え方で、緊張するのは仕方なしとして行動していく習慣づけをしていくのであれば全くお金もかからない。もちろん認知行動療法でもよい。シグマ1受容体云々でなくても森田療法などの精神療法でも脳内神経の再構築が行われるのではないかと想像する。もっともそれを検証することは試験管的な実験ではできないので極めて困難だし、巨大な製薬メーカーがバックについた研究と違って研究費も得られないから、精神療法の神経細胞レベルでの効果を検証する研究はいつまでたっても進まない。

 私は今でも人前で激しく緊張し、赤面し、あがる。講演の前にはおなかの具合も悪くなる。しかし、病気だとは考えないし、まあこんなものだ、と思っている。逆に神経質だからこそ事前にいろいろと準備を重ねるのでよい面もある。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集第4p.386)と森田先生の言われた通りである。

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2009年3月30日 (月)

神経質礼賛 410.不即不離

 不即不離とは、つかず離れずの関係をいう。神経質人間ではともすると柔軟性に欠けるきらいがある。「話す時に相手の目を見ることができない」と訴える視線恐怖の人は、全く相手を見ないわけではない。「目を合わせて話なさければならない」ということにとらわれ過ぎているのだ。これがもし、相手の目をじっと見つめたままであったら、相手は不気味で逃げ出すだろう。無意識のうちに相手の目を見たり視線をそらしたりしている、いわば不即不離がむしろ自然なのである。

 森田正馬先生は、よく患者さんたちを連れて散歩に出かけられた。しかし先生は息切れがしてゆっくりしか歩けない。患者さんたちは先生を追い越しては失礼だと思ってピタリとその後についてくる。これはハタから見れば異様な光景である。森田先生がくっついてこないようにと注意すると、今度は10mほど間隔をあけてソロソロと歩いてくる。そこでまたお説教である。「悪智にとらわれていては犬にも劣る。犬は主人にくっついているだけでは退屈なので興味を引くものがあれば走っていくが、すぐにまた主人の所へ戻って来る。どうすればそのように不即不離になれるかというと、悪智(はからいや小細工)を捨てて自然に帰ればよい」、と話された。

 不即不離は何も神経質人間に限って大切ということではない。例えば家族関係でもあるのではないだろうか。親子関係でも、子供が小さいうちは何から何まで親がくっついて手出し口出ししなくてはならないが成長につれて距離が離れてくる。しかし、食事を一緒に食べることもなく自室にこもりきりというようにあまり離れすぎても家族としての一体感がなくなる。過干渉では困るが適度なかかわりは必要だろう。熟年期の夫婦関係も同じだろう。定年退職してすることのない夫がべったり妻につきまとって妻がノイローゼになってしまうということが話題にのぼる。かといって家庭内別居でもまずいだろう。夫婦であっても適度な距離があるものだ。

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2009年3月27日 (金)

神経質礼賛 409.まるはん

 春のお彼岸に合わせて義母のお墓が完成したので家族でお参りに行った。義母は鰻が大好物で、年に3、4回は皆で食べに行ったものだ。昨年6月に体調を崩して膵臓癌と判明、11月には亡くなってしまい、最後の鰻を食べてもらうことはできなかった。

 今時珍しく田んぼにはさまれた鰻屋「まるはん」は木々に覆われている。木戸をあけると古民家が現れる。建物に入ってすぐの所に清水に洗われている鰻たちを見ることができる。調理場ではせっせとオヤジさんが鰻を焼き上げ、配膳と洗場を担当しているのはオヤジさんの親戚の女性一人だけである。6畳ほどの客室はどこもオヤジさんが撮った富士山の写真があるばかりで、テレビもエアコンもなく、窓をあければ自然の風が入ってくる。メニューはなく、予約客しかとらない。土曜日は定休で日曜日も隔週休み。昼だけの営業である。自称「へそ曲がり」のオヤジさんは、奥さんを亡くしてうつ病になったことがあるそうだが今では元気に仕事をされている。ここの鰻は絶品である。御飯も漬物も実にうまい。

 箸の包み紙にはオヤジさんからのメッセージが印刷されていて、1年くらいで内容が変わる。面白いので持ち帰っている。今回のものを紹介させていただこう。

らあーッくに生きたい人に!!

   人と比べず、背伸びせず

  がんばらないけど、あきらめず

  どんな事でも投げ出さず、逃げ出さず

      人の前では でしゃばらず、

   それでも 自説は押し通す。

 なかなかいいことが書いてある。神経質人間の場合で言うと、動き始めればコツコツがんばるし長続きするのが特長だが、スロースターターであり、始める前からああでもないこうでもないと考えたあげくにあきらめて逃げてしまうことがある。それとつい人と比べてしまい劣等感にさいなまれることがある。これは人より優れたいということからくるもので、決して悪いことでもない。劣等感を持ちながら、人並みになるように、さらに人より頭一つ前に出るようにと努力を続けていけばプラスに生きるのである。神経質はでしゃばって人から嫌われる心配はまずないだろう。

 「らあーッくに生きる」レベルに達するのは容易ではないかもしれないが、「苦楽共存」のつもりで行動していくうちに、楽とか苦とかを意識しないようになってくるものである。

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2009年3月23日 (月)

神経質礼賛 408.和顔愛語(わげんあいご)

朝の通勤途中にあるお寺の掲示板には標語が書いてある。一週間で新しいものに変わることもあれば、1ヶ月くらいそのままのこともある。先週からの標語は「和顔愛語」という言葉だ。その後に「なごやかなお顔で 親切な言葉で」とある。

笑顔や優しい言葉は、物やお金がなくてもいつでもどこでもできる。ボランティア活動をされている方は実感しておられると思うが、人のために何かした時に見せてもらう笑顔や心からの「ありがとう」の一言で、自分も癒され幸せを分けてもらった気持ちになるものだ。笑顔と優しい言葉は自分も人も幸せにしてくれる。

神経質人間には特有の硬さがある。面白くない時は、つい、それが顔に出やすく、気がつくと仏頂面になっていることがある。これは私自身、気をつけなければと思っていることである。「顔で笑って心で泣いて」がなかなかできない。自分が不遇なのは周りのせいだ、と不満をかこちやすい。森田療法を受けている患者さんの中には、「自分を偽って笑顔を作るのはおかしい」という人がよくいる。しかし、周囲を変えることは簡単にはできない。自分の行動を変えるしかないのだ。行動を変えると、気分も後からついてくるものである。嫌だなあ、苦手だなあ、と思う人と話す時に笑顔で話してみると、気持ちにゆとりが出てきてラクになることもある。特に対人恐怖、赤面恐怖の人は、緊張しながら、あがりながらも、笑顔を心がけてみるとよい。

自己中心的な人と話をしていると、つい語気を荒げてしまうことがある。1年ほど前、他の病院で外来担当医とトラブルを起こして紹介されてきた外来患者さんがいる。紹介というと聞こえがいいが、実態は厄介払いである。彼は就職しても怒りっぽいため、すぐにクビになるが、自分が悪いとは思わずすべて周囲のせいにしている。両親にも当り散らす。初診時、こちらの話を聞かずに一方的にまくしたて続けるので、彼の怒りのツボを刺激する言葉を発してしまった。本人の話を傾聴するのが精神科の基本なのだが、私は時々掟破りをしてしまう。その後は、爆発が起きない範囲内で叱るべきことは叱り、いいところは褒め、どうにかバランスを保っている。定年退職した彼の父親が農業を始め、彼も手伝うようになって、規則正しい生活が送れるようになってきた。「偉いじゃない」と褒めると、硬い表情が和らいで笑みが漏れる。こういう人に対しては「愛語」のアメはそう安売りはできない。

神経症を乗り越えた人では、和顔愛語が自然と身についてくるものである。岡本常男さん(37,268,269話参照)は、胃腸神経症を森田療法で克服した後、「近寄りがたく怖い存在だったのが、親しみやすく話しやすくて明るくなられた」と周囲から驚かれた、と講演で述べておられる。私はまだまだである。

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2009年3月20日 (金)

神経質礼賛 407.「うつ偽装 簡単」

 平成21年3月18日付の読売新聞に、「うつ偽装 簡単」という大きな見出しで、札幌市内の詐欺グループ5人が逮捕されたという記事があった。うつ病の体験記を読んでうつ病を装って精神科クリニックを受診すると、15分ほどの診察で簡単に薬が出た。2回目の受診で「会社を休んでいるから」と傷病手当金の意見書を医師に書いてもらった。この詐欺グループの会社の架空支店に勤務しているという名目で社会保険事務局から傷病手当金を騙し取ったということである。大きな病院だと怪しまれるので、小さなクリニックを狙って「受診」したとのことだ。犯人たちは口をそろえて、いとも簡単に騙せた、と言っているそうだ。

 病気で休業中の人の生活を守り安心して療養に専念できるようにする制度を悪用した卑劣な犯罪である。それにしても、医療機関側で見破ることはできなかったのだろうか。確かに本人がうつ病のふりをふれば、ウソを見破るのは容易ではない。以前にもうつ病のふりをする「患者」についての報道があった(353話)。しかし、本物のうつ病は初診時に家族や上司に連れられて来ることが多いし、もし一人で受診したとしても自殺予防や本人への対応法を説明する必要から、「次は御家族と一緒に来てください」というのが普通である。初診時には生活歴を聴取する際、これまでどういう仕事に就いてきたか、現在の仕事内容や残業・休日出勤状況や上司・同僚との人間関係などは必ず聞くし、簡単な心理検査も行うので、どこかでボロが出るだろう。また、2回目の受診で傷病手当金の意見書を要求されることは普通ありえない。欠勤を有給休暇で処理しきれなくなって1ヶ月以上してから意見書を書くからである。「気分が落ち込んで夜も眠れない」というような訴えを聞いただけで「うつ病」の診断をつけて安易に抗うつ薬などを処方し、診断書や意見書を乱発する風潮がありはしないだろうか。

 ただでさえ精神科外来には、いくつもの医療機関をかけもち受診しては睡眠薬や抗不安薬を乱用する人、密売用の薬の入手目的で受診する人、病気でもないのに休業の診断書欲しさに受診する人などがやって来る。時には演技で涙を出さずに泣く人もいる。ウソを見破ることにも神経質を活用しなくてはならないのは悲しいことである。

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2009年3月16日 (月)

神経質礼賛 406.ロコモ

 病院に送られてくるメディカル朝日という雑誌をパラパラ見ていたら「ロコモ」という言葉が目に留まった。初めて目にする言葉である。蒸気機関車(ロコモーション)と関係があるのだろうか、まさか料理のロコモコ丼と関係があるわけないだろう、などと思いながら記事に目を通した。

 ロコモは運動器症候群すなわちロコモーティブシンドロームの略で、運動器(筋肉や骨)の障害のために要介護となるリスクが高い状態になることをいう。高齢者に多い骨粗鬆症、変形性関節症や慢性関節リウマチなどの疾患ばかりでなく、加齢による筋力低下・持久力低下・バランス能力低下といったことも要因になる。

 日本臨床整形外科学会のホームページには「ロコチェック」ということが書いてあった。

1)片脚立ちで靴下がはけない

2)家の中でつまづいたり滑ったりする

3)階段を上がるのに手すりがひつようである

4)横断歩道を青信号で渡りきれない

5)15分くらい続けて歩けない

の5項目のうちひとつでも当てはまればロコモが疑われるので専門医の診察を受けましょう、ということである。

 メタボ健診同様にロコモ健診を勧めようという意図も見え隠れしないでもないが、今まで盲点となっていた問題を提起したことはとてもよいことだと思う。精神科病院に入院している中高年の人たちも昼間からゴロゴロ寝て過ごしていると、この「ロコモ」状態となるのが早くなってしまう。週1回、病院の中庭での運動の日がある。神経質な私は外来診察の合間に窓越しに様子を見ているが、出ていない人に気付くと、病室へ行って声をかけて出るように勧めている。

 超高齢化社会となり、医療費の増大がよく問題になる。本当に大切なのは、病気になって医療機関にかかることよりも、生活スタイルに気をつけて、生活習慣病を予防し、少しでも若い時の機能を維持していくことだと思う。

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2009年3月13日 (金)

神経質礼賛 405.老眼鏡

 45歳頃から老眼を自覚するようになった。外来患者さんから「この薬を飲んでいるのですが」と錠剤を出されて、シートがない裸錠だと薬本体に印刷された小さな製剤コードを見なければならない。老眼にはキビシイ。神経質人間ゆえ白衣のポケットに常時ルーペを忍ばせている。50歳を超えてからは小さい活字を読むのが困難で、書類を書くのにも苦労するようになった。一番困るのが縫合処置をする時である。年に一度くらいは、入院患者さんが転倒して頭を切るようなことがある。たまたま外科のパートの先生がおられる時ならばお願いしてしまう。そうでないと自分でやらなくてはならないが、どうにも眼のピントが合わなくて往生する。

 100円ショップで売っている老眼鏡でも普通の人ならば結構使えるのだが、私は丸顔で顔の幅が広いため、規格品ではムリがある。そこでメガネ屋で遠近両用メガネを作った。最近のメガネのフレームはファッション性重視のためか、細い(レンズ上下の幅が狭い)物が多く、遠近両用には不向きである。作ったのは「全視界メガネ」と宣伝されているもので、鼻パッドが上下に移動する仕掛けになっている。パッドはマグネットで固定され、近くを見る時はメガネを上に持ち上げれば見やすくなる。・・・はずなのだが、使い勝手はイマイチだった。無意識にメガネのズレを直すために触った時に、気がつかないうちに片方のパッドだけが動いてしまい、左右びっこになっていることがある。後で気がついて恥ずかしい思いをすることもある。神経質らしく時々メガネをはずしては「確認行為」をすることになる。もっぱら外来診察専用で、それ以外は医局の机の上に置きっぱなしである。次に作る時は老眼専用にして、首にぶら下げておこうかとも思う。

 歳とともに、白髪・シワが増えるばかりでなく、老眼になるし、少しずつ白内障にもなってくる。禅僧・仙厓の描いた「老人六歌仙画賛」(238話)には絵とともに古人の歌として「しわがよるほ黒が出ける腰曲る 頭まがはげるひげ白くなる・・・」(原文のまま)という身体的変化と、「心は曲る欲深ふなる くどくなる気短になる・・・」といった性格的変化が書かれている。身体的変化はやむを得ないが、調節力・柔軟性に欠ける「こころの老眼」には気をつけたいものである。

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2009年3月 9日 (月)

神経質礼賛 404.レーシック手術

 先日、銀座のクリニックで視力矯正のためのレーシック手術を受けた人たちに感染性角膜炎や結膜炎の症状が出たことが報道されていた。まだ入院中の人もいて、最悪の場合は角膜移植が必要になる可能性もあるという。原因は手術器具の滅菌が不完全だったということで、一部報道では医師が滅菌手袋を使わずに素手で手術していたとのことである。こうなると、医療過誤というより、人災に近い。安全な手術だと高をくくって、神経質が足りなかったと言わざるを得ない。

 レーシック手術はレーザーを用いた近視・乱視の矯正手術である。スポーツ選手がこの手術を受けているということで人気が高まった。角膜の表面を薄くはがしておいてレーザーを当てて角膜を薄くすることでレンズの屈折率を適正にするもので、その後ではがした部分(フラップ)を元に戻す。今回の問題は角膜をはがす器具の滅菌が不十分で集団感染が起こったものと考えられている。

 以前から医師のサイトではレーシック手術の是非が話題になっている。短時間の日帰り手術で眼鏡やコンタクトが不要になるメリットは大変大きい。しかし、問題点もある。フラップを作ることで角膜中心部の神経が切断されるためにドライアイになることがある。手術を受けたことで角膜の機械的強度が低下して、外傷時に眼球破裂を起こすリスクが高まるという点も指摘されている。また、角膜を削りすぎてしまった場合、もはや補正は困難である。そして何といっても、長期予後がまだ不明であり、10年先、20年先になって、問題が起らないという保証はない。そうしたデメリットを考えると慎重な神経質人間はすぐには飛びつかないと思う。

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2009年3月 6日 (金)

神経質礼賛 403.強迫的な作曲家たち(3)ストラヴィンスキー

 最後はイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)である。ロシア生まれで父親はオペラ歌手だった。大学で法律を学んでいたが、リムスキー=コルサコフに作曲法を学び、作曲家への道を歩むことになる。20代後半でバレエ音楽「火の鳥」と「ペトルーシュカ」で成功を収める。30代になってバレエ音楽「春の祭典」がパリで初演された。この時には大作曲家たちも来場していたが、サン=サーンスはすぐに席を立って出て行ったという。聴衆からはヤジと怒号が飛び交い、場内で賛成派と反対派の激しい喧嘩が始まったそうである。この曲に関する賛否両論が巻き起こり世界的に注目されるようになった。確かに強烈なインパクトのある曲である。なお、終曲の変拍子は指揮者泣かせの難物で、ストラヴィンスキー自身うまく振れなかったというし、後に大指揮者が演奏中に曲を見失ったり中断したりするアクシデントに見舞われている。第一次世界大戦でスイスに移住するが、1917年のロシア革命でロシアにあった土地などの財産を失った。その後はしだいに古典回帰の曲を作るようになる。第二次世界大戦前には娘と妻を亡くし、ナチスの圧迫のためにアメリカに渡り、ハリウッドに住んだ。1959年に来日した際には日本人作曲家・武満徹の作品を聞いて絶賛し、それまで無名だった武満徹が評価されることとなった。晩年はニューヨークに住み、長寿を全うしている。

 ストラヴィンスキーも一旦発表した曲を何度も改訂したことで知られている。「リハーサル中でも書き直す」と言われた。アメリカに渡って過去の版による著作料が入ってこないため改訂版を出した、と言われているが、完全欲が強く強迫的であることも大きな原因だったのではないだろうか。作風は初期の原始主義から古典派回帰、十二音技法と次々と変化し「カメレオン」とまで評され、作風の変貌ぶりという点では美術界で同世代のピカソ(1881-1973)と比較される。これもあくなき探究心によるものだと思う。

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2009年3月 4日 (水)

神経質礼賛 402.強迫的な作曲家たち(2)マーラー

 次はグスタフ・マーラー(1860-1911)である。マーラー現在のチェコ、当時のオーストリアで生まれた。酒造業をしていた父親は地元のユダヤ社会では有力者だった。14人兄弟の二番目だが、多くは早死した。弟の一人は成人後にピストル自殺している。15歳からウイーンの音楽院で学び、前話のブルックナーから対位法(和声法とならぶ作曲技法)を学んだ。その後は指揮者として活動しながら歌曲と交響曲を中心に作曲していった。交響曲はブルックナー以上に長大であり、1曲でCD2枚組というものもある。

 マーラーの曲には死や夜にまつわるイメージがつきまとう。交響曲第5番はいきなり葬送行進曲で始まるし、第6番には「悲劇的」、第7番には「夜の歌」という題名がついている。当時ヨーロッパに蔓延した世紀末の厭世観の影響もあったかも知れないが、弟たちを早くに亡くしていることが大きな要因だったのだろう。彼は、不吉だからという妻の反対を押し切って「亡き子をしのぶ歌」を発表したところ、長女が病死するという悲劇にも見舞われている。そんな彼は「第九のジンクス」に悩んだ。ベートーヴェンもシューベルトもドヴォルザークも交響曲第9番を書いて亡くなっている(シューベルトの「グレイト」はかつて第9番とされていた)。「交響曲第9番を作ると自分も死んでしまうのではなか」と恐れていた。一種の縁起恐怖である。そこで本来、第9番となる曲に「大地の歌」と名付けて9番を回避した。その後安心して第9番を発表したのだが、第10番は未完のまま亡くなったため、結果的には第9番が最後となって、ジンクスは破れなかった。

 マーラーには他の悩みもあった。19歳も年下の美しい妻アルマには魅力的な男性たちからの求愛があって不安である。妻がいることを夜中に何度も確認する強迫症状や、作曲中の集中困難が悪化し、ついには精神分析で有名なフロイトの診察も受けている。フロイトは症状の原因を幼児期の体験に求め、それをマーラー自身が洞察することで症状は改善したようである。

マーラーの曲は不安に悩む現代人の心に強く響く。まさに神経質の音楽である。いろいろな葛藤があっても、第2番「復活」、第4番「大いなる喜びへの賛歌」となってほしいものである。

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2009年3月 2日 (月)

神経質礼賛 401.強迫的な作曲家たち(1)ブルックナー

 強迫神経症だったと言われる作曲家ショスタコーヴィチについては以前書いた(138話)。今回はシリーズで、やはり強迫神経症だったと言われる大作曲家を取り上げてみる。まずは、アントン・ブルックナー(1824-1896)である。

 ブルックナーはオーストリアの作曲家で、もとはオルガン奏者である。作曲家としては極めて晩成型であり、30歳を過ぎてから作曲を学び、交響曲を作り始めたのは40歳に近くなってからである。代表作の交響曲第7番を世に出して人気を得たのは60歳頃である。ブルックナーの交響曲はヨーロッパ特にドイツ・オーストリアでは極めて人気が高い。初期の交響曲ヘ短調、交響曲第0番から未完成の第9番まで計11曲を作曲している。日本ではそれほど知名度は高くないが熱烈なブルックナー好きはいるし、朝比奈隆(1908-2001)さんの指揮による大阪フィルの演奏は海外でも高く評価された。

 ブルックナーの交響曲には際立った特徴がある。弦楽器のトレモロで始まる曲が多く、曲想が変わるところで管弦楽全体を一旦休止させることがしばしばある。また、ブルックナー・リズムと言って2+3あるいは3+2の音型がよく登場する。同じ旋律の繰り返しも多い。そして演奏時間が長い大曲が多い。1曲聴けば、満腹でご馳走様と言いたくなる。演奏会では交響曲1曲で終わり、というプログラムにもなりやすい。そして「版問題」がある。ブルックナーは一度発表した曲にもこだわりが強く、自分で何度も改訂版を出している。さらに弟子たちが校訂した版があるのに加えて、国際ブルックナー協会が原典版を2回出した(ハース版とノヴァーク版)ため、ややこしくなっている。作風といい改訂を繰り返したあたりはまさに完全欲が強い強迫の特徴がよく表れていると思う。

 ブルックナーは厳格なカトリック信者で、流行遅れの服装に身を包み、純朴な性格だったと言われている。女性には縁がなく、生涯独身だった。晩学ながら作曲家として大成できたのは神経質の粘り強さのおかげだったのではないだろうか。

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2009年2月27日 (金)

神経質礼賛 400.死は恐ろし 恐れざるを得ず

 これは森田正馬先生の色紙に書かれている言葉である。

 「死ぬるは恐ろしい。生きるのは苦しい」。言い換えれば、「死を恐れないで、人生の思うままの目的を、楽々とし遂げたい」という事になる。これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、極めて簡単な事を覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでも、すべて消失するのである。既に神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人には、全く嘘のような法螺のような話である。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.183

 森田先生は9歳頃、村のお寺で極彩色の地獄極楽の掛図を見てから、死後のことを考えて恐れ、悪夢にうなされるようになったという。白隠禅師(150話、388話)が地獄の恐ろしさにとりつかれたのも似たような年頃である。

思い返してみれば、私も小学校3、4年生頃、「死」を強く気にするようになった記憶がある。その頃の担任の先生は雑談が大好きで、毎日1時間目は必ず漫談で終わっていた。その話の中に車にはねられて「痛いよー」と泣き叫びながら亡くなった小学生の話だとか、頭にケガをした時には何ともなくても少しずつ脳出血が起きて死んでしまうこともある、といったことがあって、そのことがずっと頭にこびりついた。ガラスの破片で切り傷をした後、小さなガラスの破片が脳の血管に穴をあけて、ある日突然死んでしまうのではないか、と恐れた。また、歩数を数えては、「死」とか「苦」のゴロ合わせで、4歩とか9歩にならないように調整する強迫行為もあった。これはしだいに薄れていくのだが、今度は人前で極度の緊張を覚えるようになっていった。対人関係の失敗は「社会的な死」にもつながるわけだから、対人恐怖も「死の恐怖」の変型だと思う。それから長いこと悩み続けた。自分は弱い性格で情けない、何とかしなくては、と苦闘し続けた。やがて試行錯誤しているうちに「苦しいままに行動する」ということが身についた。そんなわけだから、医大の講義で森田療法の話を聞いた時には、不遜にも「何だ、あたり前のことじゃないか」と感じて特に興味を持たなかった。恥ずかしながら、精神科に入局して森田療法の患者さんの治療にあたるようになって初めて森田先生のすばらしさを痛感した次第である。上記の引用部分は神経質の心理を実に的確に表現していると思う。

修行して悟りきった人ならば死の恐怖から開放されるだろうか。以前にも書いた(90話・238話)江戸時代の禅僧の仙厓(1750-1837)は素直に「死にともない死にともない」と言って死んでいったという。神経質な凡人としては死を恐れながら、生の欲望に沿って、毎日できることをやっていくのみである。

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2009年2月23日 (月)

神経質礼賛 399.蛇足

 蛇足とは中国の故事からきた言葉である。蛇の絵を早く描く競争で、早く描けた人が余分な足を描いてしまい負けになった、という話である。余分かなと思いながらも念のため書き加える時に「蛇足ながら」と付け加える。より完全を期して書き加えたことが、余分であるばかりかおかしなことになっていることがある。自分が書いた文章を後から見ると、どうも蛇足部分が多いと反省するばかりである。

 普段、神経症で入院している人たちの日記を読んでいると、確認癖のあるような強迫神経症(強迫性障害)の人の日記は概して長い。書ききれなくなって欄外にまで書いてあったり、小さな字でびっしりと埋めつくされていたりする。後から付け加えて挿入記号が入っていることもよくある。書くのに時間がかかり過ぎて提出期限が守れないこともある。本人としては、あれもこれも書いておかなくては、という完全欲によるのだろうが、枝葉末節を取り払えば、頭の中もスッキリするのに、と思う。

 森田正馬先生は患者さんの日記を引き合いに出して、次のように言っておられる。

 肩の凝らない話を、合いの手に一つします。神経質の完全欲という事の一例です(患者の日記を読む)。

 「・・・そして次に、風呂場を掃除す。ただし風呂釜の方はしなかった」。なかなか正確ですね(笑)「・・・自室に入り、封筒の型、そのほかの材料を持ちて、仕事場に入る」。一つひとつの事を細かく詳しく書いてある。今日の学者の論文でも、いたずらに正確に遺漏のないようにと考えて、その書く事の目的を忘れてしまう事が多い。(白揚社:森田正馬全集 第5p.359

 と、手段ばかりに気をとられて目的を忘れる愚を指摘されている。

中には普段から「メモ魔」というような人もいる。忘れると不安だからと仕事の手順をこと細かくメモして持ち歩く。そして、その手順通りできているかどうか確認しないと気が済まないのである。その結果、どうしても仕事が遅れがちになってしまう。

 完全欲(390)は悪いことではないが、過ぎたるは及ばざるが如し、である。私たちの実生活では、ほどほどにできていれば良いということが多い。あるところばかりに時間をかけていたのでは、他のことがおろそかになる。大切なのはバランスなのである。欲張り過ぎて蛇足にならぬよう気をつけたいものである。

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2009年2月20日 (金)

神経質礼賛 398.ヘンデルとハイドンの記念年

 今年はヘンデルの没後250年、ハイドンの没後200年の記念の年にあたる。それにちなんだコンサートが企画されているようだ。

 ヘンデル(1685-1759)はJ.S.バッハと同じ年に同じドイツで生まれている。なじみのない方もいるかも知れないが、表彰状授与式で流されるBGMはオラトリオ「マカベウスのユダ」の中の「見よ、勇者は帰る」である。「メサイア」の中の「ハレルヤ・コーラス」は中学生の頃、合唱コンクールで耳にされた方が多いと思う。また、「クセルクス」の中の「オンブラ・マイ・フ(懐かしい木陰よ)」と「リナルド」の中の「私を泣かせてください」の美しいメロディはテレビCMやドラマのBGMで多用されていて、聞けば、「あ、あの曲!」ということになるだろう。私は、有名な曲ではないが、FMの朗読の時間に流れていた曲名がわからず、ずっと気になっていて十年以上もたってからヘンデルのリコーダーソナタ・ニ短調だと分かった経験がある。

 J.S.バッハが「音楽の父」と呼ばれるのに対し、ヘンデルは「音楽の母」と呼ばれることもある。音楽の上ではバッハが宗教曲を多く作っているのに対し、ヘンデルは世俗的な曲を多く作り、ヘンデルの曲の方が気楽に聴けるものが多い。

 二人の性格の共通点は、「短気」というあたりだろうか。しかし、ヘンデルの方が柔軟でショーマンシップがあり、渡英して成功を収め、最終的にはイギリスに帰化している。バッハは粘着気質(てんかん器質)と思われ、秩序を好み堅物で熱中しやすく、回りくどい反面、怒りっぽかった。後に妻となる人とデートしている時にからかわれていきなり剣を抜いた、とか、楽団の演奏が気に食わないと怒ってカツラを取って投げつけた、といったエピソードが知られている。雇い主とのトラブルも多かった。私はバッハの曲は大好きであるが、もし彼が生きていたら半径10m以内には近づきたくないところである。バッハはヘンデルに会おうとしたが、実現しなかったという。ヘンデルが独身だったのに対し、バッハは子沢山(20人!)で、この二人の比較は何かと面白い。亡くなった年は違うが、二人とも白内障の手術を同じ医師から受けたが効果はなく、かえって健康を害して亡くなった、という奇妙な共通点がある。

 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)はオーストリアの作曲家であり、現在のドイツ国歌は彼の弦楽四重奏曲の中から採られている。彼は長年にわたり大貴族エステルハージ家に楽長として仕えた。交響曲は全部で104曲と極めて多作であるが、実質的には各パート一人で演奏する室内楽曲と考えた方が良いものもあるそうだ。彼の仕事は作曲ばかりでなくお抱え楽団維持に関する雑用が多く大変であったらしいが、上手にこなしている。家族と離れて生活する楽団員たちが休暇をもらえず不満がくすぶっていたのを察知したハイドンは主人の前で交響曲第45番「告別」を演奏する。曲の最後は、十二人の奏者が順々にロウソクを消して退場していき、ついにはヴァイオン二重奏になり、その二人もロウソクを消して退場して終わる、というものだ。これを見た主人のエステルハージ侯爵は、楽団員たちの思いを知って休暇を与えたということだ。この逸話はハイドンの気配り上手ぶりを示している。最近話題の「執事」タイプだったのだろう。ハイドンの妻は音楽には全く理解がなく悪妻として有名だが、ハイドンもハイドンで楽団の女性歌手と関係を持ち子供をもうけたと伝えられている。晩年はうつ状態だったとも言われる。神経質というよりは対他配慮が強くおとなしいメランコリー親和型の性格だったのではないかと思われる。

 ヘンデルの曲もハイドンの曲も理屈抜きで楽しめるものが多く、BGMで流しておいて仕事の邪魔にはならないものが多いように思う。私のオススメの一曲は、ヘンデルの「水上の音楽」、ハイドンのトランペット協奏曲である。どちらもリラックス効果だけでなく元気を出す効果がありそうだ。

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2009年2月18日 (水)

神経質礼賛 397.飲酒による不始末

 一昨日のTVニュースでは、ローマで開催されたG7会議後の記者会見で日本のN財務相が意識朦朧状態でロレツが回らない様子が放送されていた。この模様は全世界に流されており、海外の記者からは「エスプレッソを飲んだらどうか」「国内で何万人もの労働者が解雇されているのに眠れるはずはない」などと辛辣な批評もされた。本人は後から「風邪薬の飲み過ぎ」と釈明し、御用医師の診断書を提出したとのことだが、飲酒による酩酊状態だったことが疑われている。診断書を依頼された大先生も困ったことだろう。急性アルコール中毒とは書けないだろうから。

 風邪薬の主成分は、熱を下げ喉の痛みを緩和する解熱鎮痛薬・鼻水止めの抗ヒスタミン剤・頭痛を和らげるカフェインの3剤であることが多い。抗ヒスタミン剤は頭がボーとして眠くなるが、カフェインの覚醒効果は大きい。むしろ風邪薬を多量に飲むと頭がすっきりして眠くならない、ということで一時期高校生の間で風邪薬乱用が流行ったことがあった。今でも時々、風邪薬を常用しているという人が外来に来ることがあるが、結局はカフェイン依存症と考えられる。また、風邪薬の飲み過ぎで、場合によっては眠くなることはあっても、ロレツが回らないほどの状態になるとは考えにくい。本人の言う、「腰痛の薬」も通常の解熱鎮痛薬では眠気は出ない。腰痛症の適応があって睡眠薬としても用いられる抗不安薬デパスならばアルコールとの併用で意識障害はあり得ることではあるが。

 N財務相は昨日辞任を表明したが、今朝の読売新聞によれば、いろいろと前科があるようだ。昨年11月、スペイン国王夫妻を招いての宮中晩餐会の場で飲酒し、「宮内庁のばかやろう!」と怒鳴って途中退席したという。先月の衆院本会議で演説の際も原稿の読み間違いが多く「体調不良」と釈明していた。

 飲酒による失敗は多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。私も会社員時代、先輩たちに誘われて深夜まで飲んで、次の朝、ひどい二日酔い状態でバスの中で気持ち悪くなりながら何とか出社したものの午前中は仕事にならなかった苦い経験がある。それからは翌日の仕事に支障をきたさないように気をつけるようになった。そこは同じ失敗を繰り返さないようにする神経質が働いている。

 飲酒による不始末は自己責任である。個人旅行中ならばともかく、重大な会議の記者会見の場で酩酊状態では話にならない。国の命運を背負って出席しているという緊張感が欠如している。全く「神経質が足りない!」である。

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2009年2月16日 (月)

神経質礼賛 396.花粉症花盛り

 春のようなのどかな気候が続き、身も緩むこの頃だが、例年通りつらい花粉症シーズンの到来である。私は2月1日から抗ヒスタミン剤を飲み始め、外出時はマスクをして迎撃体制を取ってはいたが、2月6日には激しい目のかゆみと若干のくしゃみ発作が出現し、抗アレルギー点眼薬とステロイド点鼻薬開始である。鼻症状は、昨年レーザー手術を受けた(281)効果がまだ残っているようで、いく分軽い感じはある。それでも2月14日の気温が25℃を超えた日には花粉の飛散量が極めて多く、症状を抑え切れなかった。当分は通勤以外の外出をなるべく避け、外ではマスク着用厳守である。家の中に入る時には衣服をしっかり払ってから入る。ここは神経質にしないと痛い目にあう。今年は西日本でスギ花粉の飛散量が多い見込みとのことである。

 外来通院してくる患者さんたちの中にも花粉症の人は多い。現在医療機関で処方される抗ヒスタミン剤は第2世代と言われるもので、市販の風邪薬に含まれる抗ヒスタミン剤よりも眠気が少ないものである。それでも多少の眠気は出るし、精神科の薬と併用すると眠気が増大することもある。

 ある女性患者さんは、学校で母親の集まりの時に他の母親から、「○○医院で注射してもらうと花粉症がよくなる」ということを聞いて、同じ注射を打ってもらった。ところが、その後で吐き気がして、「もうこりごりだ」という。その注射とはステロイドのデポ剤(長期間持続する注射剤)のことだろう。吐き気が注射によるものだとは断定できないが、点鼻スプレーと異なり、全身に作用するだけにステロイドによる副作用が問題となる。ステロイド剤(全身投与)の副作用は感染症、消化管潰瘍、糖尿病の誘発、精神障害(特に「うつ」)、白内障、緑内障など多岐にわたる。花粉症が重症の時に頓用するセレスタミンという内服薬は古いタイプの抗ヒスタミン剤とステロイド剤の合剤ではあるが、ステロイドの量は少ないので、一時的に使う分には害は少ない。また内服ステロイド剤であれば副作用が出てすぐに中止することができるが、ステロイドのデポ剤注射では薬が長期間体内に残るので厄介である。副作用が出てからでは遅いのだ。「神経質が足りない」では済まされない。1本の注射で1ヶ月くらい快適に過ごせるのは結構ではあるが、そのために体調を悪くするようなことがあっては何もならない。花粉症にステロイド注射という選択は極力避けるのが望ましいと思う。そもそも、まともな医療機関で花粉症の人にステロイド注射をするところはないはずであり、そういう医療機関にはお近づきにはならない方が賢明だろう。

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2009年2月13日 (金)

神経質礼賛 395.二月は逃げる

 よく「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と言われる。「行く」ではなく「往(い)ぬ」、あるいは「居ぬ」があてられることもある。これはいつ頃から誰が言い出したのかはわからないが、うまい言葉だと思う。特に二月は平年では28日しかないので、すぐに過ぎてしまう。月の売り上げノルマを抱えた営業マン諸氏にとっては大変な月だろうと思う。

 どうして二月だけが28日しかないのか、と素朴な疑問を感じて調べてみた。もともとローマの暦は農耕に役立てるためのものだったから、現在の3月から始まっていて、1月・2月には名称がなかったそうだ。2ヶ月のズレの名残が10月のOctoberである。Octoは8を意味する。例えばオクターブは音楽で8度のことだ。オクトパスは8本足の蛸である。元は8番目の月ということだった。ローマの独裁者ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が月の日数を31日と30日の交互とし、最後の2月で平年29日、うるう年30日に調整することに決めた。さらに、3月からでなく1月からスタートするように変更した。なお、7月生まれのシーザーは自分の名前を月の名としたため、Julyという名称になった。その後、初代ローマ皇帝アウグストゥスも自分の名を誕生日のある8月につけてAugustとしたが、30日では面白くない、ということで31日にしてしまい、その後の月の日数をずらしてしまった。そのしわ寄せで2月の日数をさらに1日減らす必要が生じ、平年28日・うるう年29日となったということだ。

 実際、一月、二月、三月は何かと行事が多く、あわただしい。会社も学校も4月が年度始めであるから、年度末には仕事が増える。しかし、案外、忙しい方が時間を無駄にしないように意識するためか、かえって仕事もはかどり趣味などもできたりするものだ。森田正馬先生は次のように言っておられる。

 能率の事で一番大切な事は、「忙しいほど仕事がよくできる」という事です。和歌・俳句のようなものでさえも、「暇になったら上等のものを沢山につくってやろう」と考えるのは、大きな思い違いです。実際にそうなってみれば、実は気が抜けて、ちっともできない。よい思いつきや思想などもみなその通りである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻p.759

 神経質人間はヒマにしていてはもったいない。自分の周囲を見渡せば、いくらでもやることは見つかる。神経質を生かして充実した毎日を送っていきたいものである。

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2009年2月 9日 (月)

神経質礼賛 394.忠正廃業

 私の実家の近くに「忠正(チュウマサ)」(吉屋酒造)という約250年続く酒造所がある。勝海舟もここの酒を飲んだという。同じ県内の「磯自慢」「花の舞」「富士錦」ほどメジャーではないが地元のファンには根強い人気がある。店は昔風のたたずまいで、入口に面した陳列棚の奥が帳場になっている。さらに奥には山を背にして工場があり、古い煙突が目を引く。私は子供の頃からここの酒粕の甘酒に親しんできた。とてもいい香りがして、飲めば体がホカホカ温まり、顔も赤くなった(これは赤面恐怖とは関係ない)。結構アルコール分が残っていたようで、私が酒飲みになってしまった一因かも知れない。毎年暮れには新酒のにごり酒が出るので、近年では弟が帰省してくると、それを飲みながら鍋をつつくというのが恒例になっていた。妻の友人にも大の日本酒好きがいて、ここのにごり酒を毎年1本プレゼントしていた。

 ところが、昨年の暮れ、いつまで待っても店頭に「にごり酒」の貼り紙が出ない。聞けば杜氏(とうじ:酒造りの職人さん)が病に倒れて、仕込ができなくなった、とのことだった。そしてついにこの3月で廃業が決まったそうだ。

 どこの酒造所も日本酒離れによる消費低迷・後継者難という問題を抱えている。BS-iの「吉田類の酒場放浪記」という番組を見ていると、長年続いた造り酒屋が廃業して日本酒専門店になったり酒場になったりという例もあるようだ。よい酒を造るには大変な努力と根気が必要であり、神経質さも要求される。日本各地にはその地独特の食材や郷土料理があり、それに合った酒が造られてきた。これもいわば伝統文化で、その灯が消えていくことは惜しい限りである。

 私は子供の頃は和食の煮物や酢の物は苦手だった。しかし、大人になってみると、そうしたものが無性に食べたくなる時がある。若い頃、日本酒は敬遠していた。日本酒の臭いが性質の悪い酔っ払いオヤジを連想させるためだろうか。しかし、煮物や酢の物と同様だんだん日本酒もいいものだ、と思うようになった。子供の時の「刷り込み」のせいか、はたまた日本人のDNAのたまものだろうか。たまの「ハレ」の日には和食に適量(?)の日本酒といきたいものである。

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2009年2月 6日 (金)

神経質礼賛 393.中国で徳川家康ブーム

 先週の新聞に、中国で山岡荘八著「徳川家康」が200万部売れる大ブームとなっていることが書かれていた。昨年の金融危機以降、会社経営者やホワイトカラーの間で人気が出ているのだそうだ。長く苦しい忍従の時期を耐え抜いてトップに立ち磐石の体制を作り上げた家康に学べ、ということのようだ。目先の利益のためには粗悪なコピー商品を大量生産し、消費者の健康被害もいとわない、といった体質から少しは脱却してくれるとありがたい。

最近、静岡新聞社発行の静新新書「駿府の大御所 徳川家康」(小和田哲男著)を読んだ。小和田静岡大学教授は戦国史が御専門でNHKの歴史番組によく出演されている。定説では人質時代の暗くつらい経験が家康の一生に影を落としたとされているが、小和田教授は「家康はのびのびと育ち、どちらかと言えば、すぐ羽目をはずす茶目っ気たっぷりで奔放な少年だったのではなかろうか。「忍」の一生とみるよりは、妥協に妥協を重ねた一生であったとみる方が自然だ」と書いている。

 確かに単なる人質よりはずっと厚遇されていた面もある。9歳から13歳まで臨済寺で今川義元の軍師・雪斎の教育を受け、16歳で義元の姪(築山殿)を正妻としている。義元としては、自分の有力家臣に育てようというつもりだったのかも知れない。また、10歳の時に今川館で元日拝賀の際に衆人の見ている中で縁側で立小便をしたとか、今川氏の菩提寺で鷹狩をしようとして周囲から止められたというようなエピソードもあるらしい。

とはいえ、家康は6歳の時、当初は今川の人質になるはずが織田氏側に奪われて織田の人質となり、8歳の時、人質交換で今川側に身柄を渡されている。祖父・清康は家臣に殺され、父・広忠もまた家臣に殺されたという事実もある。今川の不興を買ったり家臣に恨まれたりしたら自分もいつ殺されるかわからない、という死の恐怖は強く感じていたはずである。神経質は弱力性と強力性が入り混じった性格である。前出の天真爛漫を思わせるエピソードも、実は見下されたくないという気持ちからわざと強がってやったことではないか、という気もする。

小和田教授は家康の性格を「保守的だった。時として思い切ったことをする場面もあるが、何かことをおこす場合、そのことが確実に成功することを確かめてから行動に移している。つまり根まわしを得意としたことが、その裏がえしの表現であろう。体制順応型だった。置かれた状況を冷静に判断する確かな目をもっていた。また、熱しにくく、さめにくいという特徴をもっていたのではないかと考えられる。すぐにはカッとならないが、じわじわくるというタイプで、記憶力のよさ、執念深さということも、この点にかかわってくると思われる」と述べている。これらは神経質の性格特徴と合致する。

以前、209話で三方原の戦いのエピソードを書いた。それを含めて家康には三大危機があった。三河一向一揆の際には家臣の中に一揆を支援する者がいて苦戦し、家康が銃弾を浴びたこともあった。三方原の戦いで敗走する際に家康は斬り死にしようとする。しかし家臣たちが思いとどまらせ、家康の兜を自分の兜と取り替えたり、家康の采配を奪ったりして、次々と身代わりとなって討ち死にしてくれた。そのおかげで家康は浜松城に逃げ戻ることができた。もうひとつの危機、本能寺の変の時、家康は少人数の供人たちと堺で遊んでいた。そのままでは明智方に捕らえられて殺されるのは時間の問題だった。家康はパニックに陥り、斬り死にして信長の後を追おうとするが、家臣の酒井忠次や本多忠勝らに思いとどまるように言われて気を取り直し、伊賀を越えて岡崎まで逃げ帰り、危機を脱している。神経質人間は時に悲観的となって捨て鉢になることがあるが、「生の欲望」は人一倍強いので、最終的には生きのびる道を選ぶことが多い。

家康が織田信長や豊臣秀吉と決定的に違っていたのは、独断専行ではなく、有能な部下たちの意見をよく聞いた上で決断を下していた点である。そういうスタンスであるから三河以来の家臣たちは遠慮なく家康に意見していた。また、マイナス思考のように思われるかも知れないが、過去の失敗にこだわり、それを生かして同じ失敗を繰り返さないようにしようとした点もある。もし、家康が神経質でなかったら、信長同様に自滅したか、秀吉同様に一代で終わってしまうところだったと思う。最後に笑うのは神経質人間であった。

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2009年2月 2日 (月)

神経質礼賛 392.モンテッソーリと森田正馬先生

 前話の秦万里子さんは作曲家・歌手というだけでなく音楽教育者でもあり、モンテッソーリ教育を行っておられるそうである。

 マリア・モンテッソーリ(1870-1952)はイタリアの教育者・精神科医である。まだ女性に対する差別が強かった時代にローマ大学医学部に女性として初めて入学し、イタリア初の女性医師になっている。精神病院に勤務して、知的障害の子供たちを観察した経験から、子供の自発性を生かす教育法を編み出した。これはモンテッソーリ教育として今では全世界に広がっている。

 森田正馬先生(1874-1938)も知的障害児の教育に強い関心を持っていた時期があり、モンテッソーリ教育法に興味を持たれたのだと思う。

 人間は自己の精神の活動を喜ぶ内部の自我が成長して大きくなるのを楽しみとする。何か或る一つの事を仕遂げ、或る一つの事を知り得れば、其成功又は知識其ものが其人にとって非常な喜びである。何も他人から之に対して賞を受ける必要はない。罰に於ても同様である。之が(モンテッソーリ)女史の教育上の根本主義である。

 女史の教育は、つまり自由による訓練であつて、只制限とする処は、自分の自由活動のために他人に迷惑をかける事、及び不行儀なる事を抑止するのみである。訓練に大切なることは、児童に独立心を阻害せぬ事であつて、多くの親や教師は、児童が独りで出来る事、又は出来ねばならぬ事を代わってしてやる風がある。 (白揚社:森田正馬全集 第1巻 p.600

とモンテッソーリの教育法を紹介し、これを高く評価しておられる。過保護・過干渉の問題は現代でも言えることである。

森田先生の治療にはモンテッソーリの教育法と共通点がある。入院中の作業は、当初は森田先生が患者さんに仕事をあてがっていた。薪や材木など仕事の材料を買い入れ、夜業として豆選りや袋張りや楊枝削りなどをさせていた。しかし、しだいに患者さんたちの自主性に任せるようになった。仕事を与えてやらせるだけでは入院中は一見よくなっても、退院後に再発しやすい。「生の欲望」に沿って、自分で仕事を見つけて行動する習慣がつけば本物なのである。言われたことだけを機械的にやることを、森田先生は「お使い根性」といってよく叱った。例えば、「この盆栽に水をやりなさい」というと、言われたことだけやって、他の盆栽の水が切れていても気付かない、というような場合である。そこで周囲をよく見つめて観察すれば、自ずとやるべき仕事が次々と出てくる。心は自然に外向きに流転し、仕事三昧となるわけである。そうなってくると「症状」がなくなるばかりでなく、仕事や勉強もはかどるようになるのである。時に森田療法を「教条的だ」と批判される方もいるが、本当は様々な境遇の中で本人の自発性を伸ばしていく治療法なのである。森田療法は一種の再教育であるとも言われている。神経症の治療も、モンテッソーリ教育法と同様、自発性を生かしていくことが大切である。

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2009年2月 1日 (日)

神経質礼賛 391.主婦ソング

 1月28日の「NHKニュースおはよう日本」では歌手の秦万里子さんを取り上げていた。スーパーのレジ待ちの行列やバーゲンなど主婦にとって身近な話題を歌にして、主婦層の共感を得て大人気なのだそうだ。双子の子育てで音楽活動を休止していたが、子供さんの成長で活動を再開し、「半径5メートル物語」というCDを出し、「女きみまろ」との評もある。お年は52歳ということで、同世代の「時々主夫」の私も興味深く番組を見た。コンサートの様子が少し紹介されていたが、とても楽しそうだ。会場のお客さんたちがおなかの底から笑っていた。また、実際に八百屋さんに行って、店主とおしゃべりしながら大根を購入し、即興で一曲作って披露してくれた。

 一見平凡で同じことの繰り返しのように見える私たちの生活も、よく観察すれば、お笑いのネタにもなり、秦さんのように歌のネタにもなるものである。よく「サラリーマン川柳」が話題になるが、主婦ソングや主婦川柳も結構なことではないか。自分が楽しむばかりでなく多くの人を喜ばせることができれば、こんなにいいことはない。

森田療法を自分たちで勉強して実践していく生活の発見会が発行している「生活の発見」誌の毎年1月号には発見会川柳の特集があってとても楽しい。ネタは神経症や森田に限らず日常生活の一コマからとられている。神経質人間は鋭い観察眼と旺盛な批判能力を持っている。パロディーはお手の物だ。歌や川柳を楽しむことは、神経質特有のちょっと硬くなりがちな頭をほぐすのに最適のように思う。

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2009年1月30日 (金)

神経質礼賛 390.完全欲

 神経質、特に強迫的な人の性格特徴の一つに完全主義、完全欲が強いこと、がある。いい加減にはできない、ということで、どうかすると百点満点でなければ気が済まない、ちょっとダメなところがあると「全然ダメだ」と減点法で評価してしまうということが起こる。認知療法でいうところの「allornothing thinking:全か無か思考」「overgeneralization:一般化のし過ぎ」「mental filter:心のフィルター」になってしまい、本人にとってもつらいことになる。しかし、完全主義、完全欲は必ずしも悪いことではない。森田正馬先生は次のように言っておられる。

 完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。しかるにこの完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮させようというのが、このたびの治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。その苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。あの人が自分に金をくれない、それ故にあの奴は悪人である、とケチをつけるようなものである。偉くありたい事と差引きして考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつかえはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸を空想するのが、強迫観念の出発点である。  (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.32

 これではまだまだだ、もっと上を目指したいという完全欲は「生の欲望」のあらわれであり、向上心のあらわれでもある。森田先生の言われるように大いに完全欲を持ってよい。スポーツ選手が少しでもよい記録を目指し、演奏家がより優れた演奏を目指すのと同じである。

ただ、大切なのはバランスである。強迫症状に悩む人に多いのが、「局所完全主義」であり、「木を見て森を見ず」というところがある。不潔恐怖の人のように、消毒剤を使って15分も30分も手を洗ってより清潔を目指したところで意味はない。手術前の手洗いならともかく、日常生活では無駄なことである。そればかりか生活に支障をきたし、結果的には普通の人よりも不潔になってしまうことがよくある。また、ミスしないようにと一日中確認のメモばかり書いていたのでは肝心の行動をしている時間がなくなってしまい、これも本末転倒である。それよりも、もっと神経質を使うべき場、完全欲を向けるべき場はいくらでもある。

人が自転車に乗っている時には、信号機、後ろから追い越してくる車、路上駐車の車、右折してくる対向車、路面のデコボコ、上り坂・下り坂、強い風、などあらゆることに気を配りながら、自然にバランスを取って自転車をこいでいる。一点ばかりに注意しているヒマはない。それと同じで、私たちの生活でも、一点ではなくいろいろな方面に神経質を発揮し、完全欲を生かしていけば、より生活の価値を高めていくことができるのである。

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2009年1月26日 (月)

神経質礼賛 389.掃除機のブラシ

 わが家には二台の掃除機があるが、いずれも先端のブラシがひどくすり減ってしまった。そのままでは床や畳が傷だらけになってしまう。一台は10年前に買ったもので、もう一台は7年前に買ったものである。神経質ゆえ電化製品の取扱説明書と保証書はまとめて保管しているし、現金出納帳の記載もあるので、いついくらで買ったかわかる。掃除機を買う時に、予備のブラシを買っておいて欲しい、と妻に言われたのだが、本体が早く壊れてしまうと予備のブラシを買っておいても無駄になってしまうので、買わなかった。力をこめて床やタタミをゴシゴシこする掃除機のかけ方を見ればブラシがすり減るのも無理はないと思う。以前、NHKの「ためしてガッテン」で掃除機の使い方を取り上げたことがあった。掃除機のブラシでゴシゴシこする世の中の奥様方は多いようだが、メーカーの開発担当者に言わせると掃除機はゴミや埃を吸い取るものであって、力を入れずにゆっくりブラシを動かしていけばきれいに掃除できる、とのことだった。

 メーカーの生産打ち切り後、部品の保有期間は6年位である。7年前のものはともかく、果たして10年前に買った掃除機の予備ブラシがあるかどうか心配ではあったが、とりあえず家電量販店で注文してみた。すると1週間後に電話があり、両方とも入荷したとのことであった。10年前に買ったものに適合するブラシは同じ色はなく、少し複雑な構造のためか5000円ほど、7年前買ったものに適合するブラシは同じ色で2500円ほどだった。さっそく新しいブラシに交換すると、動きがスムーズになり、快適に掃除ができるようになった。

 今では電化製品は修理するより買い替えが常識となっているが、このように部品の交換だけで、さらに数年間快適に使えるケースもある。捨ててしまってはもったいない。もう補修部品はないだろう、とあきらめずに、ダメでもともと、取り寄せ注文してみるものである。

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2009年1月23日 (金)

神経質礼賛 388.白隠禅師

 JR沼津駅近くの商店街には地元信用金庫によるストリートギャラリーがある。建物の通りに面した部分を展示スペースとし、月替わりで書画・彫刻などを展示している。今月は、丑年にちなんで「白隠禅師画讃展」となっていることを新聞で知り、見に行った。白隠は丑の年、丑の日しかも丑天神の縁日、丑の刻に生まれた。また、近所の鎮守社は天神様を祀っていた。そのため、母親の勧めで幼少の頃より天神様を信仰していたという。

市内で一番の繁華街のはずだが、アーケード街には所々シャッターが下りたままの空き店舗が見られ、ちょっと寂しい。せっかくのギャラリーも足を止めて見る人もない。電車に乗って見に来るのは私のような物好きくらいだろう。展示されている初公開の若描き・渡唐(宋)天神図は63歳の時に描かれたもので、威厳のあるお顔の天神様である。一方、同じテーマで晩年に描かれた文字絵・渡唐天神図では天神様は抽象化されており、ユーモアを感じさせる自在な筆遣いである。この対比はとても面白い。

 白隠禅師すなわち白隠慧鶴(はくいんえかく 1685-1768)は江戸時代の禅僧で臨済宗中興の祖とされ、正宗国師と謚号されている。臨済宗の法事の際に必ず唱える「座禅和讃」は白隠の作である。現在の沼津市原で生まれ、地獄の恐ろしさから解脱したいということで出家したとも伝えられる。地元の松蔭寺に入り、のちに各地で厳しい修行を積んで悟りを開くが、25歳頃「禅病」といわれる状態となり、不眠や強迫観念などに悩まされ、体も衰弱してしまった。京都の白幽子という道者の行法(内観法)を学び、それで心身とも回復する。その体験を後に「夜船閑話」という書にまとめていて、その中には今で言うところの自律訓練法も含まれている。神経症を克服することで白隠は大成することができたのだと思う。

 私は中学時代、学校帰りに市立図書館で自律訓練法の本を見つけ、しばらくやってみたことがあるが、どうもうまくいかなかった記憶がある。神経症の治療法は一つではない。自律訓練法でも認知療法でも森田療法でもどれでも治療法になり得る。ただ、共通しているのは、最終的には自分の力で治すということである。そこが精神病の治療とは異なるところである。

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2009年1月19日 (月)

神経質礼賛 387.ビューティーサロンのチラシ

 不況になっても新聞の折込チラシは大量に入ってくる。スーパーやホームセンターのチラシはたいてい水曜・木曜あたりに入ってくる。金曜・土曜に多いのが大型電気店・大型衣料店・不動産関係であり、土日の集客を狙っているのだろう。一方、月曜・火曜日の少ないチラシの中で目につくのはパチンコ屋とビューティーサロンである。

 美しくありたいという女性の願いは景気には無関係なのだろう。1月14日付毎日新聞夕刊の記事によれば、昨今の経済情勢にもかかわらず1万円の洗顔石鹸や12万円のクリームといった高級化粧品はよく売れているのだそうだ。

痩身美容をうたったビューティーサロンのチラシを見ると、お決まりの、施術前と後の比較写真が載っている。だが、よく見ると、施術前の写真が裸足なのに対し、施術後の写真はハイヒールを履いている。そして、同じ高さになるように縮小してある。従って、仮に体型が全く同じだとしても写真の上ではスマートになるわけだ。さらに施術後の写真は髪型やお化粧に手をかけているので目立つようになっている。このあたりは写真のマジックである。もちろん、体重は減少しているので、まるきりだましているというわけではないが。

 ビューティーサロンならまだいいが、ネット上の情報を鵜呑みにして、健康被害にあう、ということもある。日本では医薬品として認められていない中国製「やせ薬」をネット通販で買って飲んだところ、甲状腺ホルモン剤が含まれていて、障害が出た、ということがたびたび起きている。甲状腺機能亢進のためバセドウ病と同じようなことになり、やせることはやせても、他の問題が起きるのである。つい最近では、ネット販売でヒアルロン酸と注射器を手に入れて、顔のシワ取り目的に自己注射した女性が、皮下に肉芽腫ができてしまい、治療を受けても治らない、というケースが美容外科学会で報告されていた。これでは取り返しがつかない。

 美容情報・健康情報がTVやネット上で氾濫しているが、慎重にしたいものである。その点では、神経質人間はすぐに飛びつくようなことはないので安全である。

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2009年1月16日 (金)

神経質礼賛 386.引っ込み思案だった剣幸さん

 今週月曜日の朝、いつも通り6時30分にNHKニュースを見ようとTVをつけたら、ニュースではなくホリデーインタビューという番組だった。ああ、そうか、今日は祝日だったんだ、と気付く。病院で当直が続くと、日曜も祝日も関係ない。出演者は剣幸(つるぎ みゆき)さんという宝塚出身の女優さんである。富山県の出身小学校にバトンを持って現れた。小学校時代はよほど活発な人だったのだろうな、と思った。ふと自分が小学生の時の同級生で元気一杯だった女の子を思い出す。ところが、剣さんは、引っ込み思案の女の子だったという。当時の担任の先生が登場して、そのあたりの話をしてくれた。引っ込み思案を直すために、先生からバトントワリングを勧められ、「開き直って楽しんでみる」ということを覚え、それから引っ込み思案ではなくなったそうである。そして、TVの場面は出身の工業高校の製図室に移る。自分を表現したいという気持ちから工業高校のデザイン科に進学したという。その後、デザインとは別な形で表現したいと思い立ち、急に歌や踊りの練習を始め、高校卒業後、宝塚に入り、男役のトップスターになった。現在はTVドラマや舞台で活躍されているとのことである。私は芸能界情報には疎いので、剣さんのことは今まで全く知らなかったが、インタビューからは、真面目な努力家で、気配り上手という印象を受けた。神経質な性格を生かしきっているのだろうと思う。  

もし、小学校の時に担任の先生がバトントワリングを勧めなかったら、あるいは勧められても剣さんが嫌がって逃げていたら、引っ込み思案のままで大人になっていたかもしれない。多分、最初のうちは恥ずかしかったろうし、気が進まなかっただろう。しかし、先生に勧められるまま、素直に続けていくうちに、「やってみたらできた」という体験をして、いつしかそれが楽しみとなり、さらに自分を表現してみたい、というように発展していったのだと思う。

神経質人間には引っ込み思案で人前が苦手という人が多い。私もその一人である。人前で何かをやることを頼まれると逃げ出したくなる。しかし、嫌々でも緊張しても、とりあえずやってみることだ。やってみれば道は開けてくる。

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2009年1月12日 (月)

神経質礼賛 385.下されるもの

 森田正馬先生の診療所は一風変わっていた。入院中の患者さんたちが、作業をしながら外来診察の様子を見たり聞いたりすることが許されていた。今ならプライバシーの侵害として問題視されるだろうが、他の患者さんを通じての自己洞察という大きな効果があった。

さらに変わっていることに、診療所には「下されるもの」という貼り紙があったという。困るものとして、菓子・果物特にメロン・商品券、とあり、困らぬものとして、卵・鰹節・茶・缶詰・金・りんごとあった。森田先生は胃腸が弱くて下痢しやすいので菓子や果物は敬遠していたと言われる。一方、卵は大好物であったし、同じ食品でも鰹節・茶・缶詰・りんごは保存がきく。せっかくの厚意が無駄にならないので、合理的ではあるが、非常識という見方も出て当然である。この貼り紙は同業の医師たちの間で評判で陰口を叩かれたし、新聞でも「患者に贈り物を要求している」と酷評されたという。私の恩師・大原健士郎先生は森田先生と同じ土佐の御出身で、この貼り紙は土佐人特有のユーモアではないか、と解されている。

 森田先生は徹底したエコ生活をしておられて、お金の面でも無駄遣いせず堅実だった。貼り紙の「困らぬもの」に「金」と書いてあったが決してケチな守銭奴ではなく、気前よく郷里の小学校に講堂や遊具や図書や種々の備品を寄付している。村のために倶楽部という建物も寄付された。今の貨幣価値からすれば数千万円の金額に当たるだろう。森田先生を尊敬する藤村トヨ女史(東京女子体操音楽学校:現在の東京女子体育大学の創始者)から頼まれて無報酬で心理学の講義をしていたが、盆暮れの謝礼は全部郵便貯金にしていて藤村女史が留学する際にそのまま渡したというエピソードもある。なお、東京女子体育大学のホームページによれば、藤村女史は学生たちと寝食を共にし、禅の精神を取り入れた全人教育を行っていたとのことで、森田先生の治療法を教育に応用したのではないかと思う。また、熱海の旅館を買い取って森田旅館としたことを「森田は金儲けでけしからん」と非難する人もいたが、これも元患者の親族に泣きつかれて倒産寸前の旅館を買い取り、御自分の保養所として、退院患者の働き場として、さらには自分が死んだ後の遺族の生活を考えてのことだった。お金を大切にし、それが最大限人の役に立つように使われたということなのである。

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2009年1月11日 (日)

神経質礼賛 384.神経質の経済学

 先週、新聞の広告欄の「はじめは中古のBMVに乗りなさい」という本の宣伝に目が留まった。経営コンサルタントをしている人が書いた本であり、前著「なぜ社長のベンツは4ドアなのか?」はかなり売れたようである。目を引くタイトル名である。お題の他にも、お金は銀行に預けなさい、買った株は忘れなさい、はじめは中古のマンションに住みなさい、独立・起業はやめなさい、といった文句がうたわれている。銀行にお金を預けないで株や投資信託さらにはリスクの高いFXを勧める従来の経済指南本とはまるで正反対である。昨年のリーマン・ショック以降の金融危機・株価低下という情勢を織り込んだものなのだろう。

 私はBMVやベンツに縁はないし、これからもなさそうだ。今のところ株取引はおろか投資信託もしたことがない。儲ける可能性はないが、損する心配はない。たまに「安物買いの銭失い」を反省することはあるが、概して無駄遣いはない。神経質は堅実である。私の場合、小学生の時の小遣い帳の習慣が延々と続いて、大学ノートに自分で線を引いた現金出納帳を付けている。逆に妻は家計簿を付けず、ドンブリ勘定だ。こういう夫婦だから(どうにか?)バランスが保たれているのだろう。

 ひとつだけ神経質流のミニ貯蓄術を御紹介しよう。普段の買物で使う商店やガソリンスタンドなどのポイントカード。ポイントが貯まると買物券を発行してくれたり値引きしてくれたりする。妻は、トクをしたと大喜びで余分な買物をしてお店の思うツボである。私はポイントで普段必要な買物をして、その分の現金を封筒に入れておく。コインは空いたフィルムケースに入れておく。景品でもらった図書カードも同様で、余分な本は買わずに必要な本を買ったら、カード分の金額を封筒に入れておく。こんなことをやっていると、数年で意外に貯まっているものである。それはちょっとした買物や、寄付金に利用できる。チリも積もれば山となる、である。

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2009年1月 9日 (金)

神経質礼賛 383.背水の陣

 私が勤務している病院の開放病棟の一角には森田療法を受ける人たちのための病室とデイルームがある。そこには、雨で作業ができないような時に余った木材に森田正馬先生の言われた言葉を彫刻したものが置かれている。その中に「背水の陣」と彫られたものがある。初めてこの彫刻を見た時、それが森田先生の言葉とは思わなかったが、私の不勉強であり、患者さんたちの前で「背水の陣」という言葉を使われたことがよくあったということを後から知った。

 神経質の患者が、治療法の広告に迷うとか、あるいはここへ入院して、早く治したいとか、という気分が起こる時は、学校の休学とか・会社の辞職とか・どうなってもよい、という気分になる事がある。それは「逃げ腰」になるからである。学校や奉職のことを、自分の生活の第一条件にして、その休暇を利用して、精神修養をするとかいう事になれば、それだけでも、病気は進まないでよくなるのである。   < 中略 >

 兵法でも・強迫観念の治療法でも、「背水の陣」という事が必要になってくる。後に水があって、逃げる事ができないと決まると、勇気は百倍して、死地に入って、初めて生をうるようになる。強迫観念も、逃げる事ができぬ、治す事ができぬと決まれば、そこで初めて全快するのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.390

 実際に多くの患者さんの治療を経験してみると、何とか仕事に戻りたい、学校に戻りたい、という強く願って真剣に作業に取り組むような人は驚くほど良くなる。一方、親に言われてシブシブ入院するような人、与えられた作業だけ嫌々やって後は寝ているような人、しょっちゅう外出・外泊しては遊んで過ごす人は、いつまでたっても治らない。やはり背水の陣の覚悟は大切である。森田先生の時代には健康保険制度はなく、治療費がとても高かったから、入院すること自体が背水の陣だったのだろう。それでも、「今居る患者の内には、何時迄居てもよいといふ呑氣な人があるから、其人の眞似をせぬ様に」(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.338)と先生の奥さんが患者さんたちに注意する場面もあったようだ。

 背水の陣は神経症の治療ばかりではない。神経質人間は慎重であり、「石橋を叩いて渡る」が得意である。安全に物事を進めていく上では大変結構なのだが、どうかすると石橋を叩くだけで渡らない、ということが起こりがちである。そして思い切ってやらなければならないことをグズグズと先延ばしするきらいがある。私自身、時には背水の陣を心がけなければ、とも反省する。

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2009年1月 5日 (月)

神経質礼賛 382.臆病者と呼ばれていた乃木大将

 前話にひきつづき、王丸先生の講演から乃木希典(1849-1912)についても紹介しておこう。道真が学問の神であるのに対し、乃木大将は軍人の鑑として乃木神社に祀られている。

 乃木希典は長州藩の支藩・長府藩の医師の息子として生まれた。現在の六本木ヒルズに「乃木大将生誕乃地」碑がある。生まれつき体が弱く、夜泣きが激しく近所でも有名だった。塾に通わされても、いわば登校拒否があり、厳格な父親に冷水をかけられた。王丸先生は母親への依存性が残り、別離不安(分離不安)をきたしたと分析している。長府に戻り、学問では秀才だったが、武道は苦手で「乃木の臆病者」と呼ばれていた。父親との葛藤からノイローゼとなって家を飛び出し、萩の親戚の玉木文之進のもとに身を寄せた。玉木は吉田松陰を教育したことでも知られる学者である。玉木のもとで農業をしているうちに体が丈夫になり、学問も教わるようになる。王丸先生は、森田療法に似た体験療法だったと評価している。ようやく軍人となることを決意し、不平士族の反乱の鎮圧にあたった。萩の乱の際には、実弟が戦死し、恩師の玉木も弟子の多くが反乱に参加した責任を取って切腹した。これは乃木にとって大きなショックだった。さらには西南戦争の際には軍旗を奪われるという不名誉な事態が起きた。乃木は自決しようとするが許されず、一時は捨て鉢の放蕩生活を送る。しかし、ドイツ留学後は厳しく自己を律するストイックな生活を送るようになる。台湾総督を経験した後、日露戦争では司令官を任じられ、旅順攻略という困難な使命を与えられる。この時には33晩不眠に悩んだとか神経衰弱になったと言われている。乃木は二人の息子をこの戦いで失っている。凱旋後は明治天皇からの依頼で学習院の院長を務め、のちの昭和天皇の教育にあたった。明治天皇の大葬の日、乃木は夫人とともに殉死を遂げた。王丸先生は、「多年の罪の意識の償いであり、武士道精神の発揮だろう。この日将軍は極めて朗らかだったといわれるが、長年のコンプレックスの解消-昇華のためと思われる」と結んでいる。

 乃木希典の軍人としての評価、殉死についての評価は様々である。とりわけ殉死ということは現代人には理解しがたいところである。しかしながら愚直さや高い精神性は誰もが認めるところだろう。軍旗を失うという失敗を一生忘れなかったのは、敗戦の失敗を忘れまいとした徳川家康の「しかみ像」(209話)とも共通するところがあるように思う。このあたりは神経質人間の強いこだわりであり、それが生きていく上でのエネルギー源になっていたのだと思う。劣等感や内省心の強さが、発展・向上心すなわち「生の欲望」となって、周囲からも認められ、明治の世で大活躍することができたのだろう。

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2009年1月 2日 (金)

神経質礼賛 381.天神様は神経質

 元日、我が家は例年通り、妻の実家に近い川の土手にある「日切地蔵」へお参りに行った。ここはひっそりとしていて地元の人がポツポツ参拝に来るだけだ。小さなお堂に入ると妻はちゃっかり5円玉一枚の賽銭であれこれと念じる。こういう人ばかりでは線香・蝋燭などの経費でお地蔵さんは赤字になってしまう。維持・管理している地元の町内会の人たちが気の毒である。私は100円玉を投入してそそくさと引き返す。

今年も各地の神社・仏閣は初詣の人たちで混雑しているようだ。不況になると「神頼み」という傾向も出る。受験生たちはこれからの入試シーズンを前に学問の神様・菅原道真を祀った各地の天満宮で合格祈願をしていることだろう。

 精神分析・病跡学を専門とされる王丸勇久留米医大名誉教授はかつて第8回森田療法学会の会長をつとめられ、「先哲にみる森田神経質 - 菅原道真と乃木希典 -」という講演をされた(森田療法学会雑誌 2(1);53-56,1991)。王丸先生の師は下田光造九州大学教授である。下田先生は森田正馬先生の神経質学説をいち早く支持し、自ら九大で森田療法を行い、「(神経質者は)世の多くの英雄や天才が自制心に欠けて、その没落や挫折をきたすのとは趣を異にし、反省心に富むと共に、向上努力の念が強いため、真に偉大な人物が生れる」と神経質を礼賛しておられた。

 菅原道真は貧しい学者の家に生まれた。祖父も父も身分は高くないものの学者としての名は高く温厚な人であった。母親は藤原氏の圧力で没落した伴氏の出身であり、道真には期待をかけたようである。神経質な性格は母方から受け継いだのだろう。道真は学問に励み出世をとげていく。神経質なためか胃が弱く、よく温石で腹を温めていたことが知られている。王丸先生の説では、菅原道真には二度の神経症の時期があったという。若くして文章博士となって風当たりが強く学閥争いもあり、藤原氏を陥れようとする詩を書いたのではないかという疑いがかけられて悩んだ時期があった。この時は、渤海使節の応接にあたっているうちに改善した。二度目は讃岐守の任期が終わる頃、仕事に集中できなくなったが、天台禅を学んだり、老荘の書を読んだりして克服したという。道真は宇多天皇にとりたてられ、右大臣までに大出世する。これは藤原氏の専横を抑えようとする意図があったのだろう。道真は、やがては藤原氏に潰されることはわかっていたので、三回も辞任を奏上したが容れられず、結局は藤原時平の陰謀で謀反の疑いありとして大宰府に流されてしまう。このことは道真とその家族には極めて不幸なことだったが、道真の死後、次々と災厄が起こり、道真の祟りを恐れて神として祀られることとなる。さらには江戸時代あたりからは学問の神として永遠にあがめられる存在となったのである。天神様は学問の神だけではなく神経質の神でもあったのである。

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2008年12月29日 (月)

神経質礼賛 380.年末行事

 毎年暮れになるとあちこちでベートーヴェン作曲交響曲第九番の演奏会が開かれる。今ではちょっとした地方都市ならばアマチュアの第九を歌う会があって、地元オケと合同で演奏されている。本来、「第九」と年末とは何の関係もなく、日本だけでみられる現象である。原因は定かではないが、一説には、戦後間もない頃、年末年始の生活費に窮したオケ団員のために確実に客が見込める演奏会を開くにあたり第九がプログラムとして選ばれたのだという。それよりは、けじめをつけることを好む日本人に合っているからという説がもっともらしいような気もする。耳が聞こえなくなるという作曲家にとって最大の苦難を乗り越えて作られた「歓喜の歌」は年末を締めくくるのにふさわしいし、元気に新しい年を迎えようという気持ちになれる。

 それぞれの家庭で年末行事と言えば大掃除ということになるだろう。もっとも、生活の洋風化で昔のようにタタミを干したり障子を張り替えたりするような大掛かりな掃除はしなくなっている。我が家でも12月には換気扇・照明器具の掃除や年一度の浄水器フィルターの交換といった作業を少しずつやっていて、特に大晦日の日に大掃除ということはない。

 掃除は特に神経質人間にとって大切な作業である。掃除の効用は以前にも書いた(30話)通りである。「めんどうで嫌だ」と思うと先送りしてしまうのは神経質にありがちなところである。どうせやらなくてはならないことなのだから、さっさとやった方が気分もいい。何も年末だから、という理屈を付けなくても、普段から「汚れているな」「具合が悪いな」と気付いたら、森田正馬先生の言われた通り、尻軽く手を出して行くことである。自分の周囲を見れば、やるべき仕事はいくらでも見つかる。優先順位の高いものからどんどん片付けていけばよい。雑念に悩んだり、他人の思惑を忖度(そんたく)したりするようなヒマはなくなる。一石二鳥である。

 と、偉そうなことを言っていて、昨夜は大失敗をやらかした。不用意にWINDOWSの更新ボタンを押したら、ブラウザをIE7に変更するものだった。今まではIE上でメール処理をしていたが、IE7にはメールボタンがない。Outlookの設定をし直して受診トレイを見ると空になってしまった。いつも年末にファイルの大掃除で必要なメールだけバックアップしているのだが、その前につぶしてしまったわけである。「神経質が足りない!」と自責しなくてはならない。これからは随時バックアップを取っていかなくては、と反省する次第である。

 今年も残すところあと2日となりました。御愛読いただきありがとうございます。平成18年2月にスタートした当ブログはまもなく丸3年となります。1年ももつだろうか、と思いながら始めたのですが、そこは「神経質は重い車」という森田先生の言葉通りで、なかなか動き出さないけれども一旦動き出すと簡単には止まらないようです。来年も細々と続けていきますのでよろしくお願いいたします。

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2008年12月26日 (金)

神経質礼賛 379.鬱の時代

 今年は作家の五木寛之さんが書かれた「鬱の時代」が話題になった。五木さんは、ゆっくり黄昏に向かって下りていく時期が人生の黄金期だと述べ、「にっこり笑って明るく覚悟する」ことを説いておられる。五木さんのように悟りきって人生の最終コーナーを回って行ければすばらしい。だが、どうも神経質人間の場合はそうはいかないだろう。そもそも発展向上欲や完全欲が強い神経質人間にとっては、老年期という喪失の時期はとりわけ辛く感じるものと思う。しかしながら森田正馬先生の生き様を見れば(371)、妻子に先立たれ、病気に苦しみながらも、死の直前まで「生の欲望」に沿って生き尽くすことができることがわかるはずだ。

英語で鬱をあらわすdepressionには不景気という意味もあり、ちょうど金融危機に端を発した不況の現代にも重なる。経済の鬱はまたたくうちに全世界に伝染した。アメリカの自動車業界は大規模なリストラを行って税金を使っての救済を仰ぐか、破綻するかの瀬戸際に追い詰められている。円高のため日本でも輸出への依存度が高い自動車・電機産業を中心に大量の派遣社員切りが始まった。パート従業員や契約社員の解雇も相次いでいる。経営側は「切る」と簡単に言うが、働く人々にとって「切る」は「kill(殺す)」も同然である。契約解除で寮を追い出されて行き所がない人も出ている。大学生の就職内定取り消し、正社員のリストラ予定も続々と報道されている。多くの人の所得が減れば、サイフのひもは硬くなり、内需縮小でますます企業業績も悪化する。来年はさらに厳しい状況が予測される。景気回復は2年先になるか3年先になるかわからない。しかし、鬱のトンネルがエンドレスということはありえない。必ず回復の日は来るはずだ。不運にも仕事を失った人々、内定を取り消された学生さん、ショックではあろうけれども何とか踏ん張って欲しい。

神経質人間はこういう大ピンチで抜群の粘りを発揮できる。辛抱していれば、いつか明るい明日は必ずやってくる。

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2008年12月22日 (月)

神経質礼賛 378.魔女の一撃

 私の家での起床時刻は通常550分である。着替え・洗顔を済ませると新聞を取り込む。ゴミ出しの日にはゴミを出しに行く。NHKラジオのニュースを聞きながら、パソコンのメールチェックをし、馴染のサイトを見て、合間に新聞を読む。6時半から朝食を摂って出勤となる。

 先日、誕生日の朝は寒気が残ってかなり冷え込んでいた。いつも通り新聞を読み終え、パソコンの電源を切って、腰を捻りながらさっと立ち上がった瞬間、腰に激痛が走った。いわゆるぎっくり腰(欧米では「魔女の一撃」)だ。とんだ誕生日プレゼントである。駅の階段の昇り降り、病院までの車の乗り降りはおっかなびっくりである。仕事中も椅子から立ち上がる際は、ソロリソロリである。

 数年前にもなったことがある。寒い元日の朝、バスが運休のためタクシーで病院に乗りつけ、降りようとして腰を捻りながら右手でひょいと重いカバンを持ち上げたらやられてしまった。当直医がこれでは困ったものである。まるでドリフターズの「もしもこんな医者がいたら」のギャグである。以後は重い物を持つ時にはなるべく左右に分けて持つとか急に腰を捻らないとか気をつけていたが、長いことなかったので油断していた。そういえば運動不足もある。魔女の一撃の第3弾を食らわないように神経質を発揮していこうと思う。

 このような急性腰痛症は、なるべく安静を保っているうちに自然治癒することが多い。椎間板ヘルニアや腫瘍によるものとは異なり、疼痛は運動時に限られ、膝下にシビレが出るようなことはない。レントゲンやCTでも異常がみられることは少ない。「今日の治療指針」(医学書院)を見ると、90%は自然軽快するもので、痛みに応じた日常生活を維持し、必要以上に医療に頼らないこと、ということが書かれている。思わず笑ってしまう。いつまでも疼痛を訴えて仕事を休みたがる人がいるからこんなことが書かれているのだろう。まるで、神経症と同じである。神経症でも、仕事を休んだり、必要以上に医療(薬)に頼ったりしないことが大切である。

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2008年12月19日 (金)

神経質礼賛 377.忘年会の挨拶

 今日は病院の忘年会だった。長年、忘年会を行っていた病院近くの結婚式場が廃業になって、昨年からは駅に近い老舗ホテルで行われている。当直者以外はほとんど参加するので人数は百名くらいである。いつも最初の挨拶をしている院長が外部の会議のために出席できないということで、私にお鉢が回ってきてしまった。多少アルコールが入ってしまえば緊張感も少なくなるが、冒頭の挨拶ではそうはいかない。先日書いた(367)「乾杯の音頭さえあがる」の通りで、人前で激しく緊張してあがり、赤面恐怖のある私にとっては苦手な場面だが、断るわけにもいかず、やむを得ない。そこは神経質で2,3分のスピーチとはいえ一応原稿を作り、準備するのであった。

 出勤前、毎日新聞朝刊の「きょうの星占い」に目が行ってしまう。「慣れないことで失敗あり」とある。仕事中も時々思い出して、何となく気になる。会場に着いて、顔は笑っていてもどこか引きつっているような気もする。だんだん緊張感が強くなる。まあ、こんなものだろうと自分に言い聞かせる。

 少しつかえたところもあったが大きな問題もなくお役目を果たすことができた。終わった後のビールは一段とおいしい。緊張したご褒美である。

 なお、星占いには「特に異性関係に注意をすること」とあったが、神経質ではその心配はなく、何事もなく帰宅したのであった。

 神経質人間は「上手にやりたい」「失敗して恥をかきたくない」という気持ちが強いので人一倍緊張しやすいものだ。しかし緊張も必要で、緊張感がなければ準備もしないし、失言も多くなる。緊張して赤面しながらやっていけばよいのである。

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2008年12月17日 (水)

神経質礼賛 376.ゴミ屋敷

 勤務先の病院がある市内で有名な「ゴミ屋敷」がある。老姉妹が住んでいて、姉がガラクタやゴミを拾い集めてきて家の周囲に高々と積み上げているのである。電気・ガス・水道は止められている。家自体も一部が壊れ、倒壊する恐れもある。近隣住民からの苦情で市も対応を迫られていたが、ついに昨日、総勢50名ほどで立入調査が行われた。妹の姿が1年以上目撃されておらず、最近は姉が家の前の路上で寝ており、安否を確認するとともに食事が与えられていないなどの虐待がないかどうかを調べるためだった。この様子は民放TVのニュースで何度も放映され、全国版でも流れていた。積み上げられたゴミの一部を撤去して通路を作り、ゴミの山の中から妹さんを捜索した。搬出したゴミの一部だけで2トントラック2台分という。幸い、妹さんは生存しており、1日おきにパンを与えられていたという。市側としては、妹さんを施設に入れるよう説得したがダメであり、姉の精神障害も疑われたが強制的に治療を受けさせるレベルではないということで、結局は現状のまま、ということになった。確かに法的にはこれ以上どうしようもないのかもしれないが、何とか方法はないのだろうか。近隣住民にとっては悪臭・害虫・景観の被害が現実にあるのだし、地震や火事などの災害時に大変危険である。

 私の家の並びにもゴミ屋敷があって、野良猫の根城になっていて、そのウンチ被害に悩まされたことは以前にも書いた(125181話)。その後、この家は取り壊されて瀟洒な3階建ての建売住宅となり、今では新しい家族が住んでいる。しかし、増えてしまった野良猫は相変わらず悪さをしている。時々、近所の人から「オタクのそれ(どんとキャットという猫除け)は効果ありますか?」と聞かれる。我が家の周囲に隙間なく「どんとキャット」を敷き詰めてからというものウンチ被害はない。

 ガラクタやゴミを拾い集めてくる、というのは妄想に基づく行動である可能性が高い。その点、神経質の場合、室内は散らかしてはいても外観は気にするものである。一人暮らししている私の母も、家の中は「もったいない」と言って捨てられない古着や雑誌などで足の踏み場もないのだが、草取りはしっかりしていて、廃墟には見えない。放火されたら心配だと言って、燃えるものはあまり外に出ていない。神経質の住人ならばゴミ屋敷にはならないものである。

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2008年12月15日 (月)

神経質礼賛 375.今年の漢字は「変」

 12月になると、「今年の漢字」が発表される。(財)日本漢字能力検定協会が、その年の世相を反映する漢字一字を11月から公募して得票数の最も多かったものを1212日(漢字の日)に京都の清水寺で発表するものだ。投票は漢検ホームページ上から、あるいはハガキで応募できる。平成7年から始まったこのイベントはすっかり定着し、今年は何が選ばれるのかと興味津々である。

個人的には「鬱」かなあ、と思った。うつ病を表す英語depressionは「低下」「不景気」といった意味をも持つ言葉でもある。病気の鬱が関心を集めているだけでなく、アメリカ発の金融危機から大不況が始まり、経済・社会全体が「鬱」になっているのでピッタリかなと思う。もし、こんなに画数の多い漢字が選ばれてしまったら、清水寺の貫主さんが巨大な和紙に毛筆で書く時に困るだろうな、と神経質らしく余計な心配もする。

実際に今年の漢字(平成20年)として発表されたのは「変」だった。日本では突然の首相交代劇があり、アメリカでは大統領選で変革を訴えた民主党黒人候補者オバマ氏が勝利した、というあたりが理由のようだ。ちなみに2位以下10位までは「金」「落」「食」「乱」「高」「株」「不」「毒」「株」とのことである。

「変」に人一倍敏感なのは神経質人間である。自分は変ではないか、他人から変だと思われはしないか、といつも心配する。わずかでも変なところを探し出すのは得意である。変でないようにいつも気をつけるから結果的には変ではない。神経質で大いに結構なのである。一方、神経質が足りない鈍感力過多の人では変であることに気がつかず、軌道修正も遅くなる。そういう人が首相になって変なことばかり言って国が変になる、では困るのだ。

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2008年12月12日 (金)

神経質礼賛 374.神経質ではなかったプッチーニ

 今まで何度か作曲家を取り上げてきたが、今回は今年生誕150周年にあたるイタリアの作曲家プッチーニである。オペラに全く興味のない人でも、歌劇「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」は耳にしたことがあるだろう。また、トリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを取った荒川静香さんの演技でBGMとして使われたのが歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」だったのは記憶に新しい。

 作曲家には神経質な人が比較的多い。モーツァルトのように頭の中でスコアが出来上がっていて後は書くだけというような超天才はそれほど多くなく、完全欲が強く、書いては破り捨て、発表した後も何度も改訂版を出すような強迫的な作曲家も少なくない。プッチーニは不安神経症だったという説もあるのでちょっと期待(?)したが、どうも神経質ではなかったようだ。

 ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は代々宗教音楽にたずさわる家に生まれた。教会でオルガン奏者をしていたが、ヴェルディの歌劇「アイーダ」を見て触発され、オペラの作曲を始めた。「マノン・レスコー」の成功を皮切りに、「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」を発表した。その陰では、歌劇の台本作家に対するわがままぶりは有名だったという。また、音楽院院長への就任を依頼されたが、教育は面倒な仕事だと考えて断っていたという。最期は、喉頭癌のX線治療中に心臓麻痺を起こして急死している。

 私生活では、人妻と駆け落ち(夫の死後に正式に結婚)したり、狩猟に凝ったり、モーターボートに凝ったり、当時はまだ珍しかった自動車に凝ったり、ということで派手好き、遊び好きの面があった。自動車事故で大けがもしている。その際に付き添いとして雇った若い小間使い女性との関係を妻が疑っていじめたため、その小間使いが服毒自殺するという事件が起こり、裁判になって新聞に書きたてられた。どうやらプッチーニ本人も奥さんもヒステリー性格だったようである。激しい恋に命を燃やし恋に破れて自殺して行く様を歌劇で表現したのも、ヒステリー性格を生かしたものだったと言えよう。男女関係が地味な神経質ではこうはいかない。

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2008年12月 8日 (月)

神経質礼賛 373.阿修羅の正義

 当ブログにコメントいただいた関係で、いつも読んでいる「こころとこころ」という名前のブログがある。作者のスローライフさんは実名で文芸社から「父  こころの和解」という自伝小説も出しておられる。家が破産して苦境のどん底なのに母にすべてを押し付けて愛人との生活を続ける父に対する強い憎悪感。極貧生活の中で挫折感を味わい、時には自暴自棄になりながらも母親の無償の愛に支えられて紆余曲折の末に得た家庭。そして父の葬儀に参列した時の心の変化。そういった流れの小説である。最近のブログ記事では、自身の若い頃の心情を自己分析して、「阿修羅の正義」とも言える誤った正義感に支配されていたと振り返っておられる。

 アシュラ(阿修羅)はインド神話では正義の神である。美しい娘がいたが、力の神インドラ(帝釈天)に拉致・陵辱されてしまう。怒りに燃えたアシュラはインドラに激しい戦いを挑むが敗れて死ぬ。死からよみがえっては戦うが力の神にはかなわない。娘がインドラの妻となった後も果てしなく戦い続ける。これが仏教では、正義にこだわることはよくない、怒りや恨みの心を捨てて慈悲心を持ちなさい、という教えになっている。

 スローライフさんの言われる阿修羅の正義は私にも思い当たる。神経質人間の私は気が小さくおとなしかったから小学校から中学にかけていじめにあったことがある。その時には自分の情けなさを嘆くとともに強い怒りの感情が湧き上がった。私の中の阿修羅が目覚めたのだ。しかしこれは、時には何らかの反撃行動に出ることで自己防衛したり、今に見ていろと勉強や趣味に打ち込むエネルギーに転化したり、という面もあってあながち悪いことばかりではなかったように思う。阿修羅の正義は自己愛の怒りに近いだろうか。生存していく上で適度な自己愛は必要である。理不尽な攻撃に対して無抵抗では生きていけない。もちろん自己愛が過剰になっては他者に迷惑を及ぼすので注意が必要であるが。若い頃は世の中の不正に対して強い怒りを覚えたものだ。今でもそれはあるが歳とともにいくらか薄らいできている。本来、慈悲心は強い力を持つ者にこそ必要だと思う。

 強迫神経症、例えば不潔恐怖なども極端な価値観にとらわれてしまうという点では「阿修羅の正義」と似たところがある。適度に清潔を保つことは必要ではあるのだが、過度に不潔を恐れ徹底的に「清潔」にしようとして手がボロボロになるまで洗うようでは他のことができなくなるばかりでなく体に有害である。ちょっとした汚れが気になって洗濯をし、さらには衣服を捨てるという不合理な行動に出る人もいる。入浴に時間がかかりすぎるから結局フロにも入らず、逆に不潔になる。森田正馬先生が色紙に書かれた「小我の偏執」の結果である。神経質を外に向けて生かしていくようになれば「大我の拡張」ということになってきて、「症状」もいつしかなくなってくるものだ。

 今日12月8日は太平洋戦争の始まった日である。戦争を起こすどこの国も正義の名のもとに戦うが、戦争に本当の正義などありはしない。軍事産業関連で利益を得る人を除けば、いかなる戦争も人を不幸にするだけである。「テロとの戦い」と家族を殺された人たちによる報復テロとの応酬では、両者とも阿修羅の正義であり、いつまでも戦いは終わらない。小我の偏執からの脱却が必要だ。

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2008年12月 5日 (金)

神経質礼賛 372.鈴木知準先生

 鈴木知準(すずきとものり:1909-2007)先生が亡くなられて1年になる。多くの神経質者から「知準(ちじゅん)先生」と慕われてきた方である。長年、鈴木知準診療所で入院森田療法を行っておられ、御著書も多数ある。日本森田療法学会雑誌に追悼記事が載るだろうと思っていたが、今年の4月号をよく見ると理事会報告の中に「鈴木知準理事が逝去された」という一文があっただけで、最新の10月号でも全く触れられていない。同じく森田正馬先生の高弟であり高良興生院で入院森田療法を行っていた高良武久(こうらたけひさ:1899-1996)慈恵医大名誉教授が亡くなられた時には「追悼の辞」が掲載されたことを思うと、臨床家と学者では扱いが異なるのは仕方ないが、ちょっと寂しい気がする。

 私が知準先生の御姿を拝見したのは十数年前の森田療法学会の会場である。すでに80代ではいらっしゃったが、一般演題の質疑応答の際にはよく発言されていた。特に心理系の先生が少々理論に偏った発表をされると厳しい質問をされていたように思う。その都度、発表者の上の先生が助け舟を出して代わりに回答していた。やはり「打ち込み的助言」で実践重視の知準先生ならではだなあと思った。私の発表はいつも実際的な治療技法に関するものだったので、幸か不幸か知準先生の質問の洗礼を受けたことはなかった。

 その知準先生は学生時代に神経症に苦しみ、昭和2年に森田先生のところに入院している。第8回形外会(昭和5年12月)の記録に、知準先生の発言がある。

 中学3年の一学期から眠れなくなり、小さな物音でも目が覚めるため、土蔵の2階で寝て、母親に番をさせた。眠れずに野原をさまよい歩き、(心配した親が)提灯を持ってつけてきた。不眠の苦しさに時計を投げつけたり、家をひっくり返そうとしてナタで柱を半分切ったりもした。空気銃を買ってもらって雀を撃って、鬱憤をはらそうともした。種々の民間療法を受け、医者にも12人ほどかかったが良くならなかった。4年の3学期に(森田)先生の本を見つけて買ったが、人から神経衰弱と思われるのが嫌で隠していた。中学の先生から(入院してよくなった人の)経験談を聞いて、入院することになった。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.79-80

知準先生の他数名の発言に対して森田先生は次のように述べている。

 皆さんのお話を聞いて、神経質は徹底的であるという事がわかる。元来、神経質は理屈から出発して、自分で当然こうあるべきものと決めれば、人情をも没却して、押し通してしまい、随分無理な事をもするようになる。鈴木君が柱をたたき切ったり、夜中にウロウロ出歩くとかいう事実をそのまま聞けば、狂人のようにも思われる。しかしこれが理屈から出発したという事を確かめて、初めて神経質という診断がつくのである。 <中略> この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から釈迦でも、白隠でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶し苦労した事のない人にろくな人はない。 (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.82)

 知準先生の場合、今なら「自傷他害のおそれあり」の精神病症状ということで措置入院(都道府県知事命令の強制入院)にでもなりかねない激しい症状だったことがわかる。御両親の過保護も症状を悪化させた一因だったかも知れない。しかし、森田先生は神経質であることを見抜かれ、森田療法を適用された。家族的な雰囲気の中での再教育で知準先生は生まれ変わったように勉強に集中できるようになる。退院してからも森田先生にいろいろと相談し指導を受け続ける。森田先生も知準先生を自分の子供のようにかわいがっていた。やがて知準先生は旧制浦和高校から東京大学医学部に進学。御自分と同じように神経質に悩む人を助けたいという気持ちから精神科医を志すが、森田先生のアドバイスに従って一旦は内科に入局し、それから精神科に移っている。昭和26年に静岡駅近くで診療所を開業され、森田療法を実践された。私の母方祖父が家族に隠れてそこに通院していたことは以前に書いた通りである(118)。昭和39年には東京の中野に診療所を移し、作業にバラ栽培をされていた。入院患者さんとともに生活し、1年365日、直接指導にあたられた。入院治療を受けた人は約5000人にのぼる。雑誌「今に生きる」を発行し、森田先生と同様、退院後の指導も徹底されていた。入院者に限らず、「不安は不安だけでそれっきり」という知準先生の指導で症状の悪循環から脱却した神経質者は数知れない。

 鈴木知準先生が亡くなられて、森田正馬先生の直接のお弟子さん、いわば第2世代の治療者は姿を消した。精神療法は時代とともに変遷していくものである。今では森田療法もずいぶん変化しソフトになった。治療者も父親的というよりオトモダチ的な存在と化しつつある。適応範囲が広がった反面、切れ味が甘くなったきらいも否めない。森田先生の「先生が恐ろしいのは、勉強が苦しいように、当然の事であって、もし、それが友人や路傍の人のようであっては、ここへ入院しても、なんの効もないのである(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.409)」という発言が浮かんでくる。森田先生にせよ知準先生にせよ、御自身の神経症体験をふまえて、厳しくも心温かな治療者だった。神経質者の再教育に一生を捧げられた知準先生の姿勢からあらためて学ぶべきことは多いように思う。

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2008年12月 1日 (月)

神経質礼賛 371.下り坂の時代を生きる

 十年ほど前のことだろうか。長年、外来と森田療法を担当していた80歳近い看護婦さんが退職される時に「これはとてもよい本ですからお読み下さい」と置いていかれた1冊の本があった。病院の引越のどさくさで紛失してしまい書名も覚えていないが、中高年期は老荘思想に従って生きていくとよい、といった内容の本だったように思う。当時は「ふーん、そういうものかなあ」と思いながら読んだ記憶があるが、いざ自分が中高年世代になってみると、確かにいいことが書いてあったなあ、と思えてくる。歳を取ればだんだん体力が落ち、いろいろな病気を抱えて生きていかなくてはならない。若い頃はなんだかんだ言っても親や職場の上司先輩に依存していたのが、いつの間にか子供から後輩から依存される逆の立場になっていて、誰かに頼るというわけにもいかず、自分一人でいろいろな問題を抱え込むことになる。やがて最後には自分自身の死と直面しなくてはならないだろう。「下り坂」の時期は誰にもやってくる。力まずに回りの景色でも眺めながら、ゆっくりと坂を下っていければ理想的であるが、現実はなかなかそうもいかないだろう。

 森田療法は中国でも広がっているが、中国の人たちから見ると老荘思想だ、ということですんなりと受け入れられている面もあるようだ。薬で「症状」を打ち消そうとするのではなく、「症状」がありながらも行動していくことを説く森田療法は無為自然の道と合致しているということなのだろう。私は老荘思想については不勉強でよくわからないが、下り坂の時代を生きていく上でのキーワードは森田療法では「日々是好日」(50話参照)ではないだろうか、と思う。

森田先生はしばしば俳人の正岡子規のことを語っておられる。正岡子規は肺結核と脊椎カリエスに体を蝕まれながらも文学史に残る業績を残している。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわ