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2017年5月26日 (金)

神経質礼賛 1389.やまいだれ

 医学用語には難しい漢字がある。森田正馬先生関係の本を読んでいると、森田先生が医師になられた当時東京大学精神科の医局があった巣鴨病院についての記述があり、その前身は「東京府癲狂院」だという。ハテ、癲という字は何て読むのか。考えてみると癲癇(てんかん)の「癲」だから「テン」でよいのだろう。

部首が「やまいだれ」の70余りある漢字の中で一番画数が多いのがこの24画の「癲」であり訓読みは「くるう」なのだそうだ。ちなみに次に画数が多いのが23画の「廱」(ヨウ)、訓読みは「はれもの」である。『家康その一言』(p.76-77)に書いたように、徳川家康は織田信長の死後、秀吉と対立していた頃にこの廱のために死にかかった経験がある。さらにその次に画数が多いのが白癬(92)でおなじみの22画「癬」(セン)、訓読みは「たむし」「ひぜん」である。「いんきんたむし」は減っているけれども、水虫や足の爪白癬に悩んでいる人は決して少なくはない。

 一方、画数が一番少ない「やまいだれ」漢字は7画「疔」(チョウ)、訓読みは「できもの」であり、顔面のできものを面疔と呼ぶ。次が8画「疚」(キュウ)、訓読み「ながわずら(い)」「やま(しい)」、と「疝」(サン、セン)、訓読みは「せんき」で下腹部痛を意味し疝痛(センツウ)という言葉はよく使われる。


 
「神経質の悪い癖は、何か苦しい事があると、まずこれは、自分に限った特異の事と独断する」と森田先生が言われたように、神経質人間は自分の悪い所探しが得意であり、どうかすると「病気」を自分で作ってしまいがちである。やまいだれは病人が寝ている姿の象形文字だと言われる。いろいろ気にはなっても、やまいだれをはずして健康人らしく仕事をしていけば病気ではなくなっているのである。

2017年5月22日 (月)

神経質礼賛 1388.八十八を過ごしての後

 三島森田病院には森田正馬先生の色紙が60枚余り保管されている。その中にちょっと変わった文面のものがある。


 七十才の男 冥途にも行かでかなはぬ事なれば

        八十八を過ごしての後

 八十歳の男 冥途より若しも使が来るならば

        九十九までは留守と答へよ

 九十歳男  留守ならば又も使が来るべし

        いっそいやぢゃといひきってやれ


 大原健士郎先生は御著書『日々是好日』の中でこの色紙について書かれている(p.42-45)。小林一茶の作品に似たようなものがあり、寿司屋の茶碗にも同じような歌が書かれていて、森田先生もどこかから仕入れてきたものと思う、と書いておられる。

 ネット上でいろいろ調べてみたが、オリジナルは不明である。『森田正馬評伝』によれば森田先生は長い旅の際には一茶の句集を持ち歩いたという。小林一茶の俳句データベースで「八十八」をキーワードに検索してみると、2万2千句あまりの中から「大霜や八十八夜とくに過ぎ」「山桜さくや八十八所」「接待やけふも八十八ところ」の3句が表示され、いずれも年齢の八十八とは無関連である。ちなみに「九十九」で検索すると「砂原やあつさにぬかる九十九里」の1句が表示された。狂歌のデータベースはないのでわからないが、もし一茶の作であれば似たようなテーマの俳句があってもよさそうである。

 ともあれ、大原先生の書かれたように、この色紙は森田先生のあくなき「生の欲望」を示したものであることは確かである。森田先生は肺結核の持病があり晩年は喘息症状や発熱に悩まされた。それでも決して諦めず、生き尽された。

 森田先生のお弟子さんの高良武久先生にせよ鈴木知準先生にせよ百歳近くまでお元気で仕事をしておられたことでわかるように、自分の健康に気を配って養生する神経質人間は概して長生きだと思う。当ブログで何度か取り上げた神経質人間の徳川家康も自ら薬を調合して服用していた「健康オタク」であり当時としてはかなりの長命である。

 それにひきかえ弱気な私はどうも生の欲望が少々乏しい。突発的な事故や大病に遭わなければ、あと2、3年は何とかなるだろうけれどその先は自信がない。仮に七十歳まで生きたとして、八十八過ぎまで、とは考えないだろう。とりあえずあと1年と思いながら毎日を生きて行こうとするだろう。それでも今を精一杯やっていればいいのだ、と開き直る。

2017年5月19日 (金)

神経質礼賛 1387.グルテンフリーの是非

 この頃グルテンフリーということが言われるようになっている。グルテンとは小麦粉に含まれるタンパク質であり、パンのモチモチ感を出している成分のことだが、そのグルテンだけでなく広い意味で小麦粉を使わない食品ということでもあるようだ。一時期体調を崩していたテニスのトッププロのジョコビッチ選手がグルテンフリー食にしたところ回復したということが話題となり、またたく間に世界中に広がった。グルテンフリーを表示する食品が増えているそうである。2、3日前、大阪のお好み焼店が小麦粉を使わないグルテンフリーのお好み焼を始めた、という新聞記事があった。

 グルテンフリーダイエットということも言われる。グルテンの成分グリアジンには食欲増進作用があって、パンやスイーツを食べ過ぎるおそれがあるという。また、こうした小麦粉食品を食べ過ぎることで血糖値が急上昇して脂肪貯留を増やし心血管リスクを高めるという説もある。だからグルテンフリーにすれば健康に良いという人がいる。

 グルテンフリーの是非については医療関係者の間でも諸説あるようだ。グルテンが心血管リスクを上昇させるということには異論を唱える人もいる。そして、小麦粉を全く摂らないことで全粒粉の摂取が減ってかえって不健康だという説もある。また、現代の小麦が遺伝子組み換えであり、化学的に作られた肥料や農薬が使われているからいけない、と主張する人もいる。本当はどうなのだろうか。神経質な方は気になると思う。

 私はグルテンというとまず思い浮かべるのが日本の伝統食の麩である。味噌汁の具としてお馴染みであるし、精進料理では麩を焼いたり煮たり揚げたりして工夫し、肉や魚と区別がつかないような料理を出してくれる。何しろ長い歴史と伝統があるのだから、どう考えても米(玄米)と野菜と麩を中心にした精進料理は健康的で長生きできそうに思える。沖縄料理にも麩を使ったフーチャンプルーやフーイリチーがある。植物性タンパクの塊である麩が悪いはずがない。だから、小麦アレルギーあるいは小麦に対する自己免疫ができてしまうセリアック病の人であればグルテンフリーは当然としても、一般の人がグルテンフリーにこだわる必要はないと思う。食品の世界は「善悪不離」(200)のことが多く、○○が良い、△△が悪いという単純なものではない。量や組み合わせによっては善が悪になったり悪が善になったりもする。やはり、バランスよく食べることが一番だ。

2017年5月15日 (月)

神経質礼賛 1386.青もみじと楓花(ふうか)

 前話に書いた智積院の境内は楓(かえで)の木が多かった。この寺は紅葉の名所としてはそれほど有名ではないけれども、きっと秋には美しい光景になるだろうな、と想像した。しかし、紅葉ほど派手ではないが、楓の新緑もまた美しく爽やかでこれもよい。最近ではJRや観光業界が「青もみじ」として宣伝しているのもうなずける。青い紅葉では矛盾する言葉に聞こえるけれど、まあ硬い事は言わずに、鮮やかな新緑の楓をそう呼んでもいいのではないかと思う。

 境内を歩きながら楓の木々の鮮やかな緑に見とれているうちに、ヘリコプターの羽のような形の小さな赤い花を付けている楓の木を見つけた。これが楓花なのだろう。今まで見たことがなかった。ちょっぴりトクをした気分である。この部分がやがて種子となって風に吹かれて遠くへ飛んでいき、着地して、新たな地で芽吹くのだろう。生育によい環境のところへ行けるとは限らない。たまたま芽吹いた場所で一生懸命生きていくしかないのだ。人もまた同じ。森田先生の言われた「境遇に柔順なれ」(263828)であって、たまたま出会った環境の中で己の性(しょう)を尽くして生き抜いていくほかないのだ。

2017年5月12日 (金)

神経質礼賛 1385.あなたはそのままでいいんだよ

 連休はどこも行かなかった代わりに今頃になって日帰りで京都へ行ってきた。京都国立博物館の海北友松(かいほうゆうしょう)展がメインである。今回は初めてJR東海の中高年向きツアー「50+」を利用してみた。乗車券と博物館の入場券と博物館でのランチがセット。ただし、往復は「のぞみ」や「ひかり」は使えず、時間指定の「こだま」自由席、というのが難点である(東京・品川・新横浜からの場合は「のぞみ」指定席になる)。まずは京都駅から歩いて国立博物館へ。行列に並んで入場待ち20分。平日というのに混んでいる。安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師・海北友松の作品を時代を追って見ていった。建仁寺に収められた障壁画に妙心寺の鮮やかな金屏風。そして光量を抑えた部屋に並んだ雲龍図たちは迫力があった。絵の制作代金の領収書というような文書が残っているのも面白い。先の仕事の受注を考えて少々格安料金で作画していたらしい。

博物館内のレストランは入るのに30分ほど待ったけれども椅子に座っていられたのでさほど苦にはならなかった。ランチの内容はまずまず。デザートには京都国立博物館のゆるキャラ「トラりん」の絵が入ったチョコが添えられているのは微笑ましかった。

その後は近くの智積院(ちしゃくいん)へ行く。博物館と違って人が少なくてよい。狩野永徳とライバル関係にあった長谷川等伯の障壁画を静かにじっくり楽しむことができた。優れた絵師の息子を亡くしてから描いた楓図の楓はまるで油彩画のように厚塗りされていて、残された力を振り絞って描いていたことを感じさせる。さらに利休好みの庭園を見る。涼しい風と、さわさわと木々の声が爽やかで、ずっと座って眺めていたくなるような空間だった。

時間が余っていたがガイドブックや地図は持ってこなかったので、思いつきで京阪七条から電車に乗って伏見稲荷に行ってみる。外国人観光客の人気ナンバーワンの観光スポットである。確かにびっしり並んだ鳥居はインパクトがある。異空間に入ったような感がある。C国人観光客が大騒ぎしながら千本鳥居の中で自撮り棒を使ったりして写真を撮りまくっている。日本人は人にぶつからないよう、写真を撮るのにもなるべく周囲の人に迷惑をかけないように気を使うがC国の人々にはそうした神経質は皆無である。随所にある旅行者向けパンフレットはC国語のものが過半数を占め、JR稲荷駅のアナウンスは日本語とC国語である。そこまでC国人に媚を売らなくても、と思ってしまう。

京都駅に戻りまだまだ帰りの新幹線には時間があるので、駅から近いのに寄ることのない東本願寺と西本願寺に足を運ぶ。歩道の掲示板にある「あなたは そのままで いいんだよ」という祖父江文宏さんの言葉が心に沁みた。そう、あるがままだ。花は紅、柳は緑(第3話・拙著p.123-124)である。神経質は神経質のままでよいのだ。

2017年5月 8日 (月)

神経質礼賛 1384.使いにくいウォークマン

 ウォークマンと言えば、MD(ミニディスク)全盛期に録音可能なMDウォークマンを使っていた時期があった。LPレコードやCDから気に入った曲をMDにダビングして使っていたのである。MP3プレーヤーの時代になってからは国産メーカーがすっかり出遅れていたため、台湾や韓国メーカーのMP3プレーヤーを買い続けてきた。特に気に入って長く使っていたのはi-riverというメーカーの単3型乾電池もしくは充電池1本で駆動できる小さな三角柱型のT50で、操作性も大変優れていた。子供たちにはせがまれてi-podやウォークマンを買ってあげても自分はそのプレーヤーを使い続けた。容量が1GBのため今となっては小さすぎるけれども、買ってから10年経った今でもちゃんと使える。その後は、メモリで有名なトランセンドの8GBUSBメモリ兼用のプレーヤーを通勤用に使っている。私の場合、楽譜をパソコンで入力してソフトシンセでヴァイオリンやヴィオラ伴奏用音源、あるいは弦楽合奏の特定のパートのカラオケを作り、プレーヤーに入れておき、それに合わせて演奏する、という使い方もある。

 とはいえ、以前からウォークマンは気になっており、このほどNW-A35という2万円ちょっとの機種を買ってみた。ハイレゾ対応を謳っているので、それに対応したヘッドホンを買い足し、ハイレゾ音源の楽曲を用意すれば高音質で聴くことができそうだ。まずはMediaGoという付属ソフトを駆動すると、パソコン上のすべての音楽データを取り込み始めた・・・のはよいがなかなか終わらない。この作業には3時間ほどかかった。そして、実際に聞いてみようとすると問題発生である。今まで使っていた機種のように、パソコン上に自分が整理してまとめたファイルを本体にコピーすれば、好きなフォルダに移動して好きなところから聞くことができる、という基本的なことができないのである。「アルバム」「アーティスト」「ジャンル」「リリース年」「作曲者」を選んで順番に表示された中から探し出さなくてはならない。これはあくまでもネット上で入手できる情報に準拠しているから、古い2枚組CDを取り込んだものなど、別のアーティストや作曲者にまとめられてしまっていたりする。間違っていることもある。ましてや自分で作った音源はすべて「不明」のところにごちゃごちゃに放り込まれていた。これをパソコン側から修正することはできない。これではスマホのプレーヤーの方がマシである。カセットテープやMDの頃のウォークマンよりは小さいとはいえ、大きさや重さも小型スマホといった感じで持ち歩くにはあまり適さない。一体何をするためのウォークマンなのだろうか。新しく発売されたCDやネット上から買った音源をこの中にため込んでおき、無線で飛ばしてスピーカーから聞くためのリモコン装置ということになろうか。私のように自作音源を鳴らすなどはもってのほかである。一度全部データを消して、入れるに適したCDを選んで入れ直していくことが必要なようだ。これほど使い勝手が悪いとは思わなかった。独善的で使う人の身になっていない、神経質が足りないのが、このメーカーがすっかり凋落してしまった要因なのではなかろうかと秘かに考える。

2017年5月 5日 (金)

神経質礼賛 1383.メンテナンス作業

 連休の谷間の外来はそれほど混んでいなかったが、「すぐ書いて下さい」と自立支援医療の診断書を求められたり休職中の方から保険組合に出す意見書を求められたりといった書類書きが多く、入院中の方の御家族からの電話対応も多くて慌ただしかったし、病棟スタッフやケースワーカーからのコールも多かった。3連休は正直言ってあまり有難くない。

 休みに入ってもやることはいくらでもある。昨年の秋に自宅の15年目の点検をしてもらった際に指摘された課題である。建設時から2階と3階のベランダには30cm四方位の樹脂製のジョイント式スノコが敷き詰められている。照り返しが緩和され、ベランダ床の防水の保護にもなっている。しかし、その下に敷かれているフィルムが経年変化でボロボロになってきたのである。そのままにしておくと排水口が詰まりかねないので、時間がある時に外してフィルムは剥がして捨てて掃除して下さい、という宿題があったのである。冬になり、花粉症の季節になり、先送りしてきたがもう限界である。

3日の午前は母の食材をスーパーに買い出しに行き、母の家を掃除。午後は少し休みたかったが、作業に取り掛かる。よく観察すると、スノコの裏側は細いビニル紐で連結されている。2列ずつ力を入れて外してフィルムをちぎって捨て、掃除していく。3階の作業を終えて後は明日にしようかと思いながら明日またやるのも嫌であるから思い切って2階に取り掛かる。ここはプランターや鉢植えが置いてあるので、厄介なことになっていた。フィルムには濡れた泥と緑の藻のような物が付着している。それでも少しずつ仕事は進んでいく。45ℓゴミ袋が満杯になる。2時間半ほどかけてしゃがみ続けの作業は終わった。

翌日は予想通り、全身の筋肉痛に見舞われる。それでも、普段溜まっている送付書類や雑誌などの整理をし、昨日、母から頼まれた雑誌を買いに行って届ける。セーターを洗濯し、家の中の掃除をする。

こういったメンテナンス作業は連休中に少しでもやっておくと後が楽である。さあ、今日はもう少し作業をしたら買物に出かけ、あとは楽器を弾いて遊ぼう。

2017年5月 2日 (火)

神経質礼賛 1382.蕎麦懐石

 年忌の後は、いつものように精進落としに近くの蕎麦屋の蕎麦懐石を食べに行った。座敷はテーブルと椅子に替わっていて、足が悪い母にも楽だった。前菜は旬の竹の子とワカメの煮物、蕎麦寿司が出る。蕎麦サラダは以前食べた時はカリカリに揚げた蕎麦を使っていたが、今回は白い更科蕎麦をスパゲティのようにしてバジルで仕立てたもので、野菜と鴨肉が乗りイタリアン風である。タラの芽、行者ニンニクなど季節の山菜の天ぷらが出て来て、これは蕎麦が出るまで取っておきたいが、塩をかけておいしくいただく。そして桜花と桜葉を練り込んだそばがきで鯛と包んだ蒸し物が出てきた。最後はセリ蕎麦、と春の季節感満載である。蕎麦つゆは2種類付いてきた。五代目店主がやってきて説明してくれる。現在のつゆと、江戸時代末期の開店当時のレシピで作ったつゆなのだそうだ。開店当時のつゆは、味噌というか大徳寺納豆の味に近く濃厚な味がする。二つの味を楽しむことができた。

 この店は桜エビのかき揚がとてもおいしく、セットメニューもあるし、夜はアルコール一本にかき揚げとツマミと蕎麦のほろよいセットもある。店構えもいいし、店内はバロックやロマン派のクラシック音楽が流れていて落ち着ける。名店なのだが、たった一つ大きな欠点がある。以前いた気さくな女性店員さんがいなくなり、年配の女性(たぶん身内)が仕切っているが、客対応が横柄で評判が悪い。ネット上にも「不愉快極まりない」などと書き込まれている。2年位前に妻と食べに行って、昼の混む時間は過ぎていたので気に入った席に座ったら、その店員さんに席を変えるように言われて、妻はかなり怒っていた。それからは他の蕎麦屋へ行くことが多くなった。せっかくの名店で店主も神経質を生かしていろいろ工夫して頑張っているのに、無神経な店員がいたのではぶち壊しである。神経質が足りないと大損することになる。

2017年5月 1日 (月)

神経質礼賛 1381.フルーツバスケット

 昨日は父の年忌だった。寺の本堂に供える花と菓子は注文しておいたが、果物は前日に買いに行った。デパート地下の果物屋をのぞいて見ると少々値段がお高い。籠盛にして三千円では見栄えが悪く実質五千円位から。それに、あまり売れていそうもないので、古いものではなあ、と思ってしまう。そこで、普段買っているスーパーで大玉のリンゴや柑橘などを調達することにした。籠になりそうなものは、ということで街中の百円ショップを回ってみると、セリアという店におあつらえ向きの籠があった。バンブートレーという商品で素材は竹とヤシ。Lサイズでは大き過ぎ、Mサイズがちょうど良さそうなサイズなので買う。スーパーでは大玉の果物はクッション材を付けて通常品の倍くらいの価格で一段上の棚に並べてある。リンゴ、デコポン、キウイを選んで買う。それから普段買い慣れた有機栽培バナナを買う。家に帰ってから試しに籠に乗せてみる。全部で千三百円ほどのフルーツ籠盛の出来上がりである。質素だけれども悪くはない。

鮮やかな色彩の果物が並んでいるのを見ると心がウキウキしてくる。子供たちが幼稚園の頃歌っていた「スルーツバスケット」という歌を思い出す。自分が幼稚園の頃には椅子取りゲームみたいな同じ名前のゲームもあったなあ。

時が経つのは本当に早い。気が付けば自分の年齢は父の享年を超えている。そして前回の年忌に参列してくれた義妹の姿もない。逝った人々に思いを馳せながら、今こうして生きているありがたさを噛みしめる。神経質としては、「生の欲望」に沿ってもうひと働きふた働きしなくては、と思う。

2017年4月28日 (金)

神経質礼賛 1380.働くほどよく読書ができる

 ゴールデンウィークはどこへ行っても人で混んでいるし、出かければお金もかかる。することもないから読書でもしようか、と思っている方もいらっしゃるかもしれない。ところが、いざ連休に入って時間が十分にありすぎると緊張感がなくダラダラと過ごしてしまい読書も進まず、気が付いてみると何もしないで終わってしまった、ということはありがちである。森田先生は次のように言っておられる。

此療法では、七時間臥褥の外は、終日休みなく働き、二三週間の後、仕事が多忙になつた頃から、仕事の暇々に、読書を許す事になつて居るが、患者は此法によつて、従来読書が少しも出来ず・理解記憶の甚だ悪い・と思つて居たものが、如何なる時と場所でも、読書が出来るやうになり、例へば前に健康の時に、学校の席次が、十番であつたものとすれば、治療後には、普通、五番以上になるとかいふ風である。而かも之れで、無理な努力を要せず、身体は相当の活動をしながら、自然に勉強が出来るやうになるのである。(白揚社:森田正馬全集 第7p.394-395


 
 案外、忙しい時の方がその合間を縫って読書がはかどるものなのである。連休中に全くやることがないという方は、普段手を付けていない部分の清掃や片付けをやってみるとよいかもしれない。すると、その合間に読書も思いのほか進むものである。

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